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じっくりと耳を傾ける

私たちは「対話を広げたい」「対話が、自分の人生をうまく生きることも、世界を平和にすることにも、両方に助けになるのでは」と思って活動をしているわけですが、ただ「対話ってなんだか難しそう」とか「他人に伝えるほど、自分の意見なんてないし…」とか「対話って言い負かされそうで怖い」みたいな印象があるかもしれません。(ないかもしれませんが!)

▼ 「対話」を気楽にしたい

京都で冥想リトリートに参加していたときのこと。ふとした空き時間に参加者の仲間と散歩にでかけました。ちょうど哲学の道の近くだったので、彼女と哲学の道を、ぽつりぽつりゆっくりと歩きながらリトリートで体験したことや、これまでの学びを話していました。

私の感覚としては、話の内容と哲学の道と、なんだか、まさに「哲学」だなぁ〜なんて感じて彼女にそう伝えたら彼女は「哲学は私には難しい」と即座に反応されました。

いやいや、これまで話したことがまさに哲学であり、その対話じゃん!と伝えたのですが、全然伝わりませんでした。(残念ながら、私の伝え方が下手だったんでしょうね…)

「哲学」「対話」と聞くと即座に「難しそう…」と思うかもしれません。
このメールを読んでくださっているあなたは、対話って仰々しいことじゃないかも…と私の文章から気づいてくださっているかもしれません^^

「じっくり話をする」
ざっくりと言ってしまえば、これだけだと思うのです。

▼ 対話は「他者」とするだけではない

先日母からこんな話しを聞きました。母は学童保育の先生をしています。

ある小1の女の子Aちゃんが、お母さんが迎えに来るなり、泣き出した。
「Bちゃんが、仲間はずれをした」

同僚はお母さんの手前、今対処する旨を伝え、Bちゃんを呼び「Aちゃんのお母さんも待っているんだから、Aちゃんに謝りなさい」と伝えたそうです。

母は仲間はずれに至る背景も気になったため、Bちゃんに個別に、今はその背景をじっくり聞く時間がないけれど、後であなたの話にちゃんと耳を傾けたいと思っていること、それにしても、仲間はずれという手段はよくなかったと思う、それは悪かったなって思うよね?それは謝れるかな?とBちゃんの納得を得て、彼女たちは「ごめんね」「いいよ」と言葉を交わしたそうです。

自分は何に嫌な思いをしたのか?
何が悲しかったのか?何に腹を立てているのか?どうしてほしいのか?

説明が上手な子どももいれば、上手じゃない子どももいます。第三者が口を挟まずに耳を傾ければ、ゆっくり説明できる子もいます。それって子どもも大人も同じじゃないでしょうか。

日頃から自分の気持ちなどに敏感な人もいれば、耳を傾けられたときに初めて自分自身に「どうなんだろう?」と問いかけることができた、という人もいます。

▼ 他者や自分に、じっくりと耳を傾ける、そこから生まれるもの

対話というと、話す方ばかりに意識を向けるかもしれません。確かに「話す」という漢字が入っていますもんね。でも別に私の意見はないし…ちゃんと説明できるわけでもないし…

もちろん、私としては、あなたの声が聴きたいです。まとまっていなくても、ちょっとした感想でも、心に響いたキーワードを教えてもらえるだけでも。

でも、対話は「じっくりと耳を傾けること」から始まっているのではないでしょうか。

あなたが、自分の気持ちや考えに、相手の話に、じっくりと耳を傾けること。そうすることで、初めて見えてくるものがあるのです。

それ自体がすでに「対話」なのではないでしょうか?

(文責:森本)

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