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これまでの新海作品はすずめの戸締まりへの布石だった?

公開中の映画に関わる一部ネタバレを含むため、鑑賞を予定している方は注意してください。


皆さんは新海作品の最新作映画『すずめの戸締まり』をもう鑑賞されただろうか。
まぁまぁな新海オタクである私は入場者特典の新海誠本を目当てに2回のノルマをこなし、そして今、またしても新たな特典のスピンオフ小説が発表されたことでいよいよ3回目へ臨もうかと思いを馳せているところだ。

感想としては、まず画と音楽の美しさ、何より新海作品の十八番であるボーイミーツガールのストーリー性は言うまでもなく最高だった。その辺の質は今更私ごときが言及しなくとも世間が保証している。
今作の評価が割れるのは、やはり震災の描写だろう。
作中で登場する鈴芽の絵日記が3月11日を境に乱雑な黒塗りで埋め尽くされており、明らかに東日本大震災をモデルとした物語であることがわかる。
3.11の中学生当時に全く被害を受けなかった私でも、ページが捲られた瞬間のあのシーンには血の気が引いて文字通り真っ暗な悲壮感に包まれた。
妻も「映画自体は楽しめたけど唯一緊急地震速報の警報音が気持ち悪かった」と語っていた。
当然、ネット上でも「現実の被災者もまだたくさん居るのにショッキングな題材を軽率に扱うのは不謹慎ではないか」といった論点で賛否が飛び交うのだが、新海誠があえてそこへ一線を越えて踏み込んだところに強い意図が仕込まれている気がしてならない。実際、新海誠本のインタビューでも、これは震災の映画であると明確に決めて、プロデューサー陣にもその覚悟を共有してから制作を始めたという経緯が記されている。

震災により宮城の地元を失くし、母も亡くした鈴芽。それは決してフィクションなどではなく、3.11の日本で多くの人々が直面したものだ。
当初の鈴芽は幼少期の被災経験から自身の命すらも軽んじる価値観の持ち主であったが、草太と共にダイジンを追う旅の中で、様々な土地の廃墟で過去に居た人々の声を聴き後ろ戸を閉じて、様々な人に出会い温もりに触れてきた。そうして過去に囚われていた自分自身とも向き合い今を生きる決心をつけ、果てには「死ぬのは怖い」と涙ながらに心境を吐露したのだ。これほどまでに活力溢れるポジティブな弱音があるだろうか。
常世で母を探す幼い頃の鈴芽に出会い「私は、すずめの明日!」と抱擁したくだりは実際の被災者に向けたメッセージでもあるように思われたし、偽善に見えるかもしれないが、悲劇的な喪失の先にもちゃんと人生が続いてきたことを実感できる人が少しでも居れば救いだ。

振り返ってみれば、新海作品はずっと喪失の物語であった。
『君の名は。』では、彗星が落ちて壊滅した糸守、伝承が途絶えた祭りや組紐の文化、瀧と三葉のお互いの記憶(夢)。
『天気の子』では、穂高が天気よりも陽菜を選んだことで大雨に水没した東京、須賀が「人間年取ると大事なものの順番を入れ替えられなくなる」と呟いたように大人になって失った心。
何なら、ブレイク以前の代表作『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』ではもっと人々にとって普遍的な体験である失恋を美しくも残酷に描き、古参ファンを悶えさせてきた。
対象や捉え方は異なれど、新海作品が今日までの評価を築いてきた土台にはいつも喪失という要素があり、そのアプローチに新海誠唯一無二のこだわりが感じられる。

東京だって、いつ消えてしまうか分からないと思うんです。
だから記憶の中であっても、何と言うか、人を温め続けてくれるような風景を…
新海誠『君の名は。』

これは『君の名は。』のエピローグ、大学生となった瀧が就職活動で支離滅裂な演説を始めるシーン。
彗星が落下する壮絶なクライマックスから一転してシュールさが引き立つものの、私は当時からこのセリフが妙に心の中に残り続けていた。
『君の名は。』に続く作品『天気の子』では本当に東京が水没してしまい「あのときのセリフは次回作への伏線だったのか!?」と話題にもなったが、これは新海誠が自身の制作に課したテーマの表れであり、むしろ過去最大規模の喪失を描いた『すずめの戸締まり』へと通じる布石だったのではないだろうか。

そのように考えると、今作は新海誠の思想と才能を全て注ぎ込んだ集大成と位置付けることもできるほど覚悟が込められたテーマであったし、ストーリーのせいもあってどこか遠くへ行ってしまうような寂しさを帯びていた気もした。
次回作の構想は公開中の作品の反響を見ながら練ると言う新海誠だが、この後に続く作品が一体どのようなものになるか、早くも帰還が待ち遠しい。

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