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【和訳】セリーヌ・ソンのクライテリオン・コレクション トップ10

2023年7月にCriterionで公開された「Celine Song's Top 10」を日本語に訳してみました。2024年4月に日本で公開予定の『パスト ライブス/再会』の監督セリーヌ・ソンが、クライテリオンが出している円盤から好きな10作品を選んでいます。

1. 『ブリキの太鼓』(1979) 
フォルカー・シュレンドルフ
初めて『ブリキの太鼓』を読んだのは、大学のドイツ文学の講義のためでしたーそしてすぐ後に映画を観ました。母の好きな作品の一つで、私に勧めてくれました。瞬時にすごく好きな映画になりましたが、一か月ほど悪夢にうなされました。あからさまに何か怖いことが起きるわけではないのですが、戦争についての映画なので恐怖の感覚が色濃く存在するのです。この作品には忘れることのできない描写、例えば魚や馬の頭を切り刻み貪る描写があり、これらは自分の作品を作るときにも参考にしました。

2. 『My Dinner with André』(1981) 
ルイ・マル
『My Dinner with André』は常にハラハラしながら観ています。二人の人が抽象的なことから何でもないことについて、長い会話をしているだけなのですが、観客はいつ話が急展開をして、とても深くて内密なものになり、悲惨なことが明らかになるのかが読めません。初めは劇作家だった身として、私はこのような会話が映画的で心を奪われるものへと変化することに魅せられます。
そもそも私が劇作家になりたいと思ったのは、ウォーレス・ショーンの演劇がきっかけです。彼とアンドレ・グレゴリーは実験演劇の巨匠であり、ここで二人の会話に参加しているかのような気分にさせてくれる点がすごく好きです。二人が、心が狭くなったり噂好きになったりする姿と共に、深くて世知に長けている姿を目にすることができるのです。何回も観ている私の中の定番です。
ショーンがニューヨークで電車を待っている間にボイスオーバーで流れる台詞があります:「10歳のときは…アートと音楽だけについて考えていた。36歳になった今、頭にあるのはお金のことだけだ」。この映画に出会ったときは20代だったのでこの台詞が理解できなかったのですが、34歳になった今、彼の言っていることが完全に分かります。]

3.『天国と地獄』(1963)
黒澤明
『天国と地獄』は見事なスリラーです。最も尊敬するのは黒澤のブロッキングが持つ力です。彼が部屋いっぱいにいる男性を扱う方法はまるで魔法のようです。フレームの中の登場人物の配置が、出来事を捉える観客の視点まで変えてしまいます。俳優三人が部屋の中の違う場所に移動しただけで、急に空間全体が違って見えるのです。この映画は教科書として気に入っています。言葉を全く使わず、人物の仕草と視線だけで話を展開させる手法について、新しく学ぶためだけに、再度観ることもあります。

4.『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011) 
ヴィム・ヴェンダース
この映画は大学院の友人と大勢で観ました。鑑賞後、友人のTara Ahmadinejadが「演劇はもう辞めた方がいいのかもしれない」と言いました。あれ以上のものを作られるわけがないよね?と言うようにお互いの顔を見ていました。当時我々は多大な影響を受けたので、私にとって特別な作品の一つです。ピナ・バウシュは達人でした。映画はキューブリックだとしたら、ダンスは彼女でした。彼女は唯一無二の存在でした。誰も彼女がやっていることを真似などできませんでした。亡くなったときは非常に大きな喪失感を覚えました。
素晴らしいダンス・シークェンスの幕間には、彼女ととても親密な関係にあったダンス・カンパニーのメンバーたちが何も言わずに死を悼みながら座っている写真が映されます。しかし、これらの写真の上に観客はメンバーがボイスオーバーでピナへの愛を振り返っている様子が聞こえます。音声と映像の対照に心を動かされます。ヴィム・ヴェンダースは彼らの喪失感を非常に美しく描きます。

5.『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』(1993)
マーティン・スコセッシ
一番好きなスコセッシの映画であり、好きなダニエル・デイ=ルイスの出演作でもあります。ニューヨークを舞台にした恋愛時代劇ですが、スコセッシの手によってモダンにすることに成功しています。この映画は現実における人生の問題と心の問題の間の緊張を描き、この緊張感をとても真摯に受け止めます。親密さの描写も模範的です。エロティシズムをどのように描くかを考えるときはこの作品を参考にしています。
切望や思い通りにならないことだけについての物語になり得たものの、この作品には政治的そして観念的な暗示があります。実はかなり骨を刺すような映画なのです。硬くて鋭い角のある箇所に、スコセッシの声を感じることができます。この点では、このような作品を他には作っていないものの、実にスコセッシらしい映画です。他の歴史映画を作ってはいますが、宮廷や舞踏室を舞台にした正当な恋愛物語は作っていません。最後の場面で、ダニエル・デイ=ルイス演じる年老いたニューランドが、中庭でエレンの窓を見上げる姿にはいつも息を呑んでしまいます。

6. 『バリー・リンドン』(1975)
『バリー・リンドン』にはキューブリック作品の中核があるような気がしますー中核というのは人びとが歴史、時間、空間のごく一部に過ぎないことです。登場人物は皆すぐにでも吹かれて消えそうな塵のようです。彼らの心の狭さと自尊心と権力の濫用は笑い物でしかないのです。完璧に演出された不幸な出来事の連続で構成された物語ではあるものの、この映画はコメディです。キューブリックの映画に必ず見られる煽りも結構あります。私が好きなどぎついユーモアが含まれています。
『バリー・リンドン』の視覚的世界は凄まじいものです。美術館にある絵画であるかのように、よく止めて観ています。一番好きなキューブリック監督作です。

7.『セレブレーション』(1998)
トマス・ヴィンターベア
これも独自の世界を持つ作品です。トマス・ヴィンターベアによる巧みな作品で、いろんな意味でギリシャの悲劇です。登場人物は神聖な啓示を経験します。非日常を描いているのにそれが現実であると感じられるくらい、映画の作られ方と俳優の演技は心理的に鋭利なものです。人物の表情や何でもない台詞を通して、ヴィンターベアが真実を隠したり露わにしたりする様子を見るのが実に面白いです。ギリシャの悲劇ではなかなか見られないユーモアのセンスも光る作品です。
悲惨な出来事が繰り広げられますが、心を持っていかれるほどにすべての心理的な間は完璧に作られています。これは自分の作品でも実現したいことです。

8.『ハワーズ・エンド』(1992)
ジェームズ・アイヴォリー
この作品で最も好きなのは生と死が軽く扱われていること、ブラックユーモアです。時代劇のロマンティック・コメディは好きなジャンルの一つです。
この作品は唯物主義とお金の仕組みをテーマにしており、これらを直接的に、率直に扱っています。芸術において、所有地に関する話はあまりしません。普段の生活で家賃のことを話すのに、映画にまでそれを持ち込みたくないことはよく分かります。ただ、人間に関心があって人間の生活を正確に描きたいのであれば、やはり人びとの生活を支配する初歩的なドラマを無視することはおかしいでしょうーつまり、どこでどのように生活するのかというドラマを。この実存的な問いに向き合うので、見事な作品だと思います。

9. 『厳重に監視された列車』(1966)
イジ―・メンツェル
私はボフミル・フラバルの文学で育ち、彼の書いた本はほぼ全部読んでいます。映画のもととなった本が大好きなので、映画を本と同じくらい好きになれるとは思えませんでした。しかし、フラバルと同じ国出身で、心の友であったイジ―・メンツェルが戦時中の怠惰な若い青年の悲しい物語を映像にしてみせます。戦争を扱うすべての映画は、意図的でなくても戦争に賛成するようなプロパガンダにならないように気をつける必要があると感じますーそしてこの映画は、観客に戦争が完全に無意味であると感じさせるため(本と同様に)断固として戦争に反対するものです。作品には戦争の英雄など存在しません。何者でもない普通の人びとだけがいて、彼らはファンファーレを鳴らしてもらうことも、歴史本に名前が挙がることもなく、人生の夢や楽しみがむごく戦争によって奪われるのです。歴史の重さの下で、この作品では人間の生はハエの物であるかのように消され、人類は完全に押し潰されます。このような物語に心が向きます。

10. 『And Everything Is Going Fine』(2010)
スティーヴン・ソダ―バーグ
これがスポルディング・グレイとの本格的な出会いでした。この映画を観る前は彼について読んだことはありました。グレイは才能ある独白劇俳優でした。彼の物語を読む優しい声を聞いていると、気づかないうちに彼の手を取って森を通り過ぎて水の中に飛び込んでいて、あとで海の中で溺れていることに気づきます。迷子になって彼しかしがみつく人がいない状況になるまで、彼の語り口にすっと入り込んでしまっているのです。もちろん、これを劇場で観ることが最も良かったでしょう。しかし、ソダ―バーグは映画を規律的な方法で作ることで、ライブの感覚を捉えています。

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