君たちはどう生きるか
公開4日目かな。2023年7月17日に観に行きました。そして今、この文章を書いているのが7月18日から19日にかけてです。
ただししばらくは公開しないでおこうと思います。事前に予告やCMを打たず、パンフレットも後日発売と、情報を極力出さないというのが宮崎駿監督やスタジオジブリの意図なので。少しでも創作や表現に関わっている人間として、彼らの思いや狙いを尊重します。
そろそろいいかなと思って一旦公開します。でももっかい観にいって原作も読んで書き直したいと思ってます。
正直、公開後1日はこの映画が上映されているのを知らなくて、芸術家の村上隆さんのツイートで知りました。
https://twitter.com/takashipom/status/1680046197350993920?s=46&t=CQ4uVxn3nAt127Y2dCUR6A
で、つづきの文章は読まず、近いうちに観に行こうと思っていました。するとNFTアーティストのメタカワイさんが今から観てくるとツイートされました。
https://twitter.com/meta_kawai/status/1680223396066643968?s=46&t=CQ4uVxn3nAt127Y2dCUR6A
これを見て、できるだけ早めに観に行ったほうが良さそうだなと思いました。でなければたくさん感想を見ることになるぞと思って。
この時点で事前の予告などをおこなっていなかったことは知っていたので、制作者の意図を汲んで事前情報のない状態で観たほうが良いだろうなと思っていました。だからできるだけ情報をシャットアウトすることにしました。
とはいえメタカワイさんの感想は見てしまったのですが……。
https://twitter.com/meta_kawai/status/1680416450954293248?s=46&t=CQ4uVxn3nAt127Y2dCUR6A
ともにひと言だけの感想ですが、村上隆さんとメタカワイさんの投稿を読んだ時点で、この映画はクリエイターやアーティスト、表現者の物語なんだろうなと察知してしまいました。
いえ、正確には『君たちはどう生きるか』というタイトルを見た時点で「そういう話だろう」と思っていました。なぜなら似たようなことを言っていた人を知っているからです。
2020年に鬼籍に入られた映画監督の大林宣彦さんです。
大林監督が生前、『最後の講義』というNHKの番組に出演されたときのことです。この番組は、大林監督を始め物理学者の村山斉さん、漫画家の西原理恵子さんなど著名人が若い人に向けて文字通り人生最後の講義をするというものです。
https://www.nhk.jp/p/ts/4N7KX1GKN7/
その中で大林監督は「僕は表現の力を信じている。表現によって戦争をなくし、世界を平和にすることだってできる。そう思って映画を撮ってきた。ただしすぐにというわけにはいかない。時間がかかる。400年はかかる。そう黒澤明監督とも話したことがある。だから僕たちの思いを実現するためには、後を継いでくれる人が必要だ」という主旨の話をされていました。
また、「とはいえ君たちは自分が信じる表現をしなさい。もし君たちが心から信じて戦争礼賛の物語を作るのなら、それで構わない。何も恐れず作れば良い」というような内容の話もされました。
つまり“君たちが表現者としてどう生きるかは君たち自身で決めれば良いよ。しかしちゃんと自分の信念を持って表現しなさい。でも、できれば僕たちの思いを継いでほしい”ということです。
そしてそのとき確か宮崎駿監督の盟友である高畑勲監督の名前も出されていたと記憶しています。
事前情報は読まずに映画を観ると言いながら、これだけの情報を持って、映画館のシートに座りました。でも映画というのはそういうものです。何の知識のない真っさらな状態で観ることなんて不可能です。過去に観た映画の記憶や読んだ小説、さまざまな知識といったものを総動員して観るものなのです。だから映画は芸術たり得るのだと思います。
さて、映画が始まりました。しかし思っていたのとだいぶ違います。時代は太平洋戦争の真っ只中。空襲で母を亡くし、主人公のマヒトは父とともに疎開します。そこには母の妹のナツコがいて、父はナツコと再婚します。
クリエイターやアーティスト、表現者の話じゃなかったのか。僕は戸惑いました。
しかし観ていくうちに、やはり僕の思っていた通りだと思いました。マヒトは母に贈られた『君たちはどう生きるか』の本を見つけます。深夜に読んでいると、窓からナツコが森に入っていくのが見えます。翌朝、ナツコが姿を消したと老婆たちが大騒ぎしています。マヒトはナツコを探し出すため家の近くにある塔に入ります。
この塔は母の大おじが建てたもので、彼はここで姿を消したとされています。
マヒトが塔に入るとそこには現世とは異なる世界がありました。僕は、この塔の中の世界は物語の世界だと思いました。
ここにはこの世界の創造主として大おじがいます。この映画の想像主たる宮崎駿監督と重なります。きっとこの映画は、宮崎駿監督が若いクリエイター、いやクリエイターというよりはアーティストや表現者に向けて制作した作品なのだと思います。
一方で、マヒトもまた宮崎駿監督自身が投影されたキャラクターなのではないかと思いました。たぶんマヒトと宮崎駿監督は同じくらいの年齢のはずです。そう思って調べてみたら違いました。映画の中でマヒトは戦争3年目に母を亡くし、4年目に父と一緒に東京を離れたと言っています。宮崎駿監督は1941年生まれ。マヒトの方が少しお兄さんです。
でも年齢こそ異なるもののWikipediaによると宮崎監督の父親は戦闘機の部品を製造する会社の経営者で、比較的裕福な暮らしをしていたそうです。これはマヒトの境遇と重なります。
やはり大おじは宮崎駿監督自身だし、マヒトもまた宮崎駿監督自身なのだと思います。
大おじは自分の後を継いでこの物語(世界)のつづきを書いてくれる者を求めています。彼はマヒトに後を託そうと考えています。
大おじは、「後継者は自分の血縁者でなければならない」と言います。僕はこれを拡大解釈します。血縁者とは比喩で、同じ思いを持つ者や同じ系譜にある者のことではないか。
大おじはマヒトに、積み木を足すことができるということと、自分の積み木を手に入れなければならないということを教えます。ここで言う積み木とは表現のことだと思います。
過去から現在、未来へと、人々は様々な表現をおこなってきました。我々は、あたかも積み木を積み上げるように、先人たちの表現を受け継ぎ、そこに自分たちの表現を積み足して、後世の表現者たちに受け渡します。
まずは努力して自分自身の表現を確立させなさい。そして宮崎駿監督や高畑勲監督など先人が創りあげてきた表現を受け継ぎ、その歴史の中にあなたの作品を加えなさい。そうしてどんどん若い表現者たちに受け継いでいくことで美しい世界を創りあげてください。この映画はそんなメッセージだと思いました。
それは僕にはまるで宮崎駿監督から若い表現者たちへのエールのように思えました。優しくも厳しい叱咤激励のようです。だからとても希望に満ちた映画だと思いました。
しかし一方で、この作品はまるで宮崎駿監督の遺書のようでもあるなと感じました。もうこれが本当の本当に最後の作品なのかもしれない。宮崎監督はこれまでも「これが最後の作品」と言っては新作を作りつづけてきました。でも年齢的に言って、この作品が最後の作品になる可能性はかなり高い。そう思うと、とても哀しい作品だなと思いました。
遺書だなんて言わずに、次の作品に取りかかってほしい。一本の映画を作るのには相当な体力が必要だと思います。もしかしたら酷なことを言っているのかもしれません。でもそれでも、遺書だなんて思いたくない。
一方で、その表現の系譜の中に自分がいないことがとても哀しく感じられました。宮崎駿監督からのエールを僕も受けたかった──‼︎
そんな思いを込めて、この映画を観た感想をツイートしました。
https://twitter.com/deviltic/status/1680857782361427969?s=20
この解釈が合っているかどうかは分かりません。しかし僕はこのように上記のように解釈しました。
おそらく宮崎監督もそれで良いと言ってくれるでしょう。この作品をどう解釈するかはあなた次第。自分自身の積み木を見つけだしてください。と作品の中で仰っているではないですか。
あなたも自分自身の解釈をしてみてください。いろいろな解釈ができることこそ映画というジャンルの持つ面白さであり可能性です。久々に本物の映画を観たなと思いました。
制作データ
制作年:2023年
上映時間:124分
制作国:日本
配給:東宝
スタッフ
監督 宮崎駿
原作 宮崎駿
脚本 宮崎駿
主題歌 米津玄師
製作 スタジオジブリ
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