祇園囃子

 少なくとも一度は観たことのある作品だが、このたび外出することもままならないゴールデンウィークを迎えるにあたって、若尾文子のDVD-BOXを購入したので、観てみることにした。

 観終わった瞬間、
「あれ? これで終わりか」
と思った。世界中に知られる巨匠監督の作品にこんなことを言うのはおこがましいが、ちょっと物足りない。

 終盤のストーリー展開はこうだ。
 主人公がどんなに思い願っても、現実はそううまくはいかない。むしろ理不尽なことばかりが起きてどうにもできず、最後には良かれと思っておこなった行動で大切な人まで苦しめてしまう。主人公は絶望するけど、それでも前を向いて生きていかなくてはならないと気づき、涙を拭いて歩きだす。

 この展開だけ見ると、何だかハッピーエンドな感じがするが、実際は違う。
 主人公は涙を拭いて歩きだす。しかし問題は何も解決していなくて、彼女たちは歩いているが、ほとんど不安しかないのだ。

 何ともモヤモヤする終わり方なのだ。
 今ならもうひとつ何かエピソードがあって、ハッピーエンドで終わるだろう。

 で、きっとこれ、1953年公開の古い映画だから、ストーリー的な詰めが今より甘いと考える人もいるだろう。何か重要なシーンがごっそり抜け落ちているような感があるのだ。しかしそうではない。僕は時代性と作家性じゃないかと思う。

 この作品が公開されたのは1953年と戦後まもなくということもあり、日本中みんなが手放しでハッピーを感じられる時代ではない。誰もが多かれ少なかれ心に何かしらの傷を負っていた。映画は時代を映し出すものだから、どんなに華々しい世界を描いてもその時代の雰囲気は表れるものだ。底抜けのハッピーを描いたところで、当時の観客にとってはリアリティがない。

 また、作家性ということで言えば、監督は巨匠・溝口健二。これは偏見だが、溝口健二ほどの監督が、ただのハッピーエンドなんて描きたいわけがない。主人公は前を向いて歩きだしたけど、不穏な雰囲気は漂っている、という作品にしたいはずだ。

 そのためにあえてもうひとつ何か物足りないという構成を取ったのだろう。そう思い至って合点がいった。

 前を向いて歩きだすために必要なシーンやエピソードをあえて描かないことで、観客に違和感を感じさせ、そのモヤモヤによって主人公の納得いかないモヤモヤを想起させる。きっとそういう計算があったのだ。

 あえて描かない=引き算の大切さを教えてくれる良質の作品だ。

製作年 1953年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 85分

監督 溝口健二
脚本 依田義賢
撮影 宮川一夫
編集 宮田味津三

キャスト
木暮実千代 美代春(芸妓)
若尾文子 栄子(舞妓・美代栄)
進藤英太郎 沢本(栄子の父)
河津清三郎 楠田(車両会社の専務)
菅井一郎 佐伯(楠田の部下)
田中春男 小川(美代春の馴染み客)
小柴幹治 神崎(役所の課長)
浪花千栄子 お君(お茶屋の女将)
志賀迺家弁慶 助次郎(男衆)
石原須磨男 幸吉(男衆)
伊達三郎 今西(お茶屋の客)
毛利菊枝 女紅場の教師
大美輝子   八重
橘公子 菊春
三田登喜子 舞妓


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