〜彼岸花〜心療内科の5階から飛び降りても助かった私 1

2005年。夏。


私は、23歳になった。
11歳年上の男性の間に19歳の時に子どもができ、母親にお前には産んでは育てられないと言われ生理不順の薬を飲まされ、流産する。
その男性にネットで執拗に誹謗中傷されていたり、相手の親はリストカットして死なれたら目覚めが悪いと迄言ってきた。


相手は、完全に別れることをしなかった。
暴力を振るってくることもあった。
しかし、私は死にたいから飛び降りたわけではない。
理由は…


私の人生は複雑怪奇だった。
私は、17歳の時まで、同級生の女の子と付き合っていた。
相手の女の子は、私と付き合うことになる31歳の男性の友人に車で送迎される際に強姦されてレズビアンになったそうです。
私は、31歳の男性のことを好きになったわけではありません。
ここから私の人生は狂っていくのです。


動き出した時計は巻き戻せません。
子供ができた頃、相手は全く避妊をしませんでした。
これは、今で言うDVで、別れる際に「お前も喜んで受け入れたろうが!」と相手は怒鳴りました。
殴るぐらいで、相手の親も笑ってましたから。


私は、ネットに当時31歳男性に作り話を書き込まれ、毎日途方に暮れてました。
私は、相手と一緒に死のうと思いました。


でも、相手はこう言いました。
相手は、私が「薄ら妊娠検査薬が陽性だった」と言ったのを、ネットの掲示板で質問し、皆んなが嘘をついてる、妊娠してないとかき立てました。
1回目に妊娠を告げた時は、相手にエコー写真や色々見せたのですが、仕事が忙しいと、産婦人科にすら来ず、手術費用を未成年の私のバイト代から払わせました。


そう、責任が取れるんじゃなかったの?
私は「妊娠検査薬で薄ら陽性が出た」と言ったのは、その人が怖がって寄り付いてこなくなるから(別れた後も執拗にDV性行為を強要されてたから)


私は、バイト先に迄その男性が押しかけてくるようになりバイトを辞めました。
警察に相談したら、どうせ寄りを戻すから、と取り合ってもらえませんでした。
相手は男性警官でした。



私は、考えました。
死ぬしかない。


ネットでの誹謗中傷が過激化している中、私は5階建ての通院している心療内科に行きます。
いつも、母が余計なことを先生に吹き込むため付き添ってきています。
男性と別れた後は、毎度のことです。


ついてきた母は、疲れたから先に帰ると帰りました。
私は、止めませんでした。
5階の喫煙所で、タバコを吸っていました。
私は、脳裏にネットで誹謗中傷されていること、流産した子どものこと、走馬灯のように思い浮かびました。


…終わりにしよう。
手すりに手をかけ、躊躇いもなく飛びました。
バン!と身体が何かに当たりました。
下に落ちた時、生暖かい何かが広がってくのがわかりました。


1週間ほどでしょうか、HCUで私の意識は戻りました。
3階の貯水タンクに当たり助かったと聞きました。
ネットでは、2年半その後入院生活が続くのですが、私が何をしてるのかわからなくなったら興味がなくなったのか誹謗中傷は止みました。
私は、2年半入院した時に色々ありました。


私が当時服薬していたのは、問題となり薬剤名が変わったリタリンという薬です。
31歳男性に元気が出るから飲んでみなよ、と勧められたから。
今ではコンサータと名前が変わり、普通に処方されています。
今では飲んでません。


私は、手首を切られて死なれたら目覚めが悪いと言われて、じゃあ飛び降りたらどうなるかな?と思いました。
助かったから良かったのかもしれませんが、その男性はまだ私をネットで誹謗中傷しています。


私は、今は脳に障害が残った程度で普通に歩けたりしています。
だけど、人生の歯車は巻き戻せません。


辛いと思う時もあるように思いますが、その時のこと程とは思いません。
私は、これまでの人生を生き直していくのでしょう。、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?