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同人誌

小中学校時代はとにかく漫画とアニメが好きだった。
特にミンキーモモとうる星やつらのラムちゃんが大好きで、小学校時代の図工で木彫りをした際にラムちゃんの絵を描いたら先生から「首から下は描いたらダメ」と言われるぐらい無邪気にラムちゃんを描き続けていた。
当時は「オタク」という呼び名がなかったので単に「アニメファン」というカテゴリで呼ばれていた俺。

その頃は大手アニメショップの「アニメイト」とか無かった。小倉の魚町銀天街のファッションビルSABOビル内にあった「アニメショップヤマト」東映会館内にあった「アニメショップペロ」の2軒ぐらい。
「アニメショップヤマト」は北九州市が松本零士先生の出身地だったのでそれで命名された店名だったと思う。ショップの紙袋も宇宙戦艦ヤマトだった。もちろん許可取ってたと思う。店員のメガネを掛けた女性がかなりの巨漢で愛想もクソ悪かったので利用者のオタクからはすこぶる評判が悪かった。
「アニメショップペロ」は東映直営のアニメショップだったと思う。お店のマークが長靴をはいた猫のペロだったので。
俺はとにかく小中学生時代はここに出入りしていた。

絵は好きっていうだけでそんなに上手くもなければアイデアもない、ないない尽くしなのに、漫画とアニメが好きっていうだけで漫画家になりたいという夢だけはものすごくあった。
そんなある日「アニメショップヤマト」の壁に同人誌のメンバー募集の紙が貼ってあったので連絡を取ってみた。連絡と言っても80年代なので多分お手紙、どういう流れだったのか覚えてないけどその同人誌「淡雪シンドローム」にイラストとか漫画を掲載することになった。

「淡雪シンドローム」女子高生ばかりの同人グループだった。のちになぜか「破天荒」と名前を変えた。ホチキス留めのコピー誌で俺が参加したのは3号分ぐらいだった気がする。当時はコピー機もコンビニも無いので「アニメショップヤマト」でコピーしたものをホチキスで製本してたと思う。
やり取りは手紙だけだったので(こちらから送付した原稿をメンバーがコピー・製本して販売)なかなかメンバーと会うことがなかったが、コミックマーケットの時と製本した同人誌を受け取った時の2回だけメンバーと会った。

当時は「コミケ」とは略さずに「コミケット」と略していた。確か小倉北区到津辺りのオフィスビルの一角であったイベントに淡雪シンドロームスタッフではなく客として参加した。女の子としゃべるという体験をあまりしたことがなかった童貞中学生はせっかくのチャンスを生かすこともなく、コミックマーケットを楽しむだけで何事もなく会場をあとにした。
あともう少し踏み込んでいたらそのうちのひとりぐらいから童貞を奪われていたかも知れない。

もう1回は完成した同人誌を受け取りにどういう経緯か忘れたけどメンバーの女子高生と小倉競輪場の前で待ち合わせをした。待っていたのは制服姿の女子高生童貞中学生あこがれの年上女子ですよ。
どこの学校か忘れたけど、共学ではなく女子校の生徒だった。多分場所的に三萩野女子高校の生徒だったのかな?
結構長い時間しゃべってた気がする。男兄弟しかいない上に心身共にアニメファンで女の子が近寄って来ない系男子だった俺にとっては、年上の女子高生がニコニコしながら学校の話しをしているのは夢のようだった。

「体育の時間にブルマ履いたら、友だちから"マン毛出てるよ"って言われて(笑)」と女子高あるあるなのか?女の子に対して免疫もなく清楚なイメージしか持ってなかった童貞中学生の俺にとって、その言葉だけで3回はヌける感じだった。
今考えたらあともう少し踏み込んでいたらその女子高生から童貞を奪われていたかも知れない。