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湖畔にて

 1980年代初頭、世界は経済不況の波に飲み込まれようとしていた。
ちょうどその頃、社会人となってからの数年間、いくつもの職業を転々とした。辞める理由はいつも決まっていた。年配の経営者に向かって日頃溜まった若さゆえの怒りを爆発させたのだ。
奴隷のようにこき使うだけのそのやり方に我慢できずに、
人を人として見ろっ!と大声で怒鳴った。
彼らは皆呆気にとられ、茫然としていた。
その場で自ら即退場宣言をして、会社を出て行った。

経営者たちは皆、生き残りをかけたサバイバル戦争の真っ最中だった。自分の会社を維持することに精一杯で、若造の気持ちなど、二の次三の次、いやまったく眼中になかったのだろう。

日本には自分の居場所がないのだろうか?
そう感じた途端、外国に行ってみようと思った。
自分の目で海外を見て、人と会って、話して、感じたい。自分をもう一度見つめ直したい。海外から日本を感じてみたい。
貯金をすべて引き出し、成田を飛び立った。向かった先はアジアの国々。インドに始まり、ネパール、タイ、フィリピン、インドネシアバリ島、ビルマ(現ミャンマー)と回った。

そこは日本と同じアジアでありながら、まるで別世界、別の惑星だった。

インド、オールドデリー。
拡声器から街中に響き渡るコーラン。
怒涛のように押し寄せる人の波。
自転車とリキシャのけたたましいベルの音。
手押し車のきしむ音と荷役の噴き出す汗。
店先での値引き交渉の怒鳴り合い。
路上の牛同士の喧嘩。
ゴミの山の食料を奪い合う豚、羊、山羊、犬、猿、鶏、そしてそこに唸り声を上げながら割って入る路上生活の男たち。
それらがすべてもみくちゃになった騒音の洪水。
裸の幼児が拾って食べる街路樹の実。
肉屋の店先を真っ赤に染める血。
次から次へと襲いかかってくるかのような鋭い視線の連続。
あまりの辛さに喉を通らぬ大衆料理。
尋常でない突き刺さるような暑さ。
濁った安宿の水道水。
汚れたバケツの水で洗ったコップで飲むサトウキビジュース。
一度も洗ったことがないようなベッドカバー。
夜中に襲い続けてくる蚊の大群。
「ハロージャパニー!オゲンキデスカ?」としつこく付きまとう物売りたち。
うるさーい!!
何度言えばわかるんだっ「ノーサンキューなんだよ!」
やばい所に来たな。

しかし、最初の数日間が過ぎた頃から、自分の中にあった何かが少しずつ溶け出していくのがわかった。
日本にいた時には気づかなかった自分の弱さ、もろさ、甘え、わがまま、依存心、逃避癖、差別意識。
そして巷に溢れるキャッチフレーズ「夢を追いかけろ!」「頑張れば必ず報われる!」「諦めるな!」「勝ち残れ!」に踊らされて、心を閉ざし、競争心だけで生きてきた過去。

過去の自分の姿に直面した時、それは旅を続けてゆくには不要な足かせでしかないということをその時悟った。

旅は新たな自分の発見と、古い自分を手放すことの繰り返しだ。
無意識のうちに勝手に自分ではめていた足かせを捨て去ることができた時、旅は味わい深いものになる。

その後、旅の質は変わっていった。
外側の世界で繰り広げられる現象に目を奪われることよりも、出会った人々を通して、人を人として見る、という人間関係の基本のようなものを少しづつ学んでゆくような機会となっていった。
過酷な生活環境と、苦難の歴史を背景にもつ人々の眼差しは奥深く、そしてやわらかい。
そして旅先で出会った心通う人々は、皆変わらずに優しく、生き生きとし、そして見ず知らずの異国の旅行者を、寛容に受け入れてくれた。

人の目を見て話し、話を熱心に聞き、微笑み、自宅に招き、家庭料理をもてなし、歌を歌い、楽器を弾き、長く伸びた髪を切ってくれたり、弁当を作って小旅行に連れて行ってくれたり、挙句の果ては家族から結婚話まで持ち出したりする人もいた。

それは日本の激しい競争社会の日常では、ほとんど味わうことがないような人間的な温もりを感じる経験だということに気づき、嬉しいというよりも、何か愕然とするような気持ちにさえなった。


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インドネシアのバリ島は今では誰もが知る南海のリゾートだが、80年代初頭はまだ観光ブームがやっと始まったばかりという時期だった。
滞在していたクタビーチには、数軒の粗末なコテージを並べた安宿が二か所あるだけだった。浜辺では地元の子供たちが遊び、採ってきた魚を漁師が村人に分けていたり、地元の村人たちの祭りがあったり、僧侶が夕陽を前に瞑想したりしていた。

宿泊したコテージには7,8人の男女の、陽気な若者スタッフたちが働いていた。
客は私1人だけだったので、彼ら全員から暖かいもてなしを受けた。
毎朝部屋のドアを開け外に出ると、ドアのすぐ横にチャナンと呼ばれる小さな手作りの花かごが線香と共に置かれ、いい匂いがした。魔よけの意味があるとのこと。

朝食はいたってシンプルなもので、毎朝小さなトースト2枚と目玉焼きとコーヒーのみ。薄暗いキッチンにずけずけと入ってゆき、ガスコンロの前で彼らとたわいもないおしゃべりをしながら、出来上がるのを待った。
朝食が終わると、宿にあるレンタルバイクを借りて、島をあちらこちらを一日中走り回った。

ある日、島の北部まで遠出をした帰り、夕方からドシャ降りのスコールが降り続いた。夜になるにつれだんだんとその激しさが増し、ヘルメットをかぶっていなかったので、ついには街灯のない真っ暗な道がまったく見えなくなってしまった。止む無く途中でバイクを見知らぬ家の軒先に置いて、トラックのようなタクシーを拾って宿まで戻る、ということがあった。

宿に着いたのは夜中の12時を回っていた。
するとスタッフ全員が集まって、母屋の前に座ってこちらを見ていた。
「みんなでここで何をしているんだい?」と尋ねると、
「あんたが帰ってこないんで、みんな心配して待っていたんだよ。」と答えた。
バイクを家の軒先に置いてきてしまった旨を伝えると、それはまずいので取りに行くと言い、それから乗ってきたトラックタクシーで取りに向かった。
「一緒に行く!」と言うと、
「あんたは先に寝てていいよ!」と屈託のない笑顔で若者の一人が答えた。

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バリ島の人々はバリヒンドゥという独自のヒンドゥ教を熱心に信仰している。さらに信仰心だけではなく、音楽や舞踏、絵画、彫刻などの芸術活動にも熱心である。そして米の三毛作にも代表されるように自給率100パーセントの農業に対してもだ。宗教と芸術と農業、その三つすべてに島の誰もが関わっていると聞いた。

島では一年中毎日、必ずどこかで祭りか葬式か結婚式などの行事が執り行われていると聞いていたが、実際にバイクで一日中走っていると、まったくその通りだった。
祭りがあればその中に入っていき、葬式があれば墓場まで棺を運ぶ行列について歩いた。誰も咎める人はいないし、写真を撮っても何も言われない。

と言うより、色とりどりの晴れ着を着て参列する葬式では、写真を撮っていても、皆ニコニコして喜んでいる。
葬式の暗い雰囲気など微塵もない。棺も極彩色に飾り付けられ、派手なガムラン音楽が墓場の谷間一帯に鳴り響く。死は彼らにとって悲しむべきものではなく、魂が別の肉体へと生まれ変わろうとする祝福の時なのだ。

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そうした行事に勝手に割り込んでいって気づいたのだが、どの行事でも、リーダーシップを発揮するのは決まって村の長老らしき老人たちだった。

若者たちは決して、でしゃばることなく、儀式を執り行う長老の傍らでサポートに徹する。若者たちの老人を見る視線は信頼と尊敬に満ちている。
それゆえなのか、バリ島の老人たちは皆、威風堂々としていた。
迷いがなく、穏やかで、力強い。

ある日のこと、バイクで島の中部に位置するブラタン湖に向かった。
山の中にひっそりと水を湛える湖畔に、ウルン・ダヌ・ブラタンという名の、とても美しいバリヒンドゥ寺院が建立されていた。
しばしの間、誰一人いない湖畔を歩き、その静寂にあふれる別世界に浸った。

きっとこの寺で執り行われる祭りは素晴らしいだろうな。
森に囲まれた静かな湖に響き渡るガムランの音色。
人々から紡ぎ出される詠唱の煌めく響き。
寺院の塔から天に向かって立ち昇る法悦のエネルギー。
精霊たちが舞い踊るこの世ならざる天空の光。
目の前に繰り広げられる空想の世界にひととき遊んで過ごす。

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ウルン・ダヌ・ブラタンから参道を歩いて戻ろうすると、ごつごつした道路わきに小さな手押し車がぽつんと置かれ、その横に鮮やかな紫色の服を着た年配の婦人と、7,8歳位の女の子が座っていた。

二人は日頃から仲がいいと一目見て分かる位、楽しそうにしていた。
近づいてゆくと、女の子が微笑みながら、こちらを見ている。
婦人もじっとこちらを見ている。
手押し車の荷台には鍋が二つ並んでいた。

それは寺院に参拝に来た人向けの軽食を提供するものだった。
しかし参拝客は他に誰もいない。
森に囲まれ静まり返った参道で、いつ来るかも分からない客を二人は待っていた。

「それは何ですか?」と聞くと、
現地語で○#$@△だ、と婦人が答えた。
同じ答えを女の子も言った。
ふたを開けてもらい、鍋の中を覗くと、美味しそうなバリのカレーが入っていた。
鶏肉のスープカレー。
これは頂きましょう。

めちゃくちゃ辛いが、めちゃくちゃ美味い。
まさしく手作りの母の味。
日本で今日流行っているスープカレーの原点はバリ島のスープカレーだそうだ。

がっついて喜んでいる姿を見て、婦人が微笑んでいた。
それまでは見慣れぬ日本人の旅行者に少し距離を置いているようだったが、身振り手振りで美味かったと言うと、本当に嬉しそうに笑った。

写真を撮らせて欲しいと頼むと静かに頷いた。
最初少し緊張しているようだったが、何枚か撮っているうちに、それが溶けていくのが見えた。

すかさずシャッターを押した。

バリ島の老人の、輝く面持ち。
芯の通った、優しく、心の温もりが漂うような。
慈愛と、気品と、知性的な眼差しと、生と死に対する覚悟のようなものを秘めた、そんな微笑みの一瞬。

あなた、力を抜いて生きていいのよ。

人を人として見ている瞳の、一瞬だった。


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