曲里の松並木

画像1 北九州市八幡西区黒崎宿にある松並木。商業地域と住宅地の境目に600メートルにわたって続く。幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、日光の杉並木(日光街道)、安中の杉並木(中山道)、さらに箱根の杉並木(東海道)はその代表的なもの。 昭和20年頃まで黒崎から木屋瀬にかけて街道には多くの松を残していたが、今はわずかにこの辺りが昔日の長崎街道の面影を留めているのみ。
画像2 江戸時代においては、鎖国政策の下で唯一、外国との交易を行う港である長崎に通じる街道として非常に重視された。 筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や西国筋郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府や交易・献上品の運搬にも用いられた。
画像3 街道松と呼ばれるこの巨木は江戸時代から生き続けている2本のうちの1本。昭和30年代には57本が残っていたという。
画像4 江戸後期の狂歌師太田南畝(おおたなんぽ)は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木をゆくゆく坂を上り下りて、また坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」とその紀行文(小春紀行)にこの「曲里の松並木」あたりの描写をしている。(北九州市HP参照)
画像5 砂糖が船運によって、経済発展していた長崎街道地域に大量に運ばれてきたため、菓子文化が他の地域と比べて発達しており、「丸ぼうろ」「カステラ」といった南蛮菓子が残っている。広義の長崎街道周辺には小城や飯塚といった菓子製造業が盛んな地域や、伝統行事に砂糖をふんだんに使う地域が多い。この事から、長崎街道は『砂糖の道』『シュガーロード』とも呼ばれる。
画像6 小倉と長崎をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備されたため、遠賀川沿いや佐賀平野など平坦な箇所もあるが、概して道程は険しく、最大の難所である冷水峠(飯塚市・筑紫野市間)や、最後の難所である日見峠(長崎県長崎市)のほか、現在の佐賀県と長崎県の県境である俵坂峠(佐賀県嬉野市・長崎県東彼杵町間)、当時は筑前国・筑後国・肥前国の三国の境界が接する地点で、現在も福岡県と佐賀県の境界である三国峠(筑紫野市(筑前)・小郡市(筑後)・佐賀県基山町(肥前)間などの難所があった。(Wikipedia参照)
画像7 賑やかな街中にあって、ここはタイムスリップしたかのような異次元空間。晴れた日の夕方は西日が幹を赤く染め、一段と美しさが引き立つ。
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