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野に咲く

 中学一年の時、習字の自由課題として「雑草」という二文字を選んだ。
なぜそんな言葉を選んだのかはよく覚えていないが、書き終えた半紙を見て、高齢の先生が、
「ほう、雑草かあ。雑草のごとく逞しく生きる。いいねえ。」
と言って、ニコニコしていたのをよく覚えている。

字を褒めてくれたのか、それともその二文字を見て、ただ喜んでいただけなのかは定かでないが、そうか、雑草のように逞しく生きるということはそんなに大切なことなんだということを逆に教えてくれたような気がして、中学生になりたての坊主はとても喜んだ。


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雑草は、農地や花壇、生垣、道路、河川敷、その他ほとんどの人間の生息地域では大の嫌われものだが、しかし今でも雑草はいいなと思う。
整備されていない公園の空き地で、ぼうぼうに伸び放題になっている雑草を見つけると、思わず近寄ってじっと見てしまう。綺麗に整備された公園や植物園もいいけれど、荒れ果てた雑草の園は、小さなジャングルを冒険しているみたいな気になれる。


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しゃがんで雑草の背丈に近づいてみると、時に様々な種類の小さな花や虫に出会う。
それらは花にしても虫にしても、どこにでもいる見慣れたものだけど、彼らもまた立派な野生の生き物。人間の手をまったく借りずに自力で生き、自力で繁殖している。
刈られても刈られても、すぐにまた蘇る。
踏まれても踏まれても、すぐに立ち上がる。
花が咲き、虫たちが飛び回る。
すばらしく逞しい世界だ。

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雑草はまた、ただ闇雲に伸びるわけではなく、根や茎、葉などが枯れたときには、その土地にとって不足している養分を補うことができる種類が自然と生えるという驚異的な自然界の節理が働いている。その雑草の生育にとって欠かせない昆虫たちは、また自分たちの生育にとって欠かせない雑草を必要としている。
共生という自然界のエネルギー循環システム。
この雑草の園でもそれが毎日毎日見事に展開している。


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公園の遊歩道を歩いていると、特に雨上がりの朝にミミズが沢山這い回っているのを見る。ミミズが好きだという人に未だかつて出会ったことはないが、ミミズは植物にとって欠かせない益虫である。

ミミズの糞は地球の表面を団粒構造土に変え、保水性、排水性、通気性、保肥性などを高め、植物の生育に適した土壌環境を日々作り続けている。雑木林の中を歩くと地面がふわふわしているのは、腐葉土とその下のミミズの糞の層が厚く堆積している証しだ。


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昔、二十歳の頃にレッドワームという品種のミミズを趣味で飼っていたことがある。
推計およそ20万匹。
その話を人にすると誰もが目を丸くする。よほど変人だと思われたのだろう。
庭の端にブロックを積んで囲いを作り、そこに乗馬クラブからもらってきたトラック一杯の馬糞を敷き詰めておくと、その中で凄い勢いで繁殖し、数か月で馬糞がすべてミミズ糞と化す。

ミミズは雌雄同体。交接する時にはまず、頭に近いところにある、腹巻のような環帯と呼ぶ部分が、向きを逆にして重なり合う。そこで互いに粘液を出し合って、環帯を覆う筒状のパイプのようなものをつくる。環帯の中でそれぞれ精子を相手に与え合い、それぞれの卵子と受精する。
その後二匹がゆっくりと離れていくと、パイプの端と端が閉じて、袋状の卵型に仕上がる、というアクロバティックな産卵をやってのける。


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春と秋の繁殖期には至る所に卵がごろごろ埋まっている。大きさ1,2ミリの小さなレモン型をした薄黄色の卵。中には6,7匹のミミズの赤ちゃんが入っている。2週間で卵から孵り、それから4週間で成虫となる。まさにミミズ算式だ。

赤ちゃんミミズはほんの数ミリ程度。まだ表皮が半透明なので、体の内部が透けて見える。体の前部には丸い心室が三つ並んでいて、ドクンドクンと血液が脈打って流れていくのがかろうじて見える。
大人のミミズは確かに気持ちわるいかもしれないが、赤ちゃんミミズはけっこう可愛い。


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ミミズは人間に備わっている臓器をほとんど持っている高等な無脊椎動物。
牛肉よりも良質な高タンパク質がある。これからの食糧難の時代に見直されるような存在になるかもしれない。昔アメリカでは毎年ミミズ料理コンテストが開催されていたほどだ。

20万匹が排出したミミズ糞の塊は、手作りのふるい装置にかけて、ミミズとミミズ糞とに分け、ミミズは元の住まいに戻し、糞は乾燥させてから袋詰めにして、活性団粒土という名前をつけて、当時アルバイト店長をしていた園芸店で販売させてもらっていた。インド料理には欠かせない食後のチャイに使う茶葉と姿形がそっくりだ。


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お客さんから「何かいい肥料ないですかね」と聞かれると、
「これは植物の生育にとてもいいんですよ!」と言って勧めた。
お客さんはみんな目を丸くして、ミミズの糞がぎっしり詰まった袋を興味深そうに見て、買ってくれた。

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その当時、日本でミミズ研究の第一人者だったN氏という方が滋賀県に住んでいた。50歳半ば位の、とても優しく、バイタリティ溢れる人だった。
ミミズ養殖の専門書を出版していて、是非とも一度お会いしたいと思い、電話をかけてお願いをして、新幹線に乗って東京から一人で出かけた。


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緩やかな丘の斜面に、いくつもの養殖場が点在していた。私の敷地の何十倍もの広さに圧倒された。大きな屋根があり、ミミズの住まいにはきっちりとビニールシートがかけられ、温度と水分が厳格にコントロールされていた。

餌は下水処理場で沈殿した活性汚泥を与えているとのことだった。
ビニールシートをめくると、灰黒色をした活性汚泥が一面に敷き詰められ、その上に見たこともない大きなミミズが群れをなしてラインダンスのように横一列に並び、まだ食べていないエリアに向かって食べ進んでいた。
『クシャクシャクシャクシャ』というような音が聞こえてきた。
ミミズが活性汚泥を食べ続けている音だ。
大量の食欲旺盛なミミズが猛烈な勢いで食べるために聞こえてくる、摩訶不思議な異次元現象のようだった。

N氏から別れ際に、
「おいくつですか?」と聞かれ、
「二十歳です。」と答えると、
「お若いのにえらいですね。がんばってくださいね。」と言われたのをよく覚えている。嬉しい言葉だった。


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だがしかし、その期待に応えることはできず、えらくはなれなかった。数年後、養殖場からミミズが短期間で全部消えてしまう事態となり、あえなくリタイアとなった。生育環境を適切なものにできなかったことが原因だった。
その後N氏とお会いすることはなかったが、ただあのミミズの猛烈な摂食音だけが今でも忘れられない。

もしも下水処理場の活性汚泥を、ミミズの良質な土壌改良用土に転化するというような事業が国内で認知され発展していたなら、人間社会もまた、共生という自然界のエネルギー循環システムの中に一つ加わることができていたかもしれない、と思う。

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森や林、雑草の園でミミズの餌となるのは、植物の葉や茎、根、花、或いは動物、昆虫などの糞などの腐食した有機物だ。
それらをすべて微生物やミミズたちが膨大な量の土壌に変えてゆく。

本当は森や林や畑や雑草の園でも『クシャクシャクシャクシャ』という摂食音はいつも鳴っているはずだ。
ただミミズの密度が養殖場とは比べ物にならない位低いから人間の耳には聞こえない。
耳を澄ませても、やはり聞こえない。


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でも確実に、森や林の木々は育っている。
森が山を守り、山は酸素を生み、水の源となる。
川は栄養を海へと運び、海ではいろんな生き物たちが浮いたり泳いだり。


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海から雲が湧き出て雨となる。
雑草は再び生い茂り、虫たちが飛ぶ。
花は咲き、実を結ぶ。
鳥が虫を食べ、木の実を運び、緑をはぐくむ。

誰もが知ってる当たり前のことだけど、
どこまでも、どこまでも、
いつまでも、いつまでも続いてゆく。

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