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森の奥にあるもの



 誰もいない朝の森を歩く。清涼な空気と静寂が満ちている。ここは北九州市のほぼ中央部に位置する「山田緑地」。野性味あふれる公園だ。公園と言っても面積はおよそ140ヘクタール。東京ドーム30個ほどの広大な深い森である。ここは第二次世界大戦から戦後にかけて、旧日本軍やアメリカ軍の弾薬庫として使用され、約半世紀にわたって一般の人々の立ち入りが制限されていた。そのため開発の手が加えられず、結果として森の自然環境が長期間にわたり保たれてきた。弾薬庫の入り口はブロックで封印されたまま、山の斜面のあちらこちらに今も残る。

北九州市はこの貴重なエリアを守りながら、同時に市民の憩いの場として活用するため、芝生広場や自然観察路を整備し、1995年に「北九州市立山田緑地」としてオープンした。開園前に実施された生物調査では、植物は528種、昆虫は1,366種、野鳥は108種、哺乳類は17種、両生類・爬虫類は21種、魚類は7種が確認されているとのこと。(山田緑地HP参照)

この自然観察路を歩くには、更にゲートがあり、氏名と電話番号を入場証に記入する必要がある。森が深いために入ったら数時間はかかる。万が一に備えるためだ。今までに何度かここを歩いているが、ほとんどいつも誰もいない。先月まではイノシシが出没するために通行止めになっていた山道もある。

ここに来る度に印象が変わっていくのを感じる。景色は変わらないが、自分の見る目が変わっていく。
一昨年初めて来たときには、森の風景を「混沌」と見ていた。
人の手がほとんど加わっていない森は、それぞれの樹々が乱雑に育ちたいように育ち、強い樹は生き残り、弱い樹は倒れて朽ち果てる弱肉強食のような世界に見えていた。

しかし久しぶりに歩いてみると、その印象は「共生」そして「調和」に変わっていた。森の樹々は競争し合いながら生きているのではなく、地中では互いに助け合いながら生きているという生態学者スザンヌ・シマ―ド氏の説を踏まえた上で森を歩くと、見方ががらりと変わってくる。何故そう思うのか、地中深くを覗き込むことはできないから、それを言葉で説明するのは難しい。単なる思い込みかもしれないが、それでもいいと思えてくる。

先日も引用したが、スザンヌ・シマ―ド氏の講演はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=Un2yBgIAxYs&t=145s


見る目が変わったことは写真にすぐに表れた。初めて来たときには、数時間で数十枚しか撮れなかったのが、今回はいつの間にかその数倍になった。琴線に触れるような瞬間が連続して向こうからやってくる。カメラのファインダー越しに覗くより以前にピントが合う。
森の風景から浮かび上がってくるものを何と表現すればいいのか、うまく言葉を紡ぎだすことができないもどかしさ。写真としてそれを表現することも尚更難しい。しかし言葉や写真以上の「何か」がそこには確かにある。思考や感情では捉え切れない自然界の奥深い領域が、目の前の森の風景に重なって際限なく拡がっている。
その「何か」は眼前に、脈々とそこに横たわっている。

この地球という惑星に生きるとはいったいどういうことなのだろう。

その答えは言葉にも写真にもできず、いつもその向こう側にある。
人間の中にも、同じように未知の領域が深く眠っているのだろう。
自分の中を覗いても知ることができない「何か」が、内なる静寂の中にある。
森の静寂の中を歩いているとそう感じる。
神秘はどこまでも神秘。
それを感じるために森を歩く。




北九州市小倉北区 山田緑地




















































Prelude in B minor (J. S. Bach/Alexander Siloti)
Vadim Chaimovich


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