青春の丸型郵便ポスト
昔よく見かけた円柱状の郵便ポスト。そのほとんどが四角いポストに取って代わったが、今でも時々現役で使われているのを見かけることがある。初登場は明治41年。中にはおそらく70年以上使われているものもあるはずだ。
1970年に製造中止。1972年時点では日本全国で約55,000本が稼働していたが、2013年3月31日現在では約5,600本が稼働するにとどまるとのこと。
今ではもっと減ったに違いない。
わが街北九州市では少なくとも3か所は稼働していることがわかった。
かれこれもう50年ほど前の高校時代の思い出話だが、同級生の女の子と文通をしたり、下級生から手紙をもらうということがたまにあった。
どこの家にも玄関や居間などにダイヤル式の黒電話が一台はあったが、家族に知られたくない話は手紙を書くしかなかった。
女の子からの綺麗な色の封筒を見るのはドキドキの瞬間だ。
ハサミを使ってそっと封を切ると、中には封筒とお揃いのうすいピンクやブルー、真っ白などのかわいい便箋が数枚きちんと折りたたんで入っていた。
文の内容はすっかり忘れてしまったが、大抵は悩み事の相談や恋心などの本人の切実な思いがびっしりと綴られていたように思う。
文字は小さくてか細く、万年筆で丁寧に書かれていた。片隅に添えられた小さなイラストも手書きだった。
返事を書くのは一苦労だった。自分も万年筆を使ったが、文字を書き間違えたり、インクを滴らせたり、文章も読み返すと気に入らずに書き直したりと、結局1回数枚の手紙を書くのに便箋を一冊すべて使い果たしたりということをよくやった。
書き損じた紙は家族に見られないように庭でこっそり燃やしたりもした。
数日かけてやっと書き上げた便箋数枚を封筒の大きさに合わせて折りたたんで入れ、チューブに入った糊で封をし、宛名を書き、20円切手を貼り、深夜になってからこっそり自転車に乗って、近くの郵便ポストまで走った。
人通りの途絶えた商店街にあるポストは、周囲の暗闇に紛れてひっそりと立ち、そこだけが街灯に照らされ、ぼんやりと赤く光っていた。
このポストの投函口は自分の想いが自分の手から解き放たれ、相手の手に自分の想いが届けられるための入り口であり、その先はもう修正できないという緊張の一瞬だ。気合いを込めて封筒を差し入れると、底にたまった別の郵便物の上に落ちる微かなカサッという音が円柱状の空洞の中で微かに反響した。
いろいろな思いがそのポストの中には重なって入っていたことだろう。
手紙を書き終えてから投函するまでの一連の流れには「小一時間」はかかっていたはずだ。
今パソコンやスマホで送信ボタンをクリックする「数秒間」という時代に進化するなどということは当時はまったく想像できなかったことだ。
相手に手紙が届くまでにはそこから更に2日以上かかった。
返事が再び来るまでは早くても5日。来ないときもある。
悶々とする日々が手紙を出した後にしばらく続くことになる。
しかしその悶々とする長い間、互いの言葉を繰り返し読み直したり思い浮かべたりしていたことは決して無駄な時間ではなかったはずだ。
相手の気持ちの奥には何があるのか。
自分の気持ちを正直に書けたのか。
相手にちゃんと伝わる文が書けただろうか。
傷つけたり悲しませるような言葉は使わなかっただろうか。
手書きで書いた互いの言葉を反芻し続けることは、人間関係についてまだ何も分かってはいなかった自分を知るためには貴重な機会だった。
再び明るい返事の手紙が送られてきた時にはほっとした。
学校の廊下ですれ違った時に悲しい顔をしてうつむいていたり、返事が返ってこなかったりという時には、しばらくの間自分もまた暗い気持ちを引きづった。
大人社会の人間関係へと突入する前に、そうした基礎訓練のようなものに真剣に向き合えたことは、今思えばすべていい経験になった。
街中で丸くて赤い郵便ポストを見かけると、そうした甘酸っぱい思い出がおぼろげながら蘇る。
のんびりほのぼのとした時間の流れがそこにはあった。
差し出し口がどことなく笑っている口元のようなところもまた懐かしい。
やはりポストは丸いのがいい。
当時のポストも本当は笑っていたのかもしれない。
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