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ドイツの生活。『ドイツ人って?』

ドイツに住んで以来、旅行で日本から来た知り合いの日本人や、日本に帰った時に会う旧友から、いつも同じような質問を受ける。
『ドイツでは、食事はいつもソーセージとジャガイモなのか?』
『ドイツでは、昼ごはんの時からビールを飲むらしいが、酔っ払わないのか?』
『ドイツ人女性が結婚する際、30種類のジャガイモ料理をできないといけない時いたけど、本当か?』
これが、私がドイツに来て以来、25年間も変わらずに聞かれる質問だ。日本人のドイツ人に対する認識は、インターネット上にありとあらゆる情報があふれる今日に至っても変わっていないのか、それとも私の知り合いは特別で、この25年間、ドイツについて全く聞いたことも読んだこともないのか。この恥ずかしいような質問に対する答えは、簡単である。全てに対して『いいえ、違います』である。
同様の質問をドイツ人が日本人にすれば、彼らはどう答えるのだろうか。
『日本人は、毎食、寿司を食べているのか?』
『日本人は、みんな、サムライなのか?』
『日本人は、みんな、過労死で死んでいくのか?』
『日本人女性が結婚する際、30種類の豆腐料理をできないといけないのか?』
確かに、毎食、寿司を食べる日本人もいるかもしれない。侍の心を持って生きている人もいるかもしれない。ある人々は将来、過労死するかもしれない。30種類の豆腐料理ができる、結婚している日本人女性はいるだろう。
私は、だいたい『ドイツ人は…である』なんてことは全く言えない、と思う。ドイツ人という単一のグループは存在しない。ドイツに住む人でも、ドイツ国籍を有する人、EUの他の国籍を有する人、その他の国籍の人、戦禍を避けて難民としてドイツに在住する人、会ったことはないけど、無国籍の人もいるかもしれない。日本人と同じく、色々な性格や異なる目の色、肌の色、髪の毛の色、背の高さ、コーヒーが好きな人、お茶しか飲まない人、人懐っこい人、怒りっぽい人、優しい人、ドライな人、なんでもある。
宗教も色々ある。イスラム教の人、カトリックの人、プロテスタントの人、仏教徒と名乗る人、キリスト教オートドックスの人、他の宗教の人。宗教を信仰していると言っても、その度合いも様々である。私の知っている人々の中、色々な宗教の人がいる。生まれた時、親が赤ん坊の本人に意見も聞かず、教会で洗礼を受けさせたものだから、規則的にはプロテスタントで、教会の記帳にもそう残っているけど、自分では無宗教的な気分であるという人。毎日曜日、教会のミサには出席しない。かといって、子供が喜ぶので、毎年12月25、26日のクリスマス(だから、ドイツ語のクリスマスにあたる単語Weihnachtenは複数形である)には、家族で少し贅沢な料理を食べる習慣を続けている。カトリックの洗礼を受けたというか、幼児に勝手に受けさされた人。市役所に出生届や転入届を提出する際、宗教の有無を聞かれるので、カトリックですと答えて登録されると、毎年、確定申告で宗教税を取られる。中には、宗教税が払いたくなくて、カトリック教会から足抜けして、市役所にも無宗教です、と届け出る人もいる。もちろん、イスラム教の人もいる。1950年台のドイツの奇跡的経済成長期に、働き手として移民してきたトルコ人やその家族は、彼らが移民する前に自分たちの住む村で日常的に行っていたイスラム教の教えを守り、現在では旧弊とも思える宗教上の習慣も忠実に履行している人もいる。その全くその反対で、ドイツの生活に慣れるとともに、それらの習慣を行うことを辞め、無宗教になった人もいる。会ったことはないけれど、カトリックを信仰する過程で大きくなったドイツ人と結婚して、カトリックに改宗した人、宗教上に違いから、親にその結婚を反対されて、出奔してしまった人もあるだろう。私の知り合いの、カトリックの家庭に育ったドイツ人は、イスラム教を信仰するインドネシア人の奥さんと結婚するために、イスラム教に改宗した。その後、奥さんと離婚するも今日までイスラム教の教えに忠実に従っている。宗教に関して、ドイツ人は様々である、としか言いようがない。
日本に行った時、ドイツに長く住んでいる私によく投げかけられる質問の一つに、『ドイツ人気質』に関するものがある。ドイツ人は、正確で、几帳面で、清潔好きで、云々という話である。これらの情報がどこから出てきたのかは知らないが、私の知っている範囲で、正確で、几帳面で、清潔好きなドイツ人は少なからずいるが、その反面、何事に関しても不正確なことしか言わないドイツ人も知っているし、全く几帳面でないドイツの同僚も沢山いる、不清潔が好きなドイツ人には会ったことがないけれど、特に綺麗好きではないドイツ人は沢山いる、というか、私の知っているドイツ在住の人は、数例の例外を除いて、みんな特に綺麗好きではない。日本のテレビのサッカーの解説で、コメンテーターや元サッカー選手が『ジャーマン魂(German mentalityというものの日本語訳なのか?)』という言葉で、ドイツのサッカーチームやナショナルチームのサッカーの仕方を説明する場面を、何度も目にしたことがある。私自身は、サッカーに刺して興味はないけれど、話している言葉がわかるドイツやオランダ、イギリスのメディアや新聞、雑誌でこういう『ジャーマン魂』なるものを聞いたことも、読んだこともない。もちろん、私の見聞きできた情報の量は非常に限られているので、私が知らないだけで、こういう言葉でドイツのサッカーを表現する人々もいるのかもしれない。しかし、いつも思うのは、なんか雑多な表現だなあ、ということである。ドイツのブンデスリーガ1部のチームは、世界中の国々から来ているサッカー選手の混成部隊である。従って、国籍だけで行っても、ドイツ国籍の選手のみということはない。ドイツのナショナルチームでも、選手はドイツ国籍であるが、複数の選手は、移民してきた家族背景を持っている。こういう背景の元で、『サッカーにおけるジャーマン魂』なんて言葉を耳にすると、何か違和感を感じる。そういうのは、私だけなのかもしれないが。
詰まるところ、ここに書きたいことは、『ドイツ人たって、色々である。日本人も個々人が違うように、ドイツに住む人もそれぞれ色々個性的で、一つの色には括れない』ってことだ。

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