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言葉と感情の棚卸し

人に会う機会が極端に少なくなった。
話す機会が極端に減った。
人の話を聞く機会も極端になくなった。

一方で、ぽつんと頭の中で生まれた言葉を回遊させる時間が増えた。
自分の心とゆっくり、じっくり、向き合うことが増えた。
今まで無頓着だった自分の感情のちょっとした棘に気づけるようになった。

良いか悪いか、損か得か、白か黒か、0か100か。
2極化したものさしで物事を判断したがり、自分の感情は最近マイナスの方向にあるなぁと気づく。
それに気づいて、(そこに気づいてしまったことで)自分の感情は今マイナスなんだなぁと改めて実感させられる。
気づきたくなかった「それ」はちょっとしたショックとなり、その小さなショックを積み重ねて感情が沈む。
ため息がこぼれる、感情が上がらない、あげられない。

感情を動かしたいなと思うと作品に手を伸ばす。
小説、エッセイ、漫画、雑誌、アニメ、ドラマ、洋画、邦画、音楽。
主人公が頑張って困難に立ち向かう姿を見ると憧れる。
「私もこうありたい。強く立ち向かえる人間になりたい。」と。
やりたいことを遠ざけたり、僕には・私には出来ないと断言している登場人物を見ると安心する。
「私も同じ気持ちだ。そう思ってもいいんだ。」と。

ここ数年で挑戦する事に慎重になった。
「臆病になった」の間違いかもしれないけれど。

常に何かに挑戦していたい。わくわくしたい。
あれやってみよう、これはどうかな?こんなことも出来そう!
自分はそんな好奇心旺盛な人間だった気がする。
今もそうありたいと思うし、これからもそうありたい、それこそが私を作る一つの要素だと思っていた。
でも、また出来なくなっちゃうかな。
目標が突然無くなるあの感じ、それに立ち向かうのはもう自分の気持ちが耐えられないな。
なら、挑戦しなくていっか。今じゃなくていっか。また今度でいっか。

その「今度」っていつだろうね。
でも、まあ私は140才まで生きる予定だから今頑張らなくて良いか。
今までが上手くいきすぎてただけかもな。
何に生き急いでいるんだろう。
就職活動遅らせたときに思ったじゃん。
「どこかで足踏みしてもそれでいい」って。
忘れちゃってたね。
もう少しだけ穏やかに過ごしていたら、また色んな事に挑戦したいって思えるかな。

もう少しだけの我慢だと思いたい。
「我慢」って言うと苦しくなっちゃいそうだから「種まき期間」とでもしますか。
しっかりと大地に根を張って、おっきな綺麗な花を咲かせるための「種まき期間」。




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