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先生 と 師匠(なにか と なにか#4)

先生と師匠は似て非なるものだと思う。

辞書を引いてみると、お互いの単語にお互いの単語が出てくる。単語的にはこの単語は同義で、他にインストラクターなども似た言葉として取り上げられている。

しかし、師匠を先生と呼ぶことはあっても、先生を師匠と呼ぶことはない気がする。インストラクターはなおさらだ。先生と呼べる人は何人もいるけれども、師匠となると極端に減る(私の場合はいない)。

やはり師匠と弟子という関係は先生と生徒という関係とは違っている。

先生と師匠、なにが違うのか。教える内容と期間が違う気がする。

先生というのは、学校の先生をイメージすれば分かる通り最長でも6年のケースが多い。1年で変わることもあるし、それより短いことも珍しくない。卒業すれば別の学校へ進学し、新たな先生に教えてもらう。先生側も別の生徒を教えるので、転々と関係性が変わっていく。

一方、師匠というのは「弟子入り」するくらいなので期間がとても長い。漫才や落語家の場合は永遠に師弟関係が残る。ナイツのお二方と内海桂子師匠のような感じだ。(内海桂子師匠は8月にお亡くなりになったそうです。御冥福をお祈り致します)20年間という期間は、先生と生徒で続くことはまずないと言っていいだろう。

塾で先生をしていると、さらに短い1年、半年というレベルのスパンで生徒が変わる。長い子は3年以上担当することもあるが、短い子となると体験授業のみ、50分なんてこともザラだ。最早先生と生徒とも言えないような関係は逆に寂しさすら感じる。そんな「子供たち」に私は何かを教えられたのだろうか。先に生きているだけでは先生になれない難しさを感じる私の塾講師ライフでした。



私はまだ継がせる能力はないけど、少しだけ弟子に憧れてます。自分の知っていることを全部知っていて、さらにその先を行く存在。人生の短さを克服して、巨人の肩の上に立てたような。私の失敗や成功まで、全て伝えた弟子がいたら面白いだろうな。

いつか私に子供ができたら、そんな感じで子育てしちゃうかもしれないですね。

とりあえず継ぐ内容を作るために、研究や文章で遺作を書いていかなければ。




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