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『ヘッドハンティング』(8) レジェンド探偵の調査ファイル(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第四話】ヘッドハンティング

 私が才川氏に関わったのはこの一回だけで、依頼人から引き受けた調査でも、不法な行為をしたわけではない。逮捕はまさに青天の霹靂だった。しかし、取り調べを受けるうちに、私にかけられた容疑が少しずつわかってきた。
 逮捕から三週間が経過、否認のまま起訴された私は、十二月七日、足立区小菅にある「東京拘置所」に移された。警察の留置所では、完全黙秘をしていた私は、独房であった。独房に一人きりにするのは、警察独特の一種の拷問である。常人は誰とも話をしない日が続くと、何でもいいから何か喋りたくなるものである。そのうえ、他の房の被疑者には読書を許しながら、看守は、私のところにくると、「ああ、お前は要らなかったんだな」などと、本をわたしてくれない意地悪をする。ところが、私の罪状を理解している警察官は、こっそり飴玉をくれたりした。
 一週間に一度、風呂に入ることができ、この間一度、近所の医者がやってきて、健康診断もした。
 S署や検事の取り調べは、きわめて簡単なものだった。「依頼人を教えてくれ」の一点張りである。
 私に対する容疑は恐喝未遂で、なんとT社の推定被害金額は、四十億円とのこと。「何ですか、それ」と、私は大笑いしたが、堀川刑事はくそ真面目な顔で、「才川さんがT社にとってそれだけの価値があるということだよ」と言う。
 しかし、「彼はT社を辞めていないじゃないですか」と私が反論すると、堀川刑事は謎めいた仕草をしながら、「とにかく依頼人の名前を言ってくれれば、すぐ出すから」と言って、あらためて私に対する逮捕状を見せた。そして、ある一点を指差し、意味ありげな顔をする。何事かと目をこらして見ると、逮捕理由の欄に「脅迫」と書かれた跡があり、そのあと「恐喝未遂」と書き直されている。堀川刑事は、「捜査に協力すれば容疑を脅迫に戻してやる。そうすれば悪くても罰金ですむだろう」と暗に言っているのだ。
 検事も同様で、「依頼人の名前を言ってよ。そうしたらすぐ帰すから」と言って、他のことは何も聞こうとしない。
 私は考えた。仮に私の行為が犯罪で、それを依頼した人物を共犯者として逮捕したいのなら、一方の私を「すぐに帰す」ことなんかできないはずである。息子ぐらいの若い検事は、何としても依頼人の名前を言わない私に業を煮やし、小生意気な顔で「長くなるよ」と脅す。
 私もまだ若かった。我が子みたいな年の坊やに馬鹿にされたような気がして、言わずもがなのことを口にしてしまった。
「検事さん、俺は探偵だよ。何のことだか知らないけど、探偵がそんなにペラペラしゃべっちゃ商売にならねえんだ。あんた、長くなるって言ったけど、間違っても死刑になんかできないだろうから、気のすむまで調べなよ」
 と、いま思い出すと恥ずかしくなるような啖呵を切ってしまった。若い検事も腹が立ったのだろう。私はそれから、警察の留置場と拘置所を合わせて、六十五日間も拘束されてしまった。
 容疑否認のまま起訴された私は、S警察署から小菅の東京拘置所に移され、保釈で出るまでの一ヵ月半を塀の中で過ごした。

 はなはだ不謹慎ながら、拘置所での生活は、快適だった。
 移監された日に、看守が「オイ、差し入れだ」と言うので、何だろうと思っていると、羽毛の寝具一式が届いた。もちろん、妻の仕業である。拗ねて言うのではないが、私は、雑草みたいな人間だと思っている。擦り切れた畳に、誰が寝たかわからないせんべい布団でも、一向に構わない。何処でもすぐ寝れるし、大概の人とはすぐに親しくなれる。警察と違って、雑居房だったので、話し相手も多く、読書も自由、何より食料品が豊富で、油断すると太るのではないかと思うほどだった。
 同房の者たちは、新入りの私に、豪勢な寝具が届いたものだから、大騒ぎだ。足だけでも入れさせてくれと言う者。一晩だけ貸してくれと言う者。とにかく煩わしくてしょうがない。妻は、単純に、私の体を心配したのであろうが、こんな所で、目立つのはよくない。私は、皆より若かったりしたら、間違いなくイジメに遭っていただろう。
 幸い、というか、恥ずかしながらというか、私が一番年長だった。そのうえ、内容はともかく、罪状は「恐喝未遂」だ。若いヤクザなど、「先輩、先輩」と呼び、完全に一目置いている。
 そんなわけで、しばらくは楽しく過ごした。
 しかし、数日すると退屈になり、一計を案じた私は、そのころには、もう私の子分みたいになっていた同房の者と語らい、差し入れられた雑誌の厚いところを切り取り、マージャンの牌を作った。同じ房には、泥棒が三人。シャブ(覚醒剤)が四人。暴力行為一人。加えて私の、総勢九人である。私は、その内、チンピラの薬物犯に、シキテン(見張り役)をやらせ、看守が近づくと、パッと止め、手作りの牌を本で隠したりしながら、慌ただしいゲームを楽しんだ。そんな遊びにも飽きたころ、保釈が許可され、晴れて市井の人と成ったのである。

 妻は心配して弁護人をつけ、不当逮捕だとして抗ったが、弁護士の意見は一致しており、説得された私は「依頼人に嫌疑が及ばない」という確約を得たうえで、「すべて私の一存でやった」ことにした。
 寂しい現実ながら、弁護士たちの見解は、「裁判所が探偵の君と上場会社の重役を比較して、どっちの言葉を信じるか考えてみてください」だった。そう言われて、反論するほど無知でもなく、あくまでも、依頼人の名前は言わないとする私の主張を、弁護人が理解してくれたうえで、私は国家権力に降伏した。
 読者の方は、きっとこう思うのではないだろうか。
「依頼者はもともと暴力団で、裏で、T社を恐喝まがいに脅していたのだから、早く依頼人の名前を言えばいいのではないか」と。
 確かに、取り調べはこの一点に絞られていた。
 警察は、「W社の村井支社長の依頼のもとに、才川氏のヘッドハンティングを私が代行した」このプロセスを私に供述させたかったのである。
 しかし、私は守秘義務を堅持しなければならない探偵である。たとえ、依頼人が犯罪者だったとしても、報酬を受け取った以上、私はギリギリまでその人を守らなければならない。
 いまでも思う。あのとき私を逮捕し、取り調べた堀川刑事は何を考えていたのだろうか。検事も、頑として依頼人のことを言わない男を見て、どう思い、何を根拠に起訴相当の判断をしたのか。若い検事ひとりの判断でないことぐらい私にもわかるが、彼らの職業倫理を問うてみたい。

(9)につづく

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