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『山中湖にて』(3) レジェンド探偵の調査ファイル,浮気調査(全11回)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第五話】山中湖にて

 私はきめが細かい色白肌の彼女の顔を見ながら、(この女性は、もしかして私をからかっているのではないだろうか?)とさえ思った。そうでなければ、よほどの世間知らずだ。あらためてみると、美しい彼女の顔が白痴のようにも見えた。
 チラリと恵美子を振り返ると、彼女も読書をやめて、私がどのように決着をつけるのか興味を抱いた様子で聞き耳を立てている。恵美子は、電話番はむろん、経理や総務、あるいは調査助手もこなす、わが探偵事務所の〝ゴッドマザー〟的な存在である。事務所で働くようになって十年ぐらい経つが、採用したというより押しかけてきたという感じだった。その当時、幼稚園の先生をしていた彼女とひょんなことで知り合い、たまたま私が自分の書いた報告書を見せると、「弟子にして欲しい」と言い出し、そのまま事務所に居着いてしまったのである。
 余談になるが、彼女が事務所に押しかけてきたところ、私は神田駅前から四谷駅近くに事務所を移し、私のほかに調査員もいない一匹狼として仕事をしていた。信用調査はA社の依頼で取引先企業の業績などを調べるのだが、相手先に「A社に頼まれまして」とは言わないまでも、調査の依頼があった事実を告げて聞き取り調査を行う。そのあと、聞いたことの裏付けをとり、報告書にまとめる。これは正面から被調査人(または会社)に直接調査する「
直調」が基本である。受件件数こそ多いが、いわゆる薄利多売で、利益率は少ない。一般的に「興信所」と呼ばれる調査会社がこの仕事をしている。
 これに対して、マルヒ(被調査人)に接触せず、相手に気付かれないように秘密裏に調査業務に当たるのが、いわゆる探偵社と呼ばれる調査会社である。場合によっては(法律の範囲内で)盗聴なども行うこともあり、高度な調査技術が要求される。利益率が高いこともあって、私の事務所では次第に「探偵」業に移行しつつあった。
 恵美子は「探偵業務」を頼んできた依頼者に、私がどう対応するか、興味があるようだった。恵美子に尊敬されていると自負していた私は、背中に彼女の目を感じながらちょっと緊張していた。
 このところ、事務所は暇である。さて、依頼人の仕事を引き受けるか、それとも断るか。選択いかんで私に対する恵美子の評価も変わるはずだ。私が迷っている間、依頼人もしんとしていた。
 意思が固まった。私はおもむろに口を開き、言葉を選びながら話を切り出した。
「いいですか長谷川さん、よく考えてください。はっきり言って申し訳ないけど、小さな子供がいる岡田先生が、そうそう簡単に離婚するとは思えないんですよ。はっきり言って、あなたはその男に騙されていると思いますよ。世間にはよくあるケースです。離婚するという男の言葉を信じるほうが愚かなんです。そりゃ、彼だって最初からあなたを騙すつもりじゃあなかったかもしれないし、本当に一目惚れしたのかも知れません。しかし、僕に言わせれば、あなたはなにも離婚することはなかったんですよ。不倫のままで良かったんじゃあないの?二人とも真面目過ぎるんだと思いますよ」
 すでに家庭を棄てて、もう引き返せない彼女にこう話すのは少々酷かもしれない。こう思いながら、私は続けた。
「つまりね、あなたがおっしゃったことは、調査をするまでもないことなんですよ。彼が奥さんと別れて、あなたと結婚することは絶対にないと思います。もうそんな馬鹿なことを考えないで、違う生き方を見つけたほうがいいと思いますよ」
 後ろの美恵子を振り返ると、彼女は「そうね」と相槌を打ち、
「旦那さんやお子さんのところには戻れないのですか?」
 と聞く。何のことはない。二人で人生相談のボランティアをしているようなものだった。
 こんなとき、他の探偵社なら、きっといい鴨が来たと思って引き受けるところもあるだろう。わが探偵事務所が調査員の机さえないぐらい狭いのは、このせいかもしれない。
 下を向いて、私たちの話を聞いていた彼女は口元にフッと自嘲気味な笑みを浮かべて、
「所長さんの言うことは、ごもっともかもしれません。私も……私も悩んで自殺を図ったぐらいでした。でも結局、死に切れなかったのですが……」
 私は、こんな話を聞いても(どうせ本気で死ぬつもりはなかったんだろう)と内心考えていたのだが、その自殺未遂談を聞いて驚いた、彼女のとった自殺の方法は、なんともすさまじいものだった。

(4)につづく

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