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『山中湖にて』(8) レジェンド探偵の調査ファイル,浮気調査(全11回)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第五話】山中湖にて


 調査は三週間目に入ったが、その結果はどれもこれも依頼人の意に沿わないものだった。
 マルヒの家を見に行って私が推測したとおり、岡田夫妻は円満だった。二十六歳の若い妻は二人の子供にも恵まれ、幸せを絵に描いたような日々を送っていた。
 マルヒの妻について調査したところ、父親は某私大の教授で、謹厳な家庭環境だったものの、経済的には何不自由なく育てられたようだった。短大を卒業すると、すぐに父親の友人の紹介で岡田教諭と見合いをして、その一年後に結婚した。働いた経験がないため、彼女も依頼人同様、世間知らずの一面はあったのだろうが、主婦としてマイナス材料にはならない。彼女の友人の中には、
「あまり物事を深く考えるタイプではなかったわね。だけど、それが彼女の魅力といえば魅力かもしれないな。いつもニコニコして、よく言えば天真爛漫な性格よね」
 こう評する人もいた。
 こんな調査結果は依頼人に電話で報告していたが、調査四週間目に彼女が、ある提案をした。
「彼の奥さんは私たちのことをまったく知らないんだと思うの。だから、彼が離婚したいと言っても、応じないわけでしょう? 離婚を進めるために、私の存在を奥さんに知らせるってのはどうかしら」
 私も、なるほどと思った。
「あの人は、奥さんに夜釣りに出かけるという口実で私のところに泊まる。その
とき、彼は車を私のマンションの駐車場に置く」という彼女の言葉にヒントを得て、私はある工作をすることにした。
 マルヒが依頼人のマンションに泊まった夜、私は依頼人のマンションに停めてあるマルヒの車(ジープ)のバックミラーを壊す。そして、マルヒのマンションの家主を装って、所轄の交番に「来客の車が壊されて、弁償したいという人が来ている」と通報する。
 私は不注意で車のバックミラーを壊した張本人として近くで待機し、手にゴルフクラブを持って、警察官が来るまで神妙な顔で待っている——。
 結構当夜、すぎに近くの交番から駆けつけた巡査は、マルヒのジープを確認すると、トランシーバーで連絡して車両ナンバーから持ち主を調べた。すぐ岡田教諭の車だとわかったのだろう。巡査は岡田教諭宅に電話した。夫はいないから、当然、妻が電話に出るはずである。
 待つこと二十分。マンションの坂の下からカーディガンを着たマルヒの妻が現れ、巡査と何か話している。私の予想は的中した。間もなく巡査は私を手招きして、岡田教諭の妻に引き合わせた。
「奥さん、この人なんですよ。ゴルフの素振りをして、うっかりご主人の車のバックミラーを壊したのは。修理にかかる費用を弁償したいと言っていますので、お二人で話し合ってください」
 こう言うと、習慣になっているのだろうか、どちらにともなく敬礼し交番のほうに立ち去った。
 岡田教諭の妻は、
「あの、この車はここにあったのですね?」
 私にこう聞いて、「おかしいなぁ」などとつぶやいている。
 それはそうだろう。釣りに行ったはずの夫の車が一体どうしてこんなところにあるのか。不思議に思うのも当然だ。
 お巡りさんの話だと、夫の車は最初からこのマンション駐車場に置いてあったという。そして、横に立っている男がゴルフの練習をしていてミラーにクラブを当てた。だが、なぜここに夫の車があるのか? それがさっぱりわからない。
 私が首をひねっているマルヒの妻に、
「本当に申し訳ありません。弁償いたしますので、金額がわかったらご連絡ください」
 こう言って、連絡が付くがこちらの身分は判らないように工作してある名刺を彼女に渡した。ところが、岡田教諭の妻はよほど混乱していたのだろう。
「いえ……あの結構です」
 名刺を受け取ろうとしない。私のほうは、せめて修理代だけでも払いたいと思い(修理代は依頼人に請求するつもりだったが)、
「じゃあ、とりあえずいくらかでもお支払いしておきましょうか」
 と言ったのだが、彼女は、
「いえ、でも本当に結構です」
 と言って、もう一度首を傾げると、車に乗ってエンジンをかけた。
 私もこれ以上はいいだろうと思い、車に乗っている彼女に丁寧に詫びてその場を去った。
 岡田教諭の妻が車に乗って自宅に帰る途中、様々な疑問に思いを巡らせたことは想像に難くなかった。
 なぜ、夫の車があんなところにあったのだろう? 釣りに行ったという夫は、いま一体どこにいるのだろう? そういえばあのお巡りさん、通報してきた大家さんが「車はこのマンションによく駐車している」と言っていたけど……なぜあんなところに夫はいつも車を停めていたのだろう?
 岡田教諭の妻は、こんな疑問を夫が帰宅したら聞くはずである。マルヒの返答次第では、浮気に気づいて夫婦仲がおかしくなり、依頼人が望む離婚に発展する可能性もあるはずだ。私は、帰りの車の中でこんなことを思いながら、(探偵家業も因果な商売だ……)と苦い顔をしていた。
 仕事とはいえ、依頼人のために、何も知らず幸せに暮らしている二十六歳の若妻を悩まし、最悪の場合(依頼人にとっては最良の場合だが)、彼女はもちろん子供の人生まで変えてしまうかもしれないのである。
 マルヒである岡田教諭は自業自得としても、妻やその家族にはこれっぽっちも罪がないのである。だが、私は、探偵は依頼人の意向に沿って仕事を遂行しないといけないし、たとえ公序良俗に反しても、場合によっては目をつぶってやらなければならないこともある、と思っている。探偵とはそんな商売なのである。

(9)につづく

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