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『漁火(いさりび)』(8) レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第一話】漁火(いさりび)

6 前半

 この調査はかなり運がよかったケースと言える。聞き込み調査の段階で事件解決の鍵になる情報が得られず往生することも多いのだが、あの主婦のおかげで、マルヒが漁師として働いていることがわかった。きっと駒田は、今日も“出稼ぎをして買った”漁船に乗って漁をしているはずだ。
 私はレンタカーでS港に行くと、漁業協同組合や港で働いている人たちに聞き込みを重ねた。その結果、マルヒは昨年秋、約八百万円で船内機仕様(エンジンが船内にあるタイプ)の漁船を購入。「M丸」と名付けて漁業組合に登録したことや、漁協の組合員となって毎日漁に出ていることがわかった。これで今回の調査の九十パーセントは成功したも同然だった。あとはこの事実を裏付ける証拠写真を撮り、マルヒが通院しているという病院の調査を加えればいい。私はすでに漁を終えて港に停泊しているM丸を確認すると、民宿<はまゆう>に帰った。

 翌朝の午前五時。まだ夜が明けないころ、私は宿を出るとS港に行ってみた。マルヒの船はすでに出航したようで港に停泊していない。M丸の出航の様子は見ることができなかったが、写真を撮るには暗すぎると思っていたのでそれほどがっかりしなかった。写真撮影は帰港したときと決め、いったん宿に戻って仮眠を取った。
 午前十一時、再びS港に行き、直ちに張り込み態勢に入った。北国の早春の海風は冷たく、コートの襟を立ててもなお寒い。昼十二時、民宿のおかみさんに作ってもらったおにぎりを食べる。
 ちょっとしょっぱいおにぎりを食べ終わると、私は望遠鏡で沖を見ながら辛抱強くM丸が帰港するのを待った。
 沖合から目にも鮮やかな大漁旗をなびかせた十数艘の船が向かってくるのを発見したのは、午後一時三十分である。私は張り込みをしていた堤防から降りると、船着き場に行った。カメラにフィルムが入っていることを確かめ、撮影ポイントを決める。漁船の群れ焦ったいほどゆっくり港に近づき、やっと先頭の船が着眼したのは一時四十二分だった。それまで静かだった港がにわかに活気づき、漁師たちのかけ声とともに、水揚げされたおびただしい量の魚が待機していたトラックに積み込まれる。
 それから三十分もしないうちに、港は次々と色とりどりの大漁旗をなびかせた漁船が帰り、船着き場は漁船であふれかえった。私は船着き場を早足で歩きながら船の名前を確かめたのだが、そのなかにM丸の姿はない。港はもう他の船が入る余地がないぐらいひしめいている。
 私は少し不安になり、沖をもう一度望遠鏡で見てみた。青一色の海原には港に向かってくる船は一艘もない。
 私は意を決し、荷揚作業を終えて岸壁に繋がれた船の甲板でタバコを吸っている漁師のひとりに聞いてみた。
「M丸が見えないようだけど、今日はお休みなんですかね?」
 日焼けして真っ黒な漁師は、のんびりとした口調で言った。
「ううん、出はってらったよ」
「えっ? 出はってらった?」
「そうさぁ」
 五十歳くらいの漁師は首に巻いた手ぬぐいで手を拭きながら答えたのだが、なまりが強くて言っている意味がわからない。
「あの、“出はってらった”というと?」
 漁師は私の問いに親切に説明してくれるのだが、今度はその説明がわからない。何度も聞き返す私に、漁師は次第に不機嫌になった。
(これはまずい)と思った私は「ありがとうございました」と丁寧に礼を言うとその場を離れた。
 もう一度、船着き場のはずれに行って、作業を終えた漁師に、
「あの、M丸はまだ沖ですかね?」
と聞いてみた。先程の漁師よりも少し若いその漁師は、港を一回り見て言った。
「M丸だら、今日は○○さ入るんでねべか」
 後で思うと、○○はS港の近くにあるK港の名前だったのだが、そのときは何を言っているのかさっぱりわからなかった。
 二度三度と聞いてもわからないので途方にくれた顔をしていると、その漁師も自分の言ったことが私に通じなかったことがわかったのだろう。ちょっと困った顔をしている。二人はなんとなく顔を見合わせて笑ってしまった。

(9)につづく

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