仕事とは

 人間苦しいど真ん中にいるときは、自分の苦しみが一番大きい。自分が悲劇のヒロインになったかのように思う。しかし実際はそんなことはない。1個1個がどんな人が体験するかによって、その苦しみの大きさは違ったものであり、簡単に比べられるものではない。

 最近思った以上に仕事が大変な状況になってしまっている。
 まだ新卒2年目のペーペーなので、そんなに気にしなくてもいいよと先輩社員からは言われつつも、申し訳なさを感じている毎日である。

 やはりその中で考えたのは今の仕事をいつまで続けるのだろうということである。
 これまで楽しくできていたはずの仕事、苦しいことはあっても辛さをともなう苦しみはなかったはずの仕事が今回は相当心身ともに削られている。
 僕自身の仕事ってなにくらいのところの整理がてら書いてみようと思う。
 書いた内容がきれいごとだとか、世間知らずだとか思われることも重々承知の上である。

◉僕にとって仕事とは


 僕にとって仕事はどこまでいっても手段である。最も大きな点からいえば、仕事をして働きその対価として収入をえる。収入をえるための手段の一つ。
 また何か人から認められたい、評価されたい、能力を磨きたい、そういうものを達成するための道具として仕事は存在していると思っている。
 ということは、道具、手段である以上、そこに囚われるというのは間違いである。●●という仕事をしなければならないということは起こり得ない。どんな仕事であったとしても、どんな目的のためにする仕事なのか、そこから逆算した上で最適解を導き出すものとなる。
 だから仕事によって体調を崩してしまうということは、本来的にはおかしいということになる。もちろん圧倒的に仕事で成果を出すためには、他の追随を許さないほどの労働時間をかけることが必要となる。しかしそれで体調を崩してしまうのは人生自体を破滅させてしまうので、少なくとも僕として極力避けたい。
 

◉仕事であっても認められないもの


 仕事であっても、僕の考え方やポリシーに反するものは極力避けるようにしている。
 もちろん仕事であり、そこにはお金と責任が発生してしまっている場合はその限りではないが、基本的にはそこに参加しないように考えている。
 一番嫌うのは、自分だけが得しようという魂胆が見え見えの仕事である。
 仕事はBtoCであれ、BtoBであれ、最低でもサービスを売る人とサービスを買う人の2つのアクターの構図が成り立っている。
 サービスを売る人は少しでも高く売りたいと思っているし、サービスを買う人は少しでも安く買いたいと思っている。そのときにお互いの理想をどれだけ見せあっても、折り合いがつかないので、どこかで均衡点を探し、そこで適正な価格で落ち着くようになっている。
 しかし時にこの折り合いがつく価格がどちらかに優位なところで均衡点を向かえる場合がある。意図的にそうなることもあれば、結果的にそうなってしまうこともあるが、結果として苦しんでいる人がいるという事態に陥っている。
 この場合であっても、優位な側であればなおさら、その状況が続かないようにする必要があると思うし、その状況だとわかっていれば、相手を苦しめ続けることになるためそこには関与しないという選択をする。関与し続けないといけない場合は仕事を変える。そこだけは曲げたくない。

 以前書いたような気もするが、僕自身は「自利利他」というところが人生においてキーワードになっている。

 仏教からきている言葉で反対は「我利我利」である。

 我利我利は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の主人公カンダタの姿そのものである。カンダタは結局地獄の苦しみから逃れられる可能性があったのに、自分だけが助かればいいという我利我利の心によってその可能性を断ち切ってしまったのである。

 当然そんな運命はたどりたくはないので、この我利我利のパラダイムに位置する仕事はしたくないのである。

◉最後に

 ここまで読んできれいごとのように思われるだろうなということは重々承知している。しかし中には共感してくれる人がいたり、書いてみた部分に関連する体験をする人がいれば教えていただけるとうれしい限りである。

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