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尊重することで守るもの

具体的なことを例に取った方が説明しやすいのでプライバシーを例に取ります。


注:プライバシーの話が主題ではありません


まず根拠として日本国憲法を引用します。

日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法以外にも根拠はありますが、日本ではこれだけで十分だろうと思います。大切なことは説明されていますから。

気にしない人は気にしないのでしょうけれど、何月何日にどこそこにいるという予定は、何か危害を加えようと思っている人にはとても有益な情報です。いる場所がわかるということは、別の場所にはいないということでもあり、空き巣のターゲットにもしやすいです。

また、これも気にしない人は気にしないのでしょうけれど、どこそこにいたという事実を秘密にしておきたいこともあります。たとえば会社に内緒でセミナーに参加するとか転職活動をしているとか、偏見を持つ人がいるので同人活動を秘密にしたいとか。

暴露や公表というのは効果的な暴力だと思います。暴力であってもジャーナリズムや内部告発のように隠された事実を暴くことに公益がある場合もあります。ですが、公共に悪影響を与えるような事実でなければ、事実の公表は当人の許可がいることです。

自分や相手を尊重する、その身近で具体的な例のひとつが自他のプライバシーの尊重だと私は考えています。

「先日◯◯さんと一緒に参加しました!」のように公表する人がいます。楽しかったり、自慢したかったり、動機はいろいろだと思いますが、本人に許可を取っていないならそれは勝手な行いです。他人の気持ちや事情を大切だと考えていないからできることです。

「そんな些細なこと」と思うかも知れません。ですが、自分に事情があって秘密にしておきたいと思っていたことを誰かに勝手に公表されたときにも、「そんな些細なこと」だから気にしないと思えるでしょうか。

大切なことは「秘密にしておきたい情報も相手も当人が決められる」ということです。他人のことは、自分には一切の権限がありません。そのことを肝に銘じておく必要があります。どんな形で迷惑をかけるかわかりませんし、なにより「相手を尊重すること」の基本条件だからです。

また、これは他人の情報に限ったことではありません。自分の情報を守ることにも責任があります。いきなり怒り出す必要はありませんが、勝手に公表されて困ることは事前でも事後でもはっきりと指摘するのは自分の責任です。指摘しなければ「自分の情報は軽んじて良い」と表明したことになりかねません。だから些細であっても指摘した方がよいのです。些細かどうかを決めるのは情報の当事者だからです。

いかに自分は良識がある人間だと思っていても、考えていないことは行動で示せません。実際の行動で尊重できないのです。自分のなりたい人間像に近づくためにも、自分自身に誇りを持つためにも、言行を一致させて他人から信用されるためにも、よくよく考えてから発言したり行動したりしなければならないのです。でもこれが難しい。

哲学や対話の具体的な実践のひとつは、よく考えてから話すことの重要性を理解していくことかも知れないと最近思います。これができないなら、哲学も対話もできているとは言い難いように思うのです。

よく考えてから話すことの重要性は、自分や他人を大切にする意思があれば必ず大きな意味を持つでしょう。自分や他人が大切なら「その大切さを守りたい」と思うはずで、その守る手段として欠かせないことですから。

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