見出し画像

【書評】「侍女の物語」の続編「誓願」"The Testaments"

注:軽いネタバレあり


マーガレット・アトウッドが「侍女の物語」を書いたのは1985年。それから30年以上が過ぎた2017年にドラマ化されたことを皮切りに、世界各国で劇中の侍女の衣装をまとった抗議活動が見られるようになり、この小説はディストピア文学の傑作としての地位以上の何かを持つようになっていった。

想像のもとに築かれたはずの小説がいつの間にか現実社会の政治活動と合流するという異様な状況の中で昨年9月に投げ込まれた続編"The Testaments"は、あっという間に前作では成し得なかったブッカー賞受賞まで達成してしまった。(邦題は遺書とか告白になるのだろうか)

簡単に中身を紹介すると、舞台は前作から15年以上経ったギレアド共和国とカナダ。前作でも登場したリディアおば、司令官の養子として大切に育てられているAgnes、カナダで普通の学生をしているDaisyが主な登場人物だ。

リディアおばは国家の中枢として権謀術数を張り巡らせている。彼女は専用の部屋で誰が読むかもしれない回想録を書き続けており、そこでなぜ侍女となる道を選んだのか、なぜ建国者の偉人として祀り上げられるまでに至ったのかについて明らかにされる。

Agnesは上流階級らしく大切に育てられていたが、愛する母親が病死した後に実の母親ではないことを知り、十代前半の頃から既に深刻なアイデンティティの危機に瀕している。

Daisyは当初一般人代表のような形で物語に入ってくるが、ある事件を皮切りにファンタジー小説の主人公のような立ち位置になり、カナダからギレアドへの潜入という大役を背負わされる。

時間的にも空間的にもバラバラだった3人の物語が一つに収斂していく様は読み応えがあるのだが、読み進めている間にもどこか違和感が拭えなかった。前作のような、意志を持つことが命取りになるという緊迫した息苦しさがどこにもないのだ。

読みながら考えていたのは、ギレアドにいるAgnesでさえ司令官の妻候補として大切に育てられている上流階級であるため、人権を無視した抑圧とは無縁だということだ。読み書きを学ぶことが許されていないので彼女は文盲なのだが、それが当たり前の環境で育てられているので、そのことに対して疑問は持っていない。

だが終盤に至る頃にはある考えに辿り着いていた。「侍女の物語」と"The Testaments"はギレアドという世界観を共有していても、そこに書かれているテーマそのものが実は異なっているのではないかと。

このことはアトウッドのいくつかの発言からも裏付けられると思う。まず、ブッカー賞サイトの紹介ページにはこう書かれてある。

「親愛なる読者の皆様へ:あなたがギレアデとその内部の仕組みについて私に質問した全てが、この本のインスピレーションになっています。 まあ、ほとんどすべて! 残りのインスピレーションは、私たちが今住んでいる世界から得ています。」 マーガレット・アトウッド

「私たちが今住んでいる世界」というのは、アメリカで中絶禁止法が成立したことなど、いわば保守派による「ギレアド化」が進んでいることを指しているのだろう。アトウッド自身も、近年の政治的な右傾化によって、小説やドラマの捉えられ方が変わったことを認識している。

一方で、侍女の物語の創作動機は、もしアメリカの宗教的側面が原理主義化したら、もしそのディストピア国家内での物語の主人公が女性だったらという仮定から出発した実験的な要素が強い。

今作で提起されているのは、上のインタビューでも触れられているように、若い女性から自分の人生に対する決定権が剥奪されているということだ。物語内ではそれが半強制的な結婚という形で表れるが、それは現実での中絶禁止(=自分の身体に対する決定権を法律で奪われている)と対応している。

前作と同じような雰囲気や、オブフレッドが活躍する物語を期待している読者には今作のファンタジーのような展開は少々面喰らうかもしれない。本来、ディストピア小説と呼ばれるジャンルでは主人公に与えられる結末は基本的に2つしかないと思っている。内側で(精神ないし肉体が)死ぬか、自分を守るために脱出するか。本来、主人公の行動が強大な国家に対して何らかの影響を与えることなど起こり得ない。

しかし、今回アトウッドが提示したのはその第3の道であり、オーウェルの「1984」や前作のように、遠い未来のエピローグでディストピア時代が終わったことを暗示するのとは違う結末が用意されていた。

著者が書きたかったことが、ディストピア国家とオブフレッドのその後ではなく、現在の読者へのメッセージだと理解できれば、この小説は読み進めるのがずっと楽しくなる。ドラマ版のオリジナル展開とも(たぶん)齟齬がないように作られているのも親切心を感じさせるポイントだろう。

ちなみに洋書としては変な文法もスラングもないのでかなり読みやすい。有り難いことにギレアドの人は礼儀を重んじるのでとてもきれいな英語を話してくれる。数冊洋書を読んだ経験があれば十分読みこなせるレベルだと思う。


2021-01-09追記

日本語版は昨年出版されており、評判も上々のようだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?