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白村江後の太宰府防衛の一角 古代山城 鞠智城  【城門跡散策編】

こんにちは。今回は先日訪れた熊本県北部に位置する国史跡、鞠智(きくち)城跡の散策レポート3回目です!(1、2回目を読んで頂いた方は、内容が1部被る部分がありますがご容赦下さい🙇‍♀️)鞠智城の詳しい説明は、併設されている資料館『温故創生館』の展示パネルより引用させていただきます↓

鞠智城は7世紀後半、今から約1300年前に、大和朝廷によって築城された古代山城です。
この当時、朝鮮半島では、「高句麗(こうくり)」、「百済(くだら)」、「新羅(しらぎ)」の三国の争いに、中国の「唐」が加わり、社会的な緊張が続いていました。
 660年、唐と新羅の連合軍によって、日本と友好関係にあった百済が滅ぼされます。日本は百済の復興を支援するために援軍を送り込みますが、
663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗し、百済の救援に失敗しました。その結果、今度は唐と新羅による日本侵攻の脅威に、直接対処せざるを得ない情勢になります。
 そこで大和朝廷は、西日本を中心に防衛体制を形成します。九州では最前線基地として金田城(長崎県対馬)が築城され、太宰府を防衛するために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県・福岡県)が築かれます。それらの背後に位置する鞠智城は、防衛施設であったと同時に、食料や武器などを前線へ供給するための兵站基地であったと考えられています。しかし、結果として、唐と新羅による日本への侵攻はありませんでした。
 鞠智城はその後、役所的な役割をもつ施設や、食料を貯蔵する施設などに変化し、10世紀半ばまで存続しました。

鞠智城は百済の亡命貴族の指導で築かれたと考えられており、鞠智城跡からは、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡、百済系銅像菩薩立像・木簡などの貴重な遺物が出土した貯水池跡、3箇所の城門跡、土塁跡などの遺構が検出されています❣️今回はその内、城域西側外縁の3つの城門跡を巡った時の散策レポートです。宜しければお付き合いください🤗

散策ルート紹介

今回の散策ルートを青字で示しています。(小さくて見にくいですが💦)地図は資料館でいただいたパンフレット裏面を拝借。

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城門散策スタートする前に、鞠智城のシンボルタワー、八角形の『鼓楼』(復元)と、防人(さきもり)をイメージした鞠智城のゆるキャラ『ころう君』(と、付き添いのお姉さん笑)をご紹介させてください↓

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鼓楼は復元建物が集中し、比較的観光客が多い長者原エリアにあるのですが、今回の城門跡は城域の外れにあるので、若干心細かったです😅野性味あふれるマイナー史跡は、高い確率でほとんど人が居なくて心細いこともありますが、そこがいいところでもあります(コロナ関係ない)ので、今日もめげずに行ってみたいと思います💪

駐車場から城門跡を巡るルートに入ります。

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竹林で覆われた道を暫く進むと、

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開けた所におおざっぱな看板🪧

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ルート案内これだけしかなくて、何処に深迫門跡があるのか分からず周辺をうろうろしていると、土塁の下の方に礎石が見えました!

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下に降りるのも滑りそうで一苦労💦(勿論、写真の左側に一応ルートは作ってあるので、この土塁を滑り降りる訳ではありません)

深迫門跡

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出土した門礎石↓

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門礎石は門柱などを支える石材で、石にあいている穴は軸摺穴といって門扉の軸を受ける穴だそうです🕳

土塁の先の城外はどんな感じかというとこんな感じ↓で切り立った崖になっております。これは攻め入るのは無理ですね😅

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次に、堀切門跡に向かいます。深迫門跡→堀切門跡迄は距離もそうなく、わかりやすかったです。
堀切門に向かう途中の風景↓

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昔となんら変わらなそうな風景。門跡散策ルート周辺は水田が広がってますが、歴史公園内の水田や畑は私有地なんでしょうか?そんな公園珍しい

堀切門跡

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堀切門跡の門礎石は一つの石に2つの軸摺穴がある大変珍しい形態です↓(写真では分かりにくいですが、両端に穴開いてます🕳

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両穴間の距離は2.8m、結構狭いですよね。馬とか荷台と並列でやっと通れるくらいでしょうか🤔堀切門は両側が切り立った道路に設置されていたみたいなので、圧迫感ありそうですね。

で、その道路跡がこちら↓
(多分💦もう半分埋まっちゃってますが。)

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道路の先がどうなってるのか見たくて近づいてみると

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やっぱり切り立ってる〜❗️油断すると滑落しそう😅狭い道路に狭い門、先はこの傾斜。こちらも鉄壁の守りですね。

さて、次は堀切門跡と池ノ尾門跡の間にある、南側土塁線を見に行きます🏃‍♀️
暫く歩くと橋が!子供の時の探検ごっこみたい😄

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橋の先に開けた場所があって、南側土塁跡の案内板が立っています。

南側土塁線

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周辺を見渡しますが、素人にはどこが土塁線なのか分からず😅

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まぁいっか❗️という事でくねくね道を適度にショートカットしながら下のメインルートに戻ります

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さて、メインルートに戻ったところで最後の目的、池ノ尾門跡に向かいます。(徒歩6分とちょっと遠い👟)

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数分歩いて、何処にあるのかとちょっと不安になりかけたところで、道の外れに白い案内板を発見。あそこだ〜❣️

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写真でわかると思いますが、道の東側はすぐ竹山で、何やら常にカサカサ物音がするんです💧もしイノシシ🐗が出てきたら、1人だし対処できないよ〜😵と若干怖くなり小走りで現場に向かいます

池ノ尾門跡

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と、その門礎石↓

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池ノ尾門は鞠智城で最も低い位置にあり西側・南側土塁の尾根に挟まれた狭隘な谷部に位置しているそうで、排水施設の遺構が出土しているそうです。だから池の尾って言うんですね💡

そうこうしている時も、後ろの竹山が気になってビクビクしていたら、こんな貼紙が😨❗️

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ヒェー、やっぱり出るんだ😱という事で、やはり小走りに道を引き返します🏃‍♀️💦(因みにnoteに投稿した史跡巡りの内、2回、イノシシ君とは遭遇しております笑 車中から目撃しただけで危険はなかったですが🐗)

やっぱりカサカサ言ってる〜とビビっていると、飛び出してきたのはジョウビタキ?ちゃん😳🐦
正体見たり枯れ尾花(ブレブレですが写真中央)

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無事、横が竹山ルート通過🌸したはいいものの、思えば遠くに来たもんだ〜♪どうやって駐車場まで戻ろうか、、元来た道戻るのは大変そう💦

と、近くにこんなルートを発見❗️

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先が見えないけど、ちゃんと駐車場に戻れるんだろうか(←方向音痴)、階段の道はあるけど、傾斜が急だな〜と思いつつも、元来た道を戻るのは嫌なので、こちらのルートを取ることにします。

だいぶ登って息が切れて来たところで視界が開け、長者山展望広場の休憩所が見えて来ました↓(ほっ😮‍💨)

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ここまで来ればもう安心😌
復元建物が集まる長者原エリアに戻ってきました↓先の方に鼓楼が見えますね♪さて、飲み物でも買ってひと息ついてから帰ろうっと😚☕️

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まとめ

今回で鞠智城跡の散策レポートは終了です。城門跡散策ルートは大雨で壊れた土塁にブルーシートがかかっていたりして、広大な敷地なので管理も大変だろうなと感じました。鞠智城跡は入場料は無料なのですが、大切な史跡ですし、維持管理費として入場料設定してもいいのではないかと個人的には思いました。

因みに、鞠智城周辺の市町村には他にも、平安末期から室町時代にかけて肥後で活躍した菊池一族関連の史跡や、5世紀の大刀が出土した教科書にも載っている江田船山古墳など、興味深い史跡が沢山あります✨これら周辺の史跡も将来散策してnoteにUPしたいです🤗

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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

参考HP:歴史公園鞠智城 温故創生館HP
(アクセス情報もコチラから)
https://kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/index.php

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