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東京五輪に見る巨大祝賀イベントの開催形態

以下は、岩波書店の月刊オピニオン誌「世界」の2021年6月号(5月発売)に寄稿し、好評を博した文章です。掲載から一ヶ月以上経っているので最新状況は反映されていませんが、東京五輪の醜悪な側面の記録として、ここに掲載します。

はじめに

 東京五輪開催まで、四月十四日で百日を切った。だが世界的なコロナパンデミックと、国内でも三度目の緊急事態宣言の発出が確実される中、各種世論調査では、国民の七割以上が今夏の開催に反対している。

 だが政府と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(以下、組織委)は未だに開催を諦めておらず、本誌の発売日でも、恐らく決着がついていない可能性が高い。開催の是非についての詳細は後半で触れることとして、本稿では東京五輪に見る巨大祝賀イベントの開催形態について論じてみたい。

祝賀資本主義の醜悪な見本、東京五輪
 

 米国の政治学者で、バルセロナ五輪の米国サッカー代表でもあったジョールズ・ボイコフ氏の唱えた「祝賀資本主義」とは、五輪などの祝賀的なイベントに乗じて、民間企業における資本の蓄積が、公共(国)による助成によって加速する原理である。

 その主張は概ね以下の通りであるが、その全てが見事に東京五輪に当てはまる。以下にその理由を簡潔に述べよう。
① 例外状態の発生 統治機構が法を超越して決定権限を行使。非常事態だから何でも許されるという状態が発生
これはまさに現在進行形であるが、深刻なコロナ禍で国民の八割近くが開催に反対という民意を無視しても、政府は「人類がコロナに勝利したという証」のためにと称して、やみくもに五輪を開催しようとしている。

② 開催準備資金・リスクを公共が負担 民間資金活用を謳いながら、実際のリスクは公共が負う→選手村の建設など
東京五輪の開催費用一兆六千四百億円のうち、組織委が自前で用意した資金は約七千億円。残り約九千億円は国と東京都の税金である。さらに国は別途一兆六百億円の国費を五輪目的に使用したと会計検査院に指摘されていて、東京都も別途約八千億円の予算を施設・道路整備管理費などに拠出している。つまり、公共の負担が無ければ五輪開催は不可能なのだ。

③ スポンサー広告による熱狂情勢 巨大スポンサー企業による大々的な広告展開が国民の熱狂と支持を作り出す
現在はコロナ禍で印象が薄いが、昨年の正月から三月頃までは、五輪スポンサーの溢れるような広告が、様々な媒体で展開されていた。コロナが無ければ、そのまま怒濤のような広告攻勢が展開されていただろう。

④ 開催を理由にしたセキュリティ強化 テロ対策を標榜しつつ、反対運動や会場周辺低所得層や路上生活者を排除
対テロ対策は東京五輪の最重要課題であり、その費用はほぼ青天井とされていた。入国の際の人体識別装置の開発には、スポンサー企業に対し多額の税金補助が行われていた。

⑤ 環境や社会貢献への喧伝 最先端のテクノロジー投入による環境負荷の低減を謳うが、実際はその逆の結果になる
新国立競技場建設で国産木材の使用が喧伝されたが、実施には東南アジアで違法伐採された木材が大量に使用された。多方面での五輪の社会貢献が喧伝されてきたが、そのトップであった森喜朗会長は女性蔑視発言で辞職し、開会式総責任者も女性の容姿を侮辱したとして辞職した。組織委が標榜してきた男女平等やあらゆる差別への反対は、形ばかりであったことが示された。

⑥ 政治的スペクタクル化 開閉会式、聖火リレーなどで開催国としての誇り、素晴らしさを増幅し、ネガティブ情報を抹殺する
反対が多い中で聖火リレーを強行し、NHKや開催地の民放テレビはその様子を中継。但し、ランナー走行中に発せられた五輪反対の声は消音され、五輪反対プラカードを持った男性は「五輪憲章に反している」などと立ち退きを迫られた。まさにネガティブ情報は抹殺されているのだ。

「祝賀イベント」を巨大な儲けにする電通の存在 

 東京五輪の招致から開催準備まで、実質的な作業のほとんどは電通が請け負っている。電通は東京五輪のマーケティングパートナーとして、五輪の広告・PR・コミュニケーション展開全般について独占的地位にあり、博報堂など他の広告代理店は一切介入できない。

 組織委は官公庁と東京都による集合体で、広告宣伝やイベント開催に関しては素人だから、結局は電通が作った計画をなぞっていくしかない。電通はCMをはじめ、あらゆる媒体の広告枠を持っていて、いわゆるメディアバイイングと広告制作、イベントの企画立案などをすべて一社で展開できる。 

 このような能力は博報堂にもあるが、メディアバイイングと広告制作が同居しているスタイルは日本独自のもので、世界の広告業界から見ると非常に珍しい。だからこそ、電通一社による独占状態が可能となるのであり、海外でこのようなことは起こらない。

 二〇一三年九月の東京五輪招致決定後、電通の石井直社長(当時)は全社員に対して「電通グループは東京五輪で一兆円の売上げを挙げる」とメールし、社員を鼓舞したという。

 五輪の売上げの柱は放映権料とCM放映料、開催実施費などだが、電通にとって恐らく大きな売上げとなったのが、スポンサー企業の管理料収入だ。スポンサーの数が五輪史上、最多の六十七社となっているからである。

 前回のリオ五輪までは、スポンサー企業は一業種一社という取り決めがあった。例えるなら、トヨタがスポンサーなら日産は参加できないという決まりだが、東京大会はその縛りを無くし、同業種で何社でも参加できることとした。これはもちろん、売上げ拡大を狙った電通が、IOCを説得した結果である。

 そのため、ANAとJAL、三井住友とみずほ、東京メトロとJR東日本など、同じ業種で複数の企業が参加するようになった。中でも一番多いのは新聞社で、朝日・毎日・読売・日経・産経の全国紙と、北海道新聞社が名を連ねている。

 各社のスポンサー料金は伏せられているが、国内最上級のゴールドパートナー(十五社)は一社あたり一五〇億円、オフィシャルパートナー(三十二社)は六〇億円程度、オフィシャルサポーター(二十社)は三十〜十億円程度と見込まれている。  

 これらスポンサー企業の開拓をしたのが電通であり、すべて組織委との三者契約になっている。組織委はスポンサー収入を三千四百億円などと発表しているが、その中に電通の手数料がいくら入っているかは明らかにしていない。   

 筆者の計算では、本当のスポンサー収入は四千三百億程度で、そこから電通の管理料二十パーセントを引いた額が、公表されているスポンサー収入ではないかと考えている。つまり電通はスポンサー管理料だけで八百億円以上を稼いだと予想出来るのであり、東京五輪は同社にとってまさに金城湯池と言えるのだ。

 この莫大なスポンサー契約料以外にも、テレビ放映権料、
様々な媒体でのCM放映料、グッズ関連のマーチャンダイジング料など、元々五輪に存在していた多くの利権が、電通の介在によって何倍にも膨らんでいった。巨大イベントにかかる予算が、さらに巨大化しているのである。

無敵の五輪ブランド構築とメディアの抱き込み

 ボイコフ氏の祝賀資本主義論にあえて付け加えることがあるとすれば、私は「五輪ブランド構築」と「メディアの徹底的な抱き込み」を提案したい。

 言うまでもなく、五輪は巨大な商業イベントである。テレビ視聴者の数だけならサッカーワールドカップに及ばないが、参加する国とアスリートの数(東京大会は二百カ国、約一万人)、や競技数(三十三競技、三百三十九種目)は間違いなく最多であり、世界中で行われている様々なイベントの中でも最大である。

 この巨大イベントを主催するのがIOC(国際オリンピック委員会)であるが、同団体は一九八四年のロサンゼルス大会から五輪の商業化に舵を切り、プロ選手の参加を解禁して話題性を高め、協賛企業からのスポンサー料、テレビ局からの莫大な放映権料を両輪として、巨額の収益をあげてきた。そして四年に一度、世界各地で夏と冬の大会を開催し続けるために構築したのが、その比類無きブランド力である。

 そのブランド構築は今に始まったことではなく、一九八四年のロサンゼルス大会で商業五輪になって以降、スムーズなスポンサー獲得のために営々と行われてきた。その代表的なものがオリンピック憲章の制定であるが、そこには
『オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。』
とある。だがこれだけでは、世界中で四年に一度の巨大イベントを開催し続けるための資金確保には不足なので、各開催都市はそれぞれ様々なテーマを掲げてきた。

 東京五輪では「多様性と調和」をテーマに、
・ダイバーシティ&インクルージョン(共生社会の実現)
・持続可能性 (気候変動、資源管理、生物多様性、人権)
・アクセシビリティ(障害の有無にかかわらず、全ての人が参加できる五輪)
 さらにジェンダー平等や、あらゆる差別への反対など、およそ人類社会が抱える問題全てに対応できるような主張を掲げてきた。
その結果、世界中の様々な企業が標榜するスローガンと巧みにシンクロすることによって、スポンサーとして取り込むことが可能となった。これだけ理想を並べておけば、そのどれかには必ず引っかかる、と言うわけだ。

 まるで五輪が世界を正しく導く万能装置かのような権威を纏い、開催国の国民の共感を集めて幻想を抱かせることで、巨額の資金を開催都市のある国家と都市に拠出させ、スポンサー企業を集めてきたのだ。

さまざまな権威を纏う

 二〇十三年に招致が決定すると、IOCの権威を国内でも通用させるべく、日本の組織委は官民指導層の取り込みを行い、あらゆる権威を纏うことに腐心してきた。

 政府によるバックアップは当然として、国会でも二〇一三年十月一五日、政府に競技場の整備などの総合的対策を求める決議が行われた。このとき衆院は全会一致、参院で反対したのは当時無所属であった山本太郎氏だけだった。当時、野党もこぞってこの決議に賛成してしまったことが、現在のコロナ禍でも国会で、五輪中止の論戦が盛り上がらない遠因となっている(現在、共産党は五輪中止を提案している)。

 そして、組織委内にはアスリート、産官学、文化芸術などの有名人、企業経営者などを集めた専門委員会がある。その名称と委員長の名前を挙げてみよう。
〇アスリート委員会 高橋尚子氏(陸上競技)
〇街づくり・持続可能性委員会 小宮山宏氏(三菱総合研究所理事長、元東京大学総長)
〇文化・教育委員会 青柳正規氏(東京大学名誉教授、多摩美術大学理事長、奈良県立橿原考古学研究所所長)
〇経済・テクノロジー委員会 大田弘子氏(政策研究大学院大学 特別教授)
〇メディア委員会 日枝久氏(フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役、フジテレビジョン取締役相談役)
〇テクノロジー諮問委員会 國領二郎氏(慶應義塾大学教授・常任理事)
〇ブランドアドバイザリー委員会 (委員長なし)
〇共同実施事業管理委員会 多羅尾光睦氏(東京都副知事)
いずれも「五輪の権威」を高めるために、各界の第一人者を集めている。あらゆる分野の業界から協力を募るためであり、極めて用意周到だと言えるだろう。

 中でもメディア委員会を設置する意味は非常に大きい。メディアを取り込むのは、開催を喜ぶ世論の醸成装置としての役割は当然だが、逆に五輪にとってマイナスになる情報が出た場合の、危機管理装置としての役割もある。

あらゆるメディアを抱き込む意味

 では、メディア委員会の主な構成者を見てみよう。(委員長・副委員長以下の氏名は省略、組織委HP掲載順)
<委員長> フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
日枝 久、副委員長 共同通信社顧問 石川 聡
<役員>
・テレビ東京広報局次長兼広報部長
・日本テレビ放送スポーツ局長
・TBSテレビ 東京オリンピック・パラリンピック室長
・テレビ朝日スポーツ局 プロデューサー
・毎日新聞オリンピック・パラリンピック室局編集委員
・産経新聞社 上席執行役員 
・文化放送事業本部副本部長
・スカパーJSAT株式会社 執行役員 
・時事通信社取締役
・フジテレビジョン スポーツ局長
・共同通信社専務理事
・日本民間放送連盟 スポーツ業務部長
・日本新聞協会専務理事
・エフエム東京 編成制作局部長
・朝日新聞社 スポーツ戦略室長
・日本放送協会 2020東京オリンピック・パラリンピック実施本部 副本部長
・株式会社ニッポン放送 
・読売新聞東京本社 執行役員 
・日本雑誌協会 事務局長
・毎日新聞社 オリンピック・パラリンピック室長
 いずれも日本を代表するメディアばかりである。そして、ここに名前のあるメディアは、社の代表を送り込んでいるから、どうしても五輪に対してネガティブな報道をしなくなる。

 さらに、全国紙五紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)は、五輪スポンサーにまでなっている。つまり五輪の成功が共通利益になっているのだから、真に批判的な記事が書けるはずがない。だが過去の五輪で報道機関がスポンサーになった例は無く、日本の特異性は際立っている。この「報道機関のスポンサー化」は「報道の死」を意味しており、五輪翼賛報道の諸悪の根源である。メディア委員会に名前のない東京新聞や、週刊文春などが五輪に対して厳しい報道をしてきたことから比較しても、その差は明らかだ。

 例えば、これら大手メディアは、東京五輪のもっとも基本的で重大な問題である、七月の酷暑開催の是非について、ほとんど問題提議してこなかった。

 熱中症警報が繰り返され、外出はするな、涼しい場所にいろと行政が注意喚起する時期に、屋外での長時間の行動や観覧を要する五輪開催は生命の危険すらあり、国民の生命と健康を守る方針と完全に矛盾している。

 だが、招致の段階で日本側はこの期間を「温暖で選手のパフォーマンスを発揮しやすい季節」などと嘘をついて誘致してしまった。また、真夏の開催は放映権を持つ米NBCテレビの強い意向であるため、酷暑を問題にすることはタブー扱いだったのだ。

 ただもちろん、新聞社が酷暑問題をまったく報道しなかった訳ではない。開催一年前の二〇一九年夏には、酷暑下での観戦には危険が伴うことや、組織委の様々な取り組み(その多くは効果がなかったが)を報じたりしていた。

 だが、そのほとんどは「暑さは危険」という当たり前の事実を報じ、観戦者に自衛の必要性を説くだけだった。死者が出るほどの酷暑の下で、なぜ五輪を開催するのか、そんな危険な時期の五輪開催は避けるべきではないか、という根本問題について言及することは、慎重に避けられていた。

 例えば朝日新聞は、二○十九年八月十日の紙面で、「五輪の猛書 観客も備えよう」というタイトルで、酷暑下の観戦に疑問を呈することなく、「一般の人も体作りを」という専門家の言葉を伝えて、真夏の開催を正当化している。読者に、開催についての疑念を抱かせるような報道はしないという鉄則を見事に守っていたのだ。酷暑問題以外でも、一一万人以上のボランティアの無償労働や、際限のない開催費用の膨張を批判することも、ほとんど行われてこなかった。

 さらに、新聞社が書かない以上、クロスオーナーシップ(相互所有)で結ばれた民放テレビ局でも、五輪にとって本当に都合の悪い報道は、慎重に排除されてきた。そして長い間、新聞社やテレビ局にとって最大のNGワードとなっていたのが、「東京五輪中止」である。

 今年に入り、様々な世論調査で五輪中止または再延期を求める声が七〜八割に達しているのに、全国紙が中止を検討したり、要求するような記事を書いたりしたことは一度もない。中止という単語は「NYタイムズやワシントンポストのような、海外のメディアは中止すべきと言っている」という伝聞記事において登場するのみで、自社の記事には登場しないのだ。

 だがこのNGワードは四月十五日、五輪推進の立場に立つはずの自民党の二階幹事長が「もしどうしても無理なら、スパッと中止すべきだ」と発言したことにより解禁された。推進側の中心人物のおかげでタブーが破られ、全国紙もようやく五輪中止というワードを紙面で使えるようになったのだから、なんとも皮肉ではないか。

半官半民で、コスト監視が出来ない仕組みを構築

 こうしたメディアの抱き込みで世論操作を画策する一方で、組織委はさらにもっとも実質的な部分である、カネの流れを第三者に検証させないシステムを作り上げている。

 本年四月一日現在の組織委職員数は三九二九名。東京都一一一三名、国から七三名、地方自治体からの出向者四七七名などの公務員と、民間九一〇名(電通やスポンサー企業等からの出向者)、契約社員九五四名、人材派遣三七一名などで構成されている。特に電通は約一五〇名を常駐させており、同社のスポーツ局の人員を合わせれば、常時数百名が五輪業務に従事している。
 この人員構成を見れば明らかだが、組織委は公益財団法人でありながら、民間法人としての形もとっている。つまり半官半民であり、みなし公務員という位置づけなのだ。

 つまり、国民に対してはお堅い官の顔をちらつかせながら、スポンサー契約やチケット販売、様々な資材の調達は民間の手法で行う。民間契約ならば守秘義務があるため、いちいち国会などで開示請求に答える義務も無くなる。これは極めて巧妙な手法である。

 もう少しわかりやすく言うならば、組織委の出してくる費用概算はすべて総額であり、その根拠になる細かな単価、積算根拠は示されていないと言うことだ。チェックが不可能なので、提示金額が正しいかどうか、第三者には確かめようがない。

 例えば、組織委はスポンサー収入の総額を三四〇〇億円と公表してきた。その真偽を確かめるため、その根拠となる企業別のスポンサー料金の開示を求めたが、それは秘密保持契約があるからダメだという。だがそれで許されるなら、本当のスポンサー収入がいくらなのか、分からないではないか。

 三月三十一日、毎日新聞は『五輪費用、あれもこれも総額 組織委、実際単価示さず「参考値」』という記事を掲載した。そこには、
「五輪競技会場の運営は企業が担うため、そこにかかる費用は「民民契約」で決まる。そのため、予算はより見えなくなる。組織委は国から「公益性」を認定された税制優遇のある公益財団法人。予算書や事業計画書などの開示義務はあるものの、会場の運営委託費については、テスト大会の委託先と委託費の総額が開示されているのみ。そこにも人件費単価などの積算根拠は示されていない。」
と報じられている。

 東京五輪は招致の際、約七四〇〇億円で開催出来ると言われていたが、現在の組織委発表による総コストは一兆六四〇〇億円、その二倍以上である。さらに国と東京都は合わせてさらに一兆八〇〇〇億円の税金を五輪用に使っており、それを合わせれば、今回の五輪に費やす金額は約三兆五千億円と、目もくらむばかりの巨額となる。しかもその大半は税金なのだから、五輪開催費用の中身は厳しく検証されなければならない。

 それなのに、組織委は民民契約を盾にして、新聞社や国会での野党議員の追及にも、様々な契約内容や積算根拠を明かさない。これこそまさに、五輪とは徹底的に国民の税金を吸い上げる「夢の集金システム」なのだ、という証左ではないか。祝賀資本主義は、凄まじいばかりに税金をむさぼり食うのである。

もっともグロテスクな祝賀資本主義の見本として

 ここまで、祝賀資本主義の実に見事な見本である、東京五輪の内幕について書いてきた。だがIOC、組織委、電通によるメディア総翼賛体制の構築も、世界的なコロナパンデミックの前では無力であった。はたしてこの先はどうなるのか。

 三月二十日、世界的なコロナパンデミックの影響を受け、遂に東京五輪の海外観光客受け入れ中止が発表された。橋本組織委会長は「全く新しい形の五輪になる」などと発表、国内観光客の受け入れ割合についても四月に発表するとした。

 この発表は大変な意味を持っていた。この決断によって、誘致以来、政府が事あるごとに喧伝してきた「インバウンド効果」が完全に消えてしまったからだ。五輪による経済効果は数千億、数兆円などと言われてきたことは、多くの読者もご記憶だろう。

 だが新国立競技場建設等の建設関係の経済効果はすでに終わっており、あとは来日する海外観光客がもたらすインバウンド効果に大きな期待がかけられていた。それがいきなり「ゼロ」になったのだから、その影響は経済的にも心理的にも甚大である。

 そのため、数百億円と言われる、海外で販売したチケットの払い戻し義務も生じた。だが四月になっても組織委は返金日程を発表しておらず、海外では組織委への不信と不満が渦巻いており、様々な地元メディアで報じられている。

 さらに、ことはカネの問題だけではすまない。五輪憲章にも記されている五輪開催の最大目的は、四年に一度世界中の人々が一堂に会し、友愛を育むことにある。海外客が来ないと言うことは、その機会も消えたということであるから、「おもてなし」というキャッチフレーズのもとに集められた十一万人以上のボランティアの活動目的も、その大半は失われたと言って良い。

 様々なレベルでの人的交流は、五輪終了後に遺産(レガシー)となって、それが後々の経済的・精神的な効果にも繋がると喧伝されてきたが、それも消え去った訳だ。

 以上のように経済的にも精神的にも、五輪開催の意義は失われたのであり、もはや開催する意味は完全に無くなった。つまり、いま現在政府や組織委がやろうとしているのは、五輪の「ようなモノ」であり、「似て非なる物」である。

 海外からの観客がいない中で行われる五輪は(最終的には無観客になる可能性もある)、世界各地で毎年行われている世界陸上や世界水泳などと同じで、特殊性も希少性もない、よくあるスポーツ大会と同じだ。

 だが海外客断念、国内観客さえ断念しても、アスリートと関係者を合わせて約二万人の入国は確実だ。さらに、IOC関係者やスポンサー企業の招待者もやってくる。その数は十万人を超えると言われており、そのような「五輪貴族」たちのためだけに「五輪のようなモノ」を開催するなど、愚の骨頂である。東京五輪は今すぐにでも中止すべきなのだ。

 以上、東京五輪を通じて祝賀資本主義がどのように具現化されているのかについて考察してきた。ボイコフが唱えた祝賀資本主義の構成要素は、いずれも完璧に東京五輪という商業イベントに当てはまるが、実はそれだけではない。電通というメディア支配装置を組み込むことで日本独特の「五輪翼賛プロパガンダ」をも形成し、過去最高のカネを集め、それでも足りなくて税金を使いまくった。これは五輪の歴史の中でも、最もグロテスクな完成例として歴史に記録されるだろう。つまり祝賀資本主義は、今回の東京五輪で、さらなる愚劣な進化を遂げたのである。

ご覧頂き有難うございます。私は大手メディアや電通を真正面から批判する、数少ない書き手です。彼らを批判しているので発言する場は限られ、従って収入も非常に少ないです。それでも初心を曲げず活動していきますので、少額でもご支援頂ければ大変助かります。どうぞ宜しくお願い致します。