忘れちゃいけない気持ちが、そこにはあるはずだ。
惰性に関する雑記です。
昨日、自分はこんな記事を投稿しました。
……本当かよ?
見返してて自分で疑わしくなったので、改めて今の状態を見つめ直してみようと思います。
欲しいのは継続への賞賛
毎日書き続けてるから偉い、なんてことは全くないんですが、世の中には息切れせずにモノが書けてるってだけで評価してくれる人も少なからずいて。そういう人たちに認めてほしくて更新を続けているような。
あるいは枯渇していないことの証明
認められたいというよりは、見限られたくない思いの方が強いんでしょうね。
「まずは書き続けること、つくり続けることが大切」とか言うじゃないですか?その一線すら下回って、土俵から降りるのが怖くて仕方なくなってる。だから、俺はまだ書きたい話があるぞ!ってアピールしたい。
最近の自分が手遊び(未完成作品)ばかりなのは、こういうモチベーションからスタートしているからな気がします。
※前にこんな話をしている記事がありました。
虚栄心から生まれる創作
これまでの記事が完全にそうだ、と言うつもりはありません。自分なりにワクワクするものを書いてきたつもりだし、ここで楽しんでもらいたい!とか、これがドキッとさせるひと言にならないかな?とかも筆下手なりに考えてました。
でも、根っこにあったのは「俺はまだできる」って気持ちだったと思うんですよね。
だから手癖で話を書いても不安にならなかったし、今までと違うことをするのにもそこまで意欲的になれなかった。
当然です。だって「変わらない」ことを示したいんだもん。成長する気や最高傑作を創る気が、ハナっからないんだもん。
俺よ。
“惰性や保身や虚栄心から来る現状維持のど停滞創作”なんて、ちょっとダサいとは思わないか?
もちろん続ける意思も大切
毎回新しいことをやろうとして、思いついたときにだけ手を動かすことに決めたら、恐らく俺の場合、一生であと一本何かを書き上げられたらラッキー、というレベルだろう。だから、とりあえずどんなものであれ書き続けるのはいいこと、というのは変わらない。
ただ、書き続けてさえいれば誰かが読んでくれる、という考えはいささか傲慢だった。書くために書くのではなく、見てもらうために書こう。ただ反応を得るためではなく、新たな反応を知るために書こう。ちゃんと、今まで見たこともないところに行くための創作をしよう。
きっと、忘れちゃいけない気持ちが、そこにはあるはずだ。
あくび侍でした。
常に前よりダサい語りを心がけます。