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DESIGN-DESIGN MUSEUM BOX TALK

開催日:2021年4月17日(土)

「デザインの宝探し」をコンセプトとした「DESIGN MUSEUM BOX展 集めてつなごう 日本のデザイン(@東京Ginza Sony Park)」の制作に関わった田川欣哉さんと森永邦彦さんが、今回の「DESIGN MUSEUM BOX展」のデザインのリサーチで体験したこと、展示には表しきれなかったリサーチの裏話、リサーチを行う中で出会った「デザインの再発見」などについてのトークを通じて、あらためて「日本にふさわしいデザインミュージアムの姿」について考えます。

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出演:

田川欣哉(デザインエンジニア)

森永邦彦(ファッションデザイナー)

町 健次郎(瀬戸内町立図書館・郷土館 学芸員/リモート出演)

渡 聡子(宇検村教育委員会事務局 学芸員/リモート出演)

モデレーター:齋藤精一

主催:一般社団法人Design-DESIGN MUSEUM

協力:NHK

番組・展示概要は、こちらの記事をご覧ください⬇︎

田川欣哉 柳宗理のデザインプロセスーカトラリーを例にー

森永邦彦 ノロの装束”ハブラギン”

DESIGN MUSEUM BOXについて


齋藤 なぜ柳宗理さんのカトラリーを選んだのでしょうか?

田川 

去年21_21 DESIGN SIGHTにて「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」を開催したときに、スケッチやデザイナーが使った道具を展示したのですが、それからそれらに取り憑かれたようになってしまいました。
デザイナーの手からはじめて人の手に渡るのはもう完成してからですよね。
でも仕事している時にはほとんど作っている途中のプロセス=未完成品です。いちデザイナー、いち生活者として、他のデザイナーがどう未完成と向き合っているか、その途中を見ること自体がドキドキするんですよ。
作り手としてここで迷うのかとか、クリエイティブジャンプが、どういう順番でどう起こったのかとか、普段だと見せてもらえないものが見られるのって面白いですよね。柳宗理さんはプロダクト黎明期を確立させた方ですから、もしかしたらこの企画なら柳宗理さんのプロセスを垣間見られるのでは?!と思ったんです。

齋藤 なるほど! 森永さんは、なぜハブラギンを選んだのでしょうか?

森永

コロナでファッション自体もすごく変わったと思います。
マスクもそうだし、自分の外にあるものから身を守るという意識が強くなりました。今までも自然や災害に対してそういう意識そのものは、ありましたけどね。そんな中で、日本のファッションが果たしてきた役割を探しに行きたかったんです。奄美は自然や天候に非常に左右される場所です。そこかノロという方々が服に想いを込めて、人を守る。今までも自然や災害に対してそういう意識そのものは、ありましたけどね。そんな中で、日本のファッションが果たしてきた役割を探しに行きたかったんです。奄美は自然や天候に非常に左右される場所です。ノロという方々が服に想いを込めて、人を守る。そこにすごく惹かれましたね。

齋藤 このお話が来た時にどう思われましたか?

町 

最初は、全国数多素晴らしい館がある中で、なんで日本の端っこの私たちの館なのかなと思いました。でも森永さんの初期のパッチワークの作品を見て、ああそういうことか!と理解しました。

渡

話が来た時には驚きましたが、森永さんの作品を見て、何百年も昔の作品と共通点があり、運命的だと思いました!

齋藤

いろんなものをネットでリサーチできる時代、とはいえいろんなものが全国各地に点在していますね。今回の展示の制作を通じて価値の転換が起こったのではと思ったのですが、どうですか?

町

はい、前向きに捉えています。私たちは、所蔵しているものと人との関与を促すのが仕事です。保管しているだけだったら資料・歴史になってしまいますが、デザインを介することで今の人との繋がり、関与をもっと増やせるのだと実感しました。

渡

いつもは見ていない方々、服飾やファッションが好きな方に見ていただけるきっかけになったかなと思いますね。


デザインの営みの変化について

齋藤

デザインという言葉が日本に入ってきた時に、意匠という翻訳になってしまいましたね。デザインの定義自体についてどう思いますか?

田川

1850年くらいに世界に初めてデザインの学校ができました。
かつては、一人の職人が作ることができる個数が限られるので、少数を彼らの生活圏内に届けていました。その後、1つのマスターデザインを複製し多くの人に届けるために、デザインと大量生産にシフトした。
しかし、最近先祖返りしている傾向にあると思っています。
大量生産だと 考えるデザイナーと工場で作る人が別れてしまいますよね。
しかし昨今、ビジネスとして個数が少なくても成立し、デザイナーと職人が同一であるという、そういう営みが戻ってきているのではないかと思います。昔のクラフトやアートの要素がデザインに復活してきていて、そのことはポジティブに捉えています。

森永

ファッションも大量生産がベースになっています。洋服は物質的なものですが、ハブラギンを見て 霊魂のような形のないものをどう服にしてきたか、形のないものへの向き合い方を感じました。
その強い想いは、コピーできるものではないですよね。

齋藤

実はデジタル化してくと個人への起点を強くなっていくと思います。デジタルの時代が進めば進むほど、工芸に近くなってくる。今までデザインは近代的なものばかりで、工芸はアーカイブされたものに見られがちでしたね。



昔の道具たちのデザインで、まず優先しているのは機能美ですね。
とはいえ昔のデザインも変化していたんですよ。
土地に合わせて、高いカゴ、低いカゴ、を使っていて、あるとき中間のカゴを作ったらとても多く流通したなんて話もあります。
フォルムや美意識も常に変化し続けていて、一つではないんですよね。



ハブラギンのような服飾でいうと、想いと時間がかけられて一つだけのものという感じがします。一つ一つがもつエネルギーがとても大きいです。今、再びそういうものが魅力的に見えるような時代になったのではと思います。

齋藤

近代的なものと工芸的なものの中間をうまく繋いだのが柳宗理なのではないか、と思うのですが、田川さんが柳宗理さんのところとのやりとりで感じたことは?

田川

柳宗理さんの父は、民藝運動を起こした思想家・柳 宗悦さんですね。
民芸は用の美だしアノニマス、誰が作ったかわからないけれどゆっくりとした時間の中で形が定まっていきました。柳宗理さんのデザインは彼のスタジオの中でそれを再現されようとしているように感じました。
スプーンを一つ作る時、短くて3年くらいかける、カトラリーの食器はセットで10年くらいかかることもあるとおっしゃっていました。
今回はそのスプーンの試作プロセスを展示していますが、試作ができてはしばらく置いて、陽の光に当てて見たり、食べてみたり、道具が体の一部に溶けてちょっとした違和感がなくなるまで、美味しい食材に集中できるまで量産をはじめない。工芸は時間の蓄えの中で育まれますが、柳さんのデザインはそうして出来上がった。見ていてグッときました。
現代のデザインはスピードが必要で、どんなに大きく長くても1年〜2年程度なので、そんなに時間をかけることはなかなかできないですよね。

齋藤 コロナ禍に置かれてタイムスパンを見直す機会になりましたね。

森永

ファッションの世界のサイクルでは、春夏と秋冬で年に2回の発表があります。そこで常に新しいものを出し続ける、スピード感が必要です。しかし、消費されるものではなくずっと続けているものもあります。パッチワークはまさにそれです。続けていると、時代にあうことも合わないこともありますが、しかし流行とは違うものが生み出せる可能性があります。

日本らしいデザインとは

齋藤

コロナになって改めて、日本らしさ、あるいは日本ならでは、奄美ならでは 金沢ならでは、というようなことが大事になってきたのではと思っていますが、いかがでしょう?

田川

他国と比較して日本らしさを考えた時、一つにはやっぱり”きめ細やかさ”ですよね。何度も試行錯誤を重ねて体と溶けるところまで、そういうレベルのところまで磨き上げる。”丁寧””dexterity”とでもいうのでしょうか、工芸の仕事を見ててもそうですし、日本のカメラや車も根っこが同じですよね。
もう一つはヨーロッパのデザインと比べると、日本のモノには時間の流れがあるんですよね。竹など生命感が宿っているものが素材となっているからだと思います。ヨーロッパは形式や様式を強固にする、石などを使って風化させないという意識を感じますが、日本のモノは年をとっていったりする。寿司屋のカウンターの白木も年をとっていって、あるときそれを磨いて若返らせる。素材の扱いの中に、移ろいがある。時を止めるのではなく循環させるという思想がありますね。モノの表情も変わる、固定化しない感覚というのでしょうか、アジア圏の中でも結構独特で 清潔さや新鮮さなどというイメージとつながる気がします。

日本のデザインには、”器用さ”と”生命感の捉え方”を根っこに感じるところがありますね。

森永

今回、モノの中に魂を入れ込んで、モノが洋服以上の役割や機能を果たすことを改めて感じました。どんどん世界に出そうと思っていた中でやっていた時に、世界がコロナで一旦止まった。そこで今までのスピードについて考え、原点回帰、それだけでなくどう原点を強化するか考える機会になりました。そういうタイミングでの、ハブラギンとの出会いはすごくいい機会でした。

理想のデザインミュージアム の形とは

齋藤

アーカイブされるべきものが、なくなってしまっている事態もありますね。
やはりデザインミュージアム は作るべきだと思いますが、一箇所に全部集めるのは無理でしょう。分散展示をして、データベース化していくのがいいと思っています。



おっしゃるように全部集約するのではなく日本の各地にある情報をデータ化してそこに赴くこと、それが一番可能性が高いでしょう。今回の展示をきっかけに奄美の端っこにおとずれてくれた人たちがいます。そういうことが全国で起こってもいいのではないでしょうか。



私たちの館はとても小さい館なので、貴重なものが多くの人に知られないまま保管されています。それで文化財は守られていますが、今回のようにマイナーな文化財が多くの方に見ていただけることで、新たな視点で蘇ったという気がしました。

齋藤 

「みんながネットワークにアクセスできる時代になった今こそ、作ることができるミュージアム」もあるのではと思います。分散展示の難しいのは、モチベーションとカロリーがかかることですね。分散的なミュージアムの モチベーションを上げる方法はないですかね。

田川

人に見に来てもらえるというのは嬉しいですよね。人が足を運ぶ理由 ストーリーの作り方次第で、もっと可能性は広がるのではと思います。
今回のデザインミュージアム ボックスの取り組みでは、キュレーターになっているデザイナーがそれぞれ違うオーディエンスを持っています。興味がクロスオーバーするような、普通だったら行かないようなところに連れていってくれる、そういうセレンディピティは、中央のミュージアム一箇所だとできない。

例えば分散型のデザインミュージアム ボックスが全国の館に1000個あって、ツアーを組むとか、年に数回テーマを決めて集約した展示をするなどもいいですね。集約と分散のうまい組み合わせができるといいのではないでしょうか。都市で整備されたコンテクストを消費するのにはみんな飽きてきています。ミュージアムに行く途中に体験したことが心に残ったり、そういうところも含めてデザインできたら、海外のデザインミュージアム とは違った価値が生まれるのではないでしょうか。

森永

ハブラギンを初めて奄美が見たときは、図書室の奥に眠っていたんですよ。
こんな宝があると、島民の皆さんですら知らないのではと思いました。
一方で奄美大島の風土から必然的に生まれていることは、その場所だからこそ説得力を持っています。
その場所で見るよさと、多くの人に見てもらうよさの両方がありますね。

齋藤

「集めてつなごう デザインの宝物」とありますが、自分だけだとわからないですよね。人からすごいねと言われるから宝物の価値がわかる。
ハブラギンが今回初めて東京に来たような、そういう新陳代謝が起こることで、宝物が宝物であることを改めて認識できるのではないでしょうか。



私たちが宝物だと思ってミニコーナーを作ってお見せしても、自分たちのものですからあまり説得力がないんですよね。今回森永さんがデザインミュージアムボックスとして作ってくれたことで、宝物であるということの説得力を帯びました。モノの力も大事ですが、最後は人間の力ですね。



この企画展を地元でやったときに、地元の方々も改めて見て、こんなにすごいものだったのね!とみんな再認識していました。
東京に展示される というのは誇らしい気持ちになってくれたと思います。

齋藤

こういう形で文化財を貸していただくハードルは高いと思いますが。
何か今回のことで実際に課題がありましたか?



着物でも一回動かすと粉が落ちるものもあり、守っている者としてはどこかで心が痛いところもあります。とはいえずっとそのまま保管していると、宝物と伝えられない。このバランスが大事なのではないでしょうか。
どのようにモチベーションを持っていくのかが大切ですね。



今回東京に貸し出しをすること、悩みました。遠い距離を移動するということで壊れてしまわないか、事故に合わないか、という不安はありました。
それでも、信頼関係だったり、企画展に出す意義を考えて、踏み出したことでいい結果になったと思います。

齋藤

コレクションは一箇所に集める必要はないですね。
ただ、揃った項目で保存状況などデータベース化すべきだと思います。
まずは東京からはじめて、海外から来た人に東京でデザインの目次を見てもらう。そこから次来た時には全国に行ってみようと思ってもらう。
地元の方々が宝物の価値を再認識した、というのはすごくいいなと思ったので、やはり東京だけでなく地方でも開催すべきだなと思いました。 

田川

東京にハブ的な役割を持つべきだと思います。
今回は、各ミュージアムをアーカイブ拠点というだけではなく、
実際にボックスが各地方の展示館で展示されたところが良かったですね。
ただモノを借りるだけでなく、関係がもう1レイヤー増えますよね。
各拠点でも変化が起こるのはいいことだなと思います。

森永

家庭科の授業で服飾を習った地元の高校生が、
今回の展示でハブラギンを見て誇らしい気持ちになってくれたそうです。
地方の入り口をしっかり作るということは大事ですね。

齋藤

日本のデザインは、実は移動して見に行くこととセットなのではないかと思いますね。みんなモチベーションを一個のブランドとして作っていけたらいいですね。



東京→ 地方 というベクトルの向き方が好きではないです。今回私たちの館では、プラスαでハブラギンの解説パネルを作ったり、他のハブラギンを一緒に飾ったりしました。受動型で東京から来たものをただ飾るだけじゃなく、地方でプラスαして行くことが大事ではないでしょうか。



先ほども話に出ましたが、モノが生まれた場所で見ることは、大事なことではないかと思います。

田川

そうですね。現場で見ることの価値・ドキドキがやっぱりあるなと思いました。今回キュレーションにデザイナーが介在する、という取り組みもアイディアだと思います。翻訳家みたいなポジションで、楽しかったです。
柳宗理さんのことはもちろんずっと知っていますが、一緒に働いていらした方や親族の方などに、人となりを深く教えていただいて違うレベルの理解を得ました。自分のものづくりにも影響してくると思います。
今を生きるデザイナーたちに介在してもらいながら、宝物の掘り起こしをしていく仕掛けはすごく面白いと思いますね。

森永

今回このような機会で、偶然ハブラギンを見つけることができて、とてもよかったです。まだまだ衣服が日本各地に眠っていて、他の時代、他の地域でも宝物があるに違いありません。引き続き探したいし、多くの人に伝えられる場所ができたらいいなと思っています。

齋藤 
ありがとうございました。

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