20代のやるべきことは「挑戦」ではなく、「ちょうどいい」を探すことかもしれない
20代のうちにやるべき◯つのこと、後悔しない20代の生き方、などのタイトルがついた記事や書籍はたくさんある。20代というものは「貴重」で、「これからの人生の基盤を作る期間」で、「恐れずにどんどん挑戦するべきだ」という言葉は腐るほど目にする。
私自身もあと数週間で20代が終わるので、「やっぱり20代はどんどん挑戦するのオススメだよ」みたいなことを書こうとしていた。だけど、私にとって本当に「挑戦」はよかったのだろうか?と思い直し、改めて考えた。
「20代は挑戦した方がいい」というプレッシャー
我武者羅に頑張ることはカッコイイと捉えがちだ。苦難が大きければ大きいほど、それを乗り越えた人は、のちに美談として語られる。だけど、それはあくまでも一部の人だ。
私にとって挑戦は苦痛でしかなかった。
挑戦なんて辞めたかったけど、20代のいま頑張らないとその先の将来が不安でたまらなかった。
自分より年上の人もメディアも「20代は挑戦した方がいい」と言う。
私自身も自分に言い聞かせていた。20代だからやらないと。20代のうちしかできない。
だけど、現実は挑戦すればするほど、私は仕事もプライベートも心身も全く安定しなかった。
たしかに、いろいろ挑戦してスキルや経験はたくさん身についたのは事実だ。それ自体はとても良いことだった。だから、気づくのが遅かったのだと思う。
挑戦ではなく「ちょうどいい」を探し始めた
私は挑戦し続けるうちに、挑戦すること自体が「目的」になってしまっていた。
20代の終わりに差し掛かってきて、段々と挑戦だけでは人生で上手くいかないことが増えた。様々な挑戦が、点で散らばってつながっておらず、なぜ挑戦したいたのかも、まわりにも自分自身にも上手く説明できずに、こじつけのようなストーリーばかりが出来上がってた。
自分の人生なのに、他人の人生を生きてるような感覚だった。
そんな違和感に気づいた私は、自分の人生を取り戻そうと、自分のペース、自分にとっての“ちょうどいい”を探すようになった。
だけど、この「自分にとっての“ちょうどいい”」というのが、実際にやろうとするとなかなか骨が折れた。20代のほとんどを、挑戦、いわゆる私にとっては「無理をする」ことばかりやって、完全に感覚が麻痺してしまっていたからだ。
少しぬるま湯につかっただけで、じっとしていられず、また火に飛び込んでしまう。ここ3年ぐらいは、それを繰り返していたように思う。だからこそ、“ちょうどいい”を諦めてかけていた。そうじゃなくても社会で生きづらい特性を抱えた私は、やっぱりキツいまま生きていくしかないのかもしれない、“ちょうどいい”なんて夢のまた夢なのかもしれない、と。
ちょうどいいを探すための「人生」という枠
でも、どうせ生きるなら楽しく生きたい。私はどうしても苦しいままでは嫌だった。自分のちょうどいいを見つけるための挑戦として、20代の最後になって私は会社員を辞めた。
社会人になって会社を転々としても「会社員」だけは辞めなかった。状態が安定しない私には「会社員」というのが唯一の安心だったからだ。でも、ある意味、私にとっては縛りになっていた。
このままフリーランスが上手くいくかわからないけど、会社員を辞めてみて、ぐっと視野が広がったように思う。
「会社員という枠」の中で自分のちょうどいいを見つけるのではなく、「人生という枠」の中で自分のちょうどいいを見つけようという思考に変わったのは、自分の中でかなり大きい。
会社員とかフリーランスとか、その辺のこだわりがすっかり薄れた。だからまたそのうち会社員に戻るかもしれない。でも私はそれよりも、そのやり方や生き方が私自身にちょうどいいのかどうかの方が大事になった。
だからこそ、20代になったばかりの頃の私にアドバイスするとしたら、ぜひ自分軸で、”自分にちょうどいいを探すため”の挑戦をたくさんして欲しい。30代を目前にした私はやっと、自分にとって良い挑戦をこれからしていけそうな気がするから。
最後に
私がこうやって無事20代を終えられるもの、様々な出会いや支えがあったからこそだ。たくさんまわりに迷惑もかけてきた。この場を借りて、謝罪と、そして感謝を伝えたい。本当に本当にありがとうございました。
2020年、30代のスタート。
自分が心から楽しんでいる姿を周りに届けて、それこそ、その楽しさでバタフライエフェクトのような効果を生み出していきたい。
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