寂しがり屋なのに一人で居ようとするのはどうして?

よく人にこう言われます。
「ものすご〜く、しっかりしてますね」とか「顔色一つ変えずに、自分の意見を言えるってすごいですね」とか。

ここで一言、誤解を生まないようにお伝えしたいのです。
顔色変えない=動じない=感情を感じない、ということではないことを……。私は、感情がとっても激しいです。感情が豊かです。だからと言って、わけもなく怒ったりはしないし、人に迷惑をかけることは、ほとんどありません。
それを上手に表してくれているのが、石井ゆかりさんの星読みでした。
私は蟹座なので、蟹座を見てみると……ちょっと恐ろしいくらいのことが書いてありました。。。

「いったん決壊したダムは、水が流れきるまで収拾がつかないのです。蟹座が決心したこと、蟹座がこだわったこと、
これらは、蟹座の感情という荒れ狂う波の世界がおさまるまでは、
誰にも止められません。」

この表現を読んだ時、私のことだと思いました。
普段は穏やかですが、誰かが心の傷に触れようとした瞬間を察知するや否や、ダムが決壊して途端、感情という洪水の渦に自分も周囲も呑まれてしまう。それを何よりも恐れているのが自分だったりするのです。。。

自分の身内と外との区別

子供の頃から、自分の味方か、そうでないかを見分けるような癖?があったように思います。自分の家族であっても、私の心の繊細さを大切にしてくれない親は、私にとっては味方ではなかったし、全くの赤の他人が私にとっては身内のように思えたことも多々あります。
それは、自分の感性と近いか、私の感性を大切にしてくれるからとか、そんな理由だったように思います。

私は相手から影響をものすごく受けやすいタイプです。
相手の癖や考え方が、どんどん自分を侵食していくのです。それが、好きな人であれば、自分から積極的に取り込んでしまうところがあるのですが、自分を傷つけて来る人の性質や考え方が、どんどん自分の中に流れ込んできます。いつも友人たちに、「気にしなければいいじゃん」と言われるのですが、気にしないということが出来ない。のです……。
自分を傷つけてくる感情や考えが自分を侵食してくる気がして。
だから、激しいまでの嫌悪感を持つのかもしれません。

だからこそ、簡単に人に近くことができないのです。私の中で、この人は安全だと思った人にしか、近づけない。いつも知らず知らずのうちにバリアーを張っているんだとおもいます。人に簡単に近づけないから、人に簡単に助けを求めることも難しい。だからこそ、自分で解決できるようにスキルを身につけて、なんでも一人でこなしてしまうのかもしれない。
だって、傷つきたくないから。

私の心の中に、仲良くなった人はどこか家族同然に相手を愛するという性質があるのかもしれません。実際は、家族ではないからその人が自然に離れていくこともあります。その時に、一番悲しむのは私なのです。自分でも意外なんですが、人が離れていくことが寂しくて、必要以上に傷ついてしまう。そういうことを、もう何度も経験してきて、離れて行くつらさよりも、どうせ私は嫌われるのだから、最初からあまりかかわらないで、相手がいなくなった時の苦しみに耐えられるかどうかを自分に問いながら、人と関わるのかもしれません。

特に、日本人は見た目というか、外から見える部分にしか目を向けられない人が多いように思う。その人がどんな生き様で生きてきたのか、とか、自分にはないどんな素敵なところがあるのか、とか、その人の知性が魅力的とか……そんなことまで考えないんだろうなぁって思うと、私は日本では部外者のように感じてしまいます。
自分の意見や主張を持たない、感じの良い人、自分にとって都合よく振る舞ってくれる人、そういう人が好きなだけで、それって本当に友達なのかな?って思ったりする。

カナダに渡航できる日が来たら、私の心の中に住んでも安心、と思える人たちにたくさん出会いたい。


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