シュルレアリスムとダリ
サルバトール・ダリ(1904-1989)は20世紀に活躍したシュルレアリスムを代表する画家である。
現在、角川武蔵野ミュージアムで『サルバトール・ダリーエンドレス・エニグマ 永遠の謎ー』が開催中。シュルレアリスムに関連して3月より、板橋区立美術館で『『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本』、4月より東京都美術館で『デ・キリコ展』も開催予定だ。
今回は展覧会をより楽しむために、シュルレアリスムとは何か、シュルレアリスムとダリの関係について調べてみよう。
※サムネの作品は早瀬龍江の《願望》(1953)である。埼玉県立近代美術館で1月まで開催されていた『イン・ビトウィーン』にて。
シュルレアリスムとは何か
「シュルレエル」とは日本語で、「超現実」という意味である。そのため、「シュルレアリスム」は超現実に寄って立つものの考え方?立場の取り方?のように解釈できるだろう。
ここで注意したいのが、日本語の「シュール」とは真逆の意味であるということだ。シュールというと現実のものではない夢、幻想のようなイメージを持つが、「シュルレアリスム」は現実である。
Aを現実、Bを我々のいうワンダーランド(別世界)とおいたときに、非常に分かりやすかったのが以下の説明だ。
シュルレアリスムという言葉は詩人のアポリネールが初めて使った。20世紀前半、狂騒の時代だったパリにおいてシャガールの絵画を見て使ったともいわれている。ただしシャガールは超現実ではなく、祖国を思いうかべて夢・幻想を描いているようなので、後にアンドレ・ブルトンが使ったシュルレアリスムとは意味が異なる。
シュルレエルに接近する
アンドレ・ブルトンは強度の現実であるA´に「自動記述」に取り組むことで到達?した。何も書くことは決めずに、様々なスピードでものを書いていったのだ。彼は親友である詩人のフィリップ・スーポーと共同でこの作業を続け、最終的には日常生活に支障をきたす危険な状態になったという。
話を聞くだけで、この実験をしたら非常に危険だと想像できる。「私」という主語が存在しない客観的なオブジェの世界、それをシュルレアリスムと言えるのかもしれない。
絵画におけるシュルレアリスム
20世紀の芸術作品に客観性が含まれるのは上記のような流れがあるのかもしれない。シュルレアリスムを代表するデ・キリコの絵にはまさにオブジェが「そこにある」客観的な作品だ。絵画においても、自動記述が取り入れられていきミロやジャスパー・ジョーンズなどに繋がっていくのだろう。(完全自動記述といえるかは微妙だが、画家の主観的な描き方と違って客観的に描かれて造形が結び付くのを見たという感覚はあったのでないかと思う)
ただし、絵画としてのシュルレアリスムにはもう一つ「デペイズマン」という考え方も重要だ。日本語でいうと「転置」といえるらしい。
ここで疑問になるのが、それぞれが画家が上記のような思想のもと絵を描いていたのかということだ。理論を知らずに直感的に描いたかもしれない、流行りの絵画として見た目の美しさから描いたのかもしれない。もしくは日本でいう「シュール」のように全く別の夢、幻想と解釈した可能性もある。
我々は絵画の見た目からそれが「シュルレアリスム絵画っぽい」か判断する以外にすべがないのだろう。
ダリとシュルレアリスム
上記を踏まえて、「ダリ シュルレアリスムを超えて」を読んで、ダリの作品を眺めてみる。見続けているとその絵の細かさと写実的なオブジェに狂気すら感じ自分がどこにいるのか分からなく感覚になった。彼はどのようにシュルレアリスムと関わったのだろうか。
1929年、ダリと友人でブリュニエルは自動記述の手法で生み出されたイメージをもとに映画を撮影した。この映画はパリで上映され、ピカソ、ル・コルビジェなど名だたる芸術家も足を運んだという。何よりこの映画がきっかけで、アンドレ・ブルトンを率いるシュルレアリストグループに正式に受け入れられたのである。シュルレアリスム運動に参加したダリは自らの美を「偏執狂的実験」と名付け現実の転換を試みていった。
まとめ
以上シュルレアリスムとダリというテーマで書いてみました。理解できたような理解できていないような(笑)特にダリとシュルレアリストグループとの関係は複雑だったので、今回は割愛。
シュルレアリスムに影響を受けた作品は不思議な魅力があるが、シュルレアリスムの考えを知ることで少し見方が変わった気がする。
参考文献
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