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絶対造形感
秋田道夫先生の新書『かたちには理由がある』を買いました。
金言が散りばめられていますが、絶対造形感という表題の内容がありました。
キャスターのデザインの話なのですが、秋田先生は『フェラーリのイメージでキャスターをデザインしようと思った』とあります。
こういう『〇〇だったらどうするだろうか?』的発想は重要です。
学生でもデザインが上手い人は、そう考えてデザインしており、下手な人は自分の持っている引き出しの中で考えようとします。
キャスターに誰も造形を期待していない(というと言い過ぎですが)世界で、フェラーリという世界最高の回転する車輪にいきなり行っちゃっているわけであり、そこをベンチマークにすることで物差しが決まってくるわけです。
またこのコーナーで先生は「絶対音感ならぬ、絶対造形感」について触れられています。黄金比などでは無い、秋田先生流の造形感覚でやればカッコ悪いことにならない自信というものです。
さらに、美しいだろうと思って考えた造形が、設計者の考える内部構造や仕組みにピタリとはまっていたという話です。
「造形」=形を造る
この事に対して今の時代は急速にその力を問われなくなってきていると思います。
京都造形芸術大学も京都芸術大学と名称変更しました。
教育の現場でも、デザインの領域が拡大し、分野を横断する形にどんどんなっています。
入学時点では分野を限定せず様々なことを学んで自身の道筋を見つけてくれ。というのがどこの芸術大学でも主流になっています。
しかし、学生の造形力低下は厳しいものがあり、形を作ることより目に見えにくい関係性や、サービスの構築に興味が注がれている気がします。
そんな潮流の中、この世界やデザイン教育から急速に造形力が失われつつあると感じています。
私の今いる、香川大学では「造形・メディアデザインコース」という名前であり、消えつつある「造形」を今さらのように冠したネーミングです。
これは、時代に反するようであり、あえてそこを行く価値があると私は思っています。
この時代において、造形ができる人の希少性は高まるだろうと思っています。
これから、造形はどこへゆくのか気になりますし、造形を意識してデザインをしてほしいものです。
かたちには理由がある (ハヤカワ新書 010)
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