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無。

少し霧がかった曇り空の街並みを歩く。

今日、君に逢えるのを楽しみにしていた。

ビッグ・ベンを見つめながら、少し肌寒い風を手袋をしていない手に感じる。

何度も何度も今日着ていくスーツのワイシャツの皺を伸ばしながら、僕は歩いた。

コツコツと革靴がアスファルトの乾いた音を響かせる。

君に逢う時間まで、あと数分……待ち合わせには間に合いそうだ。

なんてことを考えながら、歩き続ける。

今日は何を話そう。何を食べよう。何を持って行こう……。

いろいろ考えると足取りが弾む。

約束の時間が来た。

ほら、目線の先には……大好きな君。

君は僕に気がつくと、柔らかく優しく微笑んだ。

「”久しぶり。”」と片手を上げ、軽い挨拶を交わす。

久しぶりの君との再会に照れていると、「ふふふ」と君は可愛らしく笑った。

それから軽い食事をとり、ウィンドウショッピングをしながら街を散策する。

あれだけ考えていたはずなのに、僕たちの間に会話は無かった。

食事中も、君に似合いそうな鞄を見つけても、夜の風が冷たくても、会話は無かった。

でも、ずっと繋いでいる手が温かくて。

それだけで幸せだと思った。

「”ずっと好きでいるよ。”」

そっと呟いた言葉に君は目をパチクリさせると、「うん」とまた可愛らしく笑った。

「”やっと会話らしい会話が出来たね。”」

繋いだ手に力が入り、温かさが増していく。

きっと僕は、君以外いらない。

ほら、また会話が無くなった。

けれど僕たちにはそれが心地良かった。


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