失敗から学べ〜弟子入り日記その3〜

まず今回の記事だが、師匠のお供をして帰ってきてから数日寝かせてある。これも師匠から「情報を一度整理した後に寝かせることも吉」と教わったからだ。

先日、初めて師匠とポルトメンバーの皆さんとともに出張に行った。向かった先は滋賀、兵庫、愛媛。師匠の師匠(僕の大師匠)が新しく事業を行う滋賀の長浜を視察し、そこから神戸で師匠の第2の師と食事をしたのち、ポルトのCEOとおかみの故郷訪問と3つのスケジュールをぎゅぎゅっと詰め込まれた出張だった。まず、今回の出張は情報量が多すぎて完全に消化不良になった。だから、整理するためには時間とエネルギーが必要だった。

愛媛からの帰りの船の中で師匠は、

アイデアやアウトプットっていうのは、思いついてから整理(デザインならラフを、企画書なら章立てを作ってみる)してみて、そこから数日寝かせてさらに仕上げるとより洗練される。

と教えてくれた。だから、3日間の濃密な旅の記録を、まずは要点だけまとめておいて、2日間寝かせて今に至る。きっと、あの時よりも少しは洗練されている。はずだ。。。

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前置きが長くなった。

1日目、師匠の師匠に会いに行った。建築士としてのキャリアののち、外資系コンサルで修行し、今は独立して外資ホテルの立ち上げのプロジェクトマネージャーなどをされている方である。初対面であった大師匠の印象はスーパーサイヤ人だった。速い、強い、エネルギッシュという感じ。

限られた時間の中で車で琵琶湖の北側のスポットをたくさん訪問した。1箇所の滞在時間は15分ほどで、その土地の歴史、現状、今後のポテンシャルを一気に語り、また次の場所へ。移動中もずっと喋りっぱなしで隙あらば目的地を急遽追加して新たな情報を提供していただける。常にぐるぐると考えて、インプットとアウトプットを超高速で繰り返していて、怒涛の勢いでトークが展開される。前回、師匠と樋口さんの時にも感じたが、この人もまた思考体力お化けなんだなと感じた。

滋賀が栄えたのは戦国の世。琵琶湖という水源があり、広い土地があったため作物に恵まれ、豊臣天下の頃まで栄えていたのだろう。その面影は今でも建物や土地の成り立ちに残り、琵琶湖の周辺は今でも広大な土地で米や豆が育てられ、あたり一面田んぼや畑だった。

大師匠が「ここは関ヶ原の合戦に向かう武士たちが峠越えをする前に休む宿場町だった」と教えてくれた場所は、古い建物が今でも多く残り、周囲は山に囲まれ、当時は本当にここから出陣していたんだなと感じさせる光景だった。

ちなみに、師匠は初めての滋賀県に「おおお!」とか「すげーー!」と感動し、琵琶湖のことをずっと「もはや海!」と言っていた。

大師匠に連れて行ってもらったスポットで印象的だったのは、若い夫婦が営むガラス工房だ。そこのご主人はとても物腰柔らかい方であったが、芯の強さのようなものをその雰囲気から感じられた。1人で古民家を一つずつ自分の手で改修し、自分の家族が暮らす家を作り上げたそうだ。初めはテントを張って寝ていたらしい。今ではすごく素敵な工房と家であったが、そんな苦労をその柔らかい雰囲気のまま語るものだからギャップがすごかった。しかし、師匠とご主人が話す中で、「今の人たちってこうした田舎で古民家をリノベした自分で作る暮らしとかに憧れますけど、あれってスローライフでもなんでもなくてハードライフですよね」という言葉が印象的だった。田舎暮らしも、表面だけ見ると都会の喧騒から離れ悠々自適に暮らせるといった憧れもあるが、本当のところは違って、何事も自分の手で、一つ一つ根気強く取り組んでいかなければいけない。もはや根性。そこを知らずに飛び込むと痛い目をみる。そうした生活を飾らず、自然体のまま語っていた姿に僕は強さを感じたのかもしれない。

いつもはその時感じるものを、あるものをまずはそのまま受け止めてみるというスタンスで僕は人よりワンテンポリアクションが遅いのだが、今回はそうもいかなかった。移動中に車内では常に突っ込みやコメントを求められる。反射神経が鈍い僕はいつもワンテンポ遅れて、大師匠に「遅い、面白くない」と一蹴された。しかし、大師匠も師匠もその高い戦闘力の裏には、これまで幾度も素早い反射神経で勝負どころを乗り越えてきたということがフィードバックでわかった。新入りが呼ばれる会議では、コメントを求められた時に素早く、的確に、面白い(ぼけるというわけではなく、こいついい考え方してるなというもの)ことが言えるかどうかが鍵だ。うまくいけばまた呼んでもらえるし、失敗したら2度目はない。そうした勝負どころを乗り越えてきたからこそ、今いろんな仕事が依頼されているのだ。アイデアが欲しい、力を借りたいと思われる人材になっているのだ。社会における戦闘力のうちの一つは、反射神経なんだと教わった。

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2日目、師匠の第2の師に会いに兵庫に移動した。兵庫は自分が育った街でもあるのだが、それまで知らなかった兵庫を知るとてもいい機会だった。

第2の師匠は、偶然にも僕と同じ広告営業を仕事でされている方だったが、その商人スキルは群を抜いていた。まず、初めの突破力がすごい。気になるテナントがあったら躊躇なく飛び込んでいた。僕らと一緒に歩いているプライベートの最中でも、気になるお店に入っていくスピードが凄まじかった。そして、そこから相手を納得させるのが上手い。というか、話が上手い。自分が好きだと思ったものを、熱量を持って相手に伝えるため、話を聞いた後には自分も興味が湧いてきたと思えるシーンが何度かあった。心からいいと思った話を、表裏なく語るため人は信用できると感じるのだと思う。最後に、気づけば自分にも相手にもその他の人にもメリットがある、三方よしの状態を作ってしまう。例えば、プライベートで古民家を買って今後活用するらしいのだが、師には作戦があった。その場所を使って、自分が欲しい家具を揃えつつ、その家具を販売しているメーカーにはモデルルームのように展示して、自宅にきた人に勧めて代理で販売しますよ、その代わり、ちょっとこっちのメリットも交渉させて、みたいな感じだ。家具を売りたい人も、家具が欲しい師匠も、いいなと思って買いたいと思ったお客さんもみんなハッピーだ。それをとても自然にやっているからすごい。食事を共にしながら、いろんな話をしたのだが、さまざまなエピソードから垣間見るその商人スキルには学ぶことが多かった。

夜、ゲストハウスに泊まったのだがそこでの出逢いも濃かった。

偶然にも、ポルトのおかみの知り合いの方がゲストハウスの近くに2人いて、夜にお話しできた。2人とも20代後半、30代前半と僕の先輩だが、自分でチャレンジしていてカッコ良かった。自身で内装業の生業をしている方と、公務員をやりながら自分で場所を持っていろいろなことにチャレンジしているお二人と話していく中で、師匠(菊池さん)がチャレンジするなら若いうちがいいという話をしてくれた。若いうちは、体も動くし、失敗してもまたやり直せる。逆に、30歳までチャレンジを先のばしにした人は、いろんな制限もかかるしチャレンジする勇気もなかなか持てず、できなくなる。やるなら早いうちにやってしまった方が、失敗してもまたやり直せるためいいということだった。僕もいつかは自分の力で戦えるようになりたいと思って弟子入りした身だが、いつかと言っているうちは、先延ばしにしているだけ。今の環境に満足し、チャレンジをしないままズルズル過ごすとまずいなという危機感を2人の先輩と師匠の話を聞いて感じた。師匠が、とりあえず少額でも自分でローンを組むとか融資を受けるとか、不動産を持ってみるとかしてみたら、覚悟も生まれるからいいよと言っていた。僕は、覚悟を持って入社したはずの会社で自分の実力を突きつけられ、コロナという環境に振り回され、しかし会社が大きいためなんとかなっているという状態に甘えている自分にずっとモヤモヤしていた。覚悟や責任なく挑む中で大きな失敗も、成功もない。その状態にこのままでいいのだろうかと最近よく感じていた。だからこそ、自分の地元でチャレンジしている先輩の姿を見て、刺激をもらった。まず今の自分ができるチャレンジをやってみようと誓った神戸の夜だった。

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3日目、この日はそれまでと少し雰囲気変わり、ポルトメンバーの故郷訪問で、愛媛県初上陸。各メンバーのご家族との時間に少しお邪魔させてもらった。食べたご飯はどれも美味しかった。

愛媛県はとても穏やかな県民性と聞いていたが、本当にその通りな気がした。

海を見ても、関門海峡の流れの早い波と違い、瀬戸内の海は穏やかだ。ずっと眺めてられるなと感じる。こうした気候が、穏やかな県民性も作っているんだろうなと、その土地に実際に行って改めて感じた。

師匠と男2人、風呂屋で話している際に、稼ぐ力の話になった。

まず、稼ぐための商圏がないと難しい。例えば、愛媛は都市部と比べると人も少なく仕事も限られる。ブルーオーシャンとも考えられるが、同時に自分に高い専門性やスキルがないと人が少ない分稼げる入り口が少ない。一方で、神戸などは人も多く経済も比較的活発なため、小さく始めても稼げる入り口がある程度ある。また、力仕事ができれば日雇いでも稼いでつなぐことはできるが、そうでなければ仕事も限られたりもする。自由ではあるが、己の身で戦っていく上では性別や人によって制限が生まれることもある。今の自分のスキルと商圏のどちらも踏まえて考えて、自分が戦える場所に身を置く必要があるんだとわかった。

実際に師匠もアイデアを考える時に、まずは商圏の動きを考えていた。出張の振り返りをする中で滋賀のことをポテンシャルはあるがやはりまだ他の場所に勝てるという強みは弱いと分析し、今後の伸び代を考えた時に周辺の他県を合わせた人の性質、動きに注目して仕掛けどころを探していた。ここについては、大師匠と一緒に今後またミーティングを重ねるようなので、しっかり吸収していきたい。

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今回の出張を振り返る中で、僕が強く心に残っているのは師匠たちの失敗から学ぶスタンスだった。滋賀でも兵庫でも、師匠たちが「失敗があるから今の自分がある」と話していたのが印象的だった。今でこそすごい人でも、失敗を重ねて、特に若いうちにいろんなことに挑戦して失敗したからこそ、それが少しずつ生きてきている。失敗を繰り返してもバットを振り続けることで、結果を残して、実力をつけたり、失敗を繰り返した結果大したことでは動じない心が身についたり、いずれも経験して乗り越えた先にある今なんだと人生の先輩方の話を聞く中で強く感じた。そして僕がこのアウトプットを出すまでにも、師匠や大師匠はすでに何本もアウトプットしている。今でもどんどんチャレンジしている。

神戸の夜にこのままでいいのかと自問自答し、チャレンジしてみようと思った。師匠のもとでたくさん失敗させてもらいながら、これからチャレンジをしていきたい。まずは、鈍い反射神経を鋭くするところから取り組めたらと思う。師匠、引き続きよろしくお願いします。

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