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その手

一度しか書かないから立ち読みしてって。この記事は1月中に削除する予定。残したくない気がしてならないから。今年は、髪はとがない。アーカイブなしの壱年にしたいから🐰 それが今思う潔さ(美学)なのだろう。

起こり

あれは確か今年に入ってから何かの旧暦の日だったか?
いや、山羊座満月(似非占星術の恩恵→ポインツ)か何かのややパワフリーな夜の出来事。まぁ、要するに「いつか」だった。


数日前の休日のある日。運転しながら、

「もうこんな乖離状態は嫌だな。めちゃめちゃ嫌だな。もう十分に苦しんだじゃないか。」

と心の底から思った。このように思わない日はないのだが。しかし、この日ばかりは、いつものうんざりとは全く別の感じで、「乖離」について思った。何故かはよく分からない。突然、いつもとは違う感覚が降ってきた。どう考えても、いつまでも、こんな自己との乖離はよろしくない。何か違和感めいた疑惑(疑い)のような感覚を持ち始めた。この乖離状態は、2016年頃くらいから一日も欠かさず続いている。今の今まで。理想と現実のような乖離に慣れてしまっている。世間は、それを鬱と呼ぶのかノイローゼと呼ぶのかなんちゃら乖離性障害とい呼ぶのかは知らないが、好きに便宜的に名前を付けて呼べばよい。病的な妄想癖は収束したつもりだったが、未だにその影響下にあるのは否めない。

その正体を次回暴いていこう。

続く。。。

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