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ホントはおもしろい現代文__垂直思考と水平思考


◆ホントはおもしろい現代文_垂直思考と水平思考 
2022/06/30

思考の方法には垂直思考と水平思考があるという。「垂直思考」とは論理的な思考を意味し、前提をもとにすじみちに沿って考えることを指す。それに対して、「水平思考」とは前提にとらわれない自由な発想を意味する。

近代以降、重要視されたのはもちろん前者であり、かのカントもケーニヒスベルクの小さな散歩道を規則正しくたどりながら、垂直的な思索によって偉大な思想を生み出したという(辻邦生「小さな散歩道から」)。

そして、こうした思考態度や能力は、学問の世界だけでなく、社会全般において、必要不可欠なものとして各個人が身につけるようハードに、あるいはソフトに強要されてきた。

最近は若干見直され、経済的分野においても「水平思考」の重要性が説かれたりするが、それが新たな価値を生み出すものとして推奨されるのは「開発」や「経営」などに携わるごく一部の人間だけである。  

他の多くの人間は、マニュアルや規律に従って「垂直」的に考え、行動することが求められ、それができなければ能力不足と判定されることもまれではない。

それは、他でもない、近代以降作られた組織や制度といった、我々を取り巻く様々なものが、そうした考え方に乗っ取って、言い換えれば、合理主義の下に作られてきたからである。

だが、人間のあり方からすれば、垂直思考だけが重視されてよいはずはない。それは、先の経済的「開発」や、より広く新たなものを生み出す創造性につながるから、といった社会的価値のためばかりではない。

本来、人間は多様であり、感覚的な思考を中心としたあり方も十分認められるべきものである。そうならないのは、そうした判断を下す人間が、社会的な前提を基にした垂直的思考から逃れられないからである。

そもそも「論理」なるものも、宇宙を貫く「大論理」といったものがあるわけではなく、言語規則説に見られるように、むしろ、個々の文化に即した個別的なものである。つまり、論理も主観を免れることはなく、「客観的正しさ」なるものを持ち得ないということである。

考え方は、容易に変わらない。従って、現実的には、水平思考が認知され、活かされる場が必要である。芸術やアートだけでなく、方便としてなら、経済的観点に立ったそうした場が作られることも有効であろう。

街角の小さなギャラリーやカフェでいい。偉大な思想は生み出さないかもしれないが、小さなかけがえのなさを守り育てることができるかもしれない。

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