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「火葬人」

Twitter上で豊崎由美氏が紹介していたのをチラと見かけ衝動買い・ジャケ買い。舞台はチェコ、1939年、そうだヒトラーがポーランド侵攻を開始した年だ。国営の火葬場の火葬人、カレル・コップフルキングル氏は「善い人」である。仕事に対して(もちろん「火葬」が職業だ)やや過剰な肩入れはあるものの異常とまでは言えない。いや、厳格であり誇りを持ち正確であり(何しろ「75分間」の焼却時間を二つの焼却炉に配分したタイムスケジュールを後生大事に部屋の一角に掲げて神聖視している)哲学をもって愛している。働く同僚に優しい眼差しで公平に接している。お、そうだ、何より格別に美しい黒髪の妻ラクメーをこよなく愛しておりミリヴォーという14歳になる男の子と2歳年長の娘ジナに対しても同じように変らぬ愛情を注いでいる…ように見える。だが、少し「変」だ。何だろう、この変な感じ、奇妙な居心地の悪さ。呼ばれていないのにうっかり返事をしてしまったときのような居心地の悪さとでも言えばいいのか。

「他人を評価したり、値踏みするのは、わたしたちに似つかわしくないことだ。人を疑ってはいけない。わたしたちはみな欠点をいくつも抱えている」
文句のない人道的見解を口にする火葬人コップフルキングル氏は徐々に「ドイツ化」してゆく友人ヴィリの話にも始めは懐疑的だ。ヴィリはあからさまにユダヤ人を中傷してはいないが頻りにドイツ人の優秀性をその「血」の繋がりを根拠に訴える。
やがてわたしたちはコップフルキングル氏が物事をあまり深く考えているのではないと感じるようになる。それは彼が会う人ごとに会話しつつ相手の弁舌をただ反復しているか、または単純に聞き流しているに過ぎないのではと感じさせるからだ。
とうとうヴィリの勧めに乗ってコップフルキングル氏はナチに入党する。そして火葬人はドイツ軍から新たな任務を与えられる。そうだ、ユダヤ人大量殺戮に伴う焼却処分担当である。ただその所長に昇格するにはある妨げがあった。ヴィリは言う、君の美しい妻「ラクメーの母親はユダヤ人だ」
そしてコップフルキングル氏の発した言葉にわたしたちは愕然とする。更にその後彼のとった行動には目を疑う。
だが、本当にそうだろうか? 現実ははるかにコップフルキングル氏その人に近い行為を我々にもたらすのではないか、と読後この本から問われる。
やがてコップフルキングル氏の「ドイツ化」はミリヴォーにも及ぶ。

終盤コップフルキングル氏は娘のジナにこう語る場面がある。
《「勇気を出して、隠し立てすることなく、真実を直視しなければならなら                 ない。チェコ人の一掃は、わが民族及び人類の利益に見合ったものなのだ。総統が建設しようとしている新しい、幸せと公正な秩序の利益のもとに。かれらが物理的に亡くなることはない」コップフルキングル氏は頭を振り、手を上げた。「物理的に亡くなることはない。わたしたちは殺人者ではない。かれらはただドイツ化されるだけなのだ。わたしたちの民族と幸せなヨーロッパの利益にかなったものだ。ここはわたしたち自身の空間であり、ここから世界を統制するのだ」と手でダイニング中を示し、ちょうど姿を現した猫をちらっと見た。「それが実現したら、天国になる。永遠の天国に」》

「他人を評価したり…」という冒頭の引用は本文38頁、上記の引用は208頁その径庭は170頁、2年間である。コップフルキングル氏が傾倒し我から進んで党員になり「ドイツ化」を粛々と実行してゆく過程は見えていながら止められない、災害を目の前にしながら為す術がない。いやむしろ巧妙なマジックであるかのように書かれているはずなのに読んだ記憶が消失しているのである。
苦い読後感を引く1冊だ。