人は2度死ぬ1 「序章」「水族館」

祖母の七回忌の時に、
お上人さん(うちは日蓮宗なので)読経後のお話にて。

「人は二度死ぬと誰かが仰ってるのを読みました。私はこの言葉に心を打たれました。
一度目の死、これはこの世からのお別れ。
誰しもが受ける事ですね。これは避けようもない。
二度目の死は、人から忘れ去られること。
亡くなったその人についての思い出話を誰もしなくなった時だそうです。
せめて、故人の生前を知っている私らが生きてる間だけでも、
故人との思い出話、
たくさん、何度でもしていきましょう」

と言われた。

祖母との思い出はたくさんある。
ありすぎる。
でも今回は、あえて祖父について話したいと思う。


私は子供の頃から祖父が大好きだった。

タバコを常に吸ってて、周りは灰だらけ、
いつも1人トランプか囲碁をしてる。

祖母曰く、
「大工仕事しても二束三文、
魚好きで麻雀好き、
普段は寡黙なくせに何かあればすぐに癇癪起こして、
口からご飯こぼす、汚いじーさんで、
嫌いやったわ!」
らしい。

それでも私にはとても優しく、
筋の通った祖父だった。

私が高校の時に死んだので、
夫や子供達は私の祖父を知らない。
私にとっての祖父母宅は、夫や子供達にとっては「祖母宅」。

でも私にとってあの家は、
ずっとあくまで「おじーちゃん家」やった。

祖父の二度目の死は、
せめて私が死ぬまでは回避したい。


ちょっとここで私の話をしておく。
(後々の話に絡んでくるので)

ここの祖父母は私の父方の祖父母。
一人っ子長男の父は高卒後就職して都会に出た。
そこでOLの母と知り合い結婚。
私が生まれる。

そして父は、私が3歳の時にくも膜下出血で死んだ。享年29歳。

母は父の死後も祖父母と付き合いを続けた。
私が小学生になると夏休みの8月いっぱい、
「祖父母宅で過ごす」な感じ。
(元々正社員で働いてた母もそれで楽になったとのこと)

祖父母にとっても
「一人っ子が早逝したけど一粒種を残してくれた」
と、私は祖父母に溺愛された。
そんな背景があったからこその、
私の祖父母との思い出だと今は思う。


祖父の話に戻るね。

祖母曰く、
「結婚が決まったのはじーさん(祖父)が戦地から帰ってきてからやから、
戦争時にじーさんがどーしてたのかはわしは知らん。
じーさんもわしには戦争中の話はせんかった。
お互い避けてた。
ただ戦地から戻るって連絡がじーさんの家に来た時、
『マラリアで死ぬかもしれん』と言われて、
棺桶用意しといた方が良いのか?
と話し合ってたと言う話は聞いたことがある。
マニラで死にかけとるからとりあえず帰す、
みたいな話やったかと。
そんな男とわしは結婚するんか?と思ったけど、
まあ、帰ってきて死なんかったから、
結婚することになった
(時代的に親が決める結婚だった)」

祖父母は恋愛結婚ではなかったということね。



⚫︎日帰り水族館旅行の話。

私は祖父と水族館に行ったことがある。
小学生3年か4年の頃だったかと思う。

母が
「ボーナスが入ったので、義父さんにふぐを食べさせたい」
と計画。
水族館に行って、その後にフグ料理で有名な店舗に行く日帰り旅行(ドライバーは母)。
この辺りで場所はわかるかな?w

水族館では、私は常に祖父のそばで歩いた。
祖父と外で出歩くのが珍しく、嬉しかったし、
祖父のことが大好きだったから。

ただ、祖父からは
「あの魚はな、刺身で食うと美味いんじゃ!煮たらグズグズになるから、絶対刺身。
あれは刺身は全くやけど、煮ると驚くほど美味い!
醤油をな、タラっとかけてな、…」
的なレクチャーを散々受けた。
(内容はあんまり覚えてない。南洋の魚たち、みたいなブースやった)

食べる話ばっかりやん…と、正直辟易したけど、
普段は寡黙な祖父が饒舌に魚について喋りまくるのが(いかに美味く食うかのベクトルで)
すごく珍しくて、ふむふむと相槌を打っていた。
その時の祖父は本当に楽しそうだった。

その水族館には「リュウグウノツカイ」の標本がある。(今もあるのかな?)
それを見た祖父が、

「これは戦艦から泳いでるのを見たことがある。
こんなに白くなくて…透明?というか、
体は銀の透明で、ヒレが赤で。
海面をキラキラと光りながら、
(艦と)しばらく並走した後に、
(海面)下に泳いで行って見えなくなった。
とにかく、神々しい生き物やと思った」
と、その標本の前からしばらく動かなかった。

その時から私にとってリュウグウノツカイは
「じーちゃんの神様」になった。
(なので私は今でも深海魚好き)

水族館を出て直ぐにとても良い匂いがした。
屋台の焼きちくわだった。
祖父はそれを買ってくれて二人で食べた。
それを食べながら、水族館楽しかったね!って二人で話してたら、
祖母に「今からふぐ食べに行くのになにを食べよるかー!?」とめっちゃ怒られた。

母が予約してた料亭(だった)に着いて、
ふぐ刺しのサイズを母と祖母で話し合ってる時
(金額的な嫁姑の駆け引きw)。

祖父はメニュー表を見ながら
「わしはオコゼが食べたい」
と言った。

祖母は
「アンタ何を言いよるか!
嫁ちゃんがせっかくご馳走してくれよるのに、
ありがたく!大人しく!ふぐ食わんか!」
と怒髪天。
母は大爆笑で、
「お好きなものを注文してください」
祖父だけ「オコゼコース」になった。
祖父は嬉しそうに、器用にオコゼを食べて
私たちはふぐ刺しコースを堪能した。

後から(祖父死後)
母と祖母宅にてその時の話になった時がある。
(TVでやってたリュウグウノツカイの話からの流れだったと思う)

祖母「あの時ほどじーさんのやりようで、顔から火が出た時はない。(母に)すまんかった」
母「確かにビックリはしたけどw
ふぐより美味しいものとしてオコゼをご馳走できたんなら、それはそれで良かったやん!
私も楽しかった思い出になってるからw」

祖母はともかく(祖父のやりように終日アワアワしてた疲労の一日だったよね💦)、
母にとってもあの日は楽しかった思い出だと聞けたから、私も安心した。

あの時、
祖父と歩きながら食べた焼きちくわの味は、一生の思い出になってる。
(それがフグにならなかったのは、母さんごめんなさい)

水族館で遊泳する魚を「食べ方」的に見たのは、
後にも先にも祖父とだけだった。

私が今でも動物園より水族館が好きなのは、
この時の祖父との思い出があるからだと思う。

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