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みょるにる(古賀コン4投稿作品)



みょるにる

1
 僕はいつも学校に行くためにバスに乗ってるんですけど、そのバスは右に曲がった。そのバスで、ある日おかしな事があったんです。 だって、いつものような、神様もいるから、最後まで行ったんです。痛いから。それで、そこまでは別に良かったんですけど、めちゃくちゃ大きい人もいたんです。毛むくじゃらです。おかしいですよね?普通の道を通ってるのに。それでもバスはずうっと普通に進んでたんですけど、ある道を左に曲がった所で、いきなりブレーキをしたんです。急にです。それで、本当に急にキー---って止まる。中に乗ってた人が、バランスを崩してこけそうになったんです。僕は席に座ってたんで大丈夫だったんですけど。でも、神様がつぶれてたんです。毛むくじゃらの間で、踏まれた蟻だったんです。僕はもちろんおかしいな、と思いました。決まってます。で、気づくと、バスは既に学校前のバス停に着いてました。僕は、あれ、おかしいなぁとか思いながら、嘘じゃないです、バスを降りて、その日も普通に学校に行きました。本当なんです。
 そのバスに乗ってた人はもうみんな死んだんですけど。


 友人から聞いた話です。彼は高校にバスで通っていたんですけど、 そのバスに神様がいたそうです。同じ学校の違うクラスの人で、特別スタイルが良いとか美人だとかではないのですが、どこか不思議な気配が漂っていて、この世の人ではないような、そんな女性だったそうです。彼は後ろの方の席に座って、優先座席の前に立っている神様の横顔を眺めるのが日課でした。そうしてバスに揺られていると、揺りかごにいるような安心感に包まれ、窓から暖かい光が差し込んでくるような、これからきっと良いことが起こるというような希望が湧いてきたと、そう言っていました。
 ある冬の日のことです。いつものように高校に行く途中、バスに乗ってきた乗客の一人が神様に話しかけました。話しかけたのは、千鳥格子のジャケットを羽織った紳士といった感じの人で、何度か見かけた顔だったそうです。彼はその時、内臓が持ち上げられたような、言い知れぬ不安に襲われました。老紳士と神様が何を話したのか彼には聞こえませんでしたが、 ふたことみこと会話を交わしていたようです。
 バスが駅前の停留所に止まりました。大きな駅なので、いつもそこから乗客が急に増えるのです。彼は人の隙間を縫うようにして、二人のことを目で追いました。ハッキリとは見えませんが、いつの間にか男は神様の背後にいて、神様と同じ方に体を向けて立っていました。二人は人波に押されてぴったりとくっついています。神様はもぞもぞと落ち着きなく体を揺らし、時々周囲を伺っていました。何が起こっているのかは分からなかったそうですが、とっさに友人は昨日見たニュースを思い出し、人波で隠れた二人の下半身を想像してしまいました。まさかそのような恐ろしいことが、本当に起きるのかと思ったそうです。やめてください、と声が聞こえました。それは拒絶と言うにはあまりに頼りなく、懇願するような響きが含まれていました。彼女の声を聞いたのは、それが初めてだったそうです。友人はなぜか、幼い頃のことを思い出していました。公園の植木の脇にしゃがみ込んで、熱心に蟻の巣をほじくる男の子の、小さな指につままれたちいさなちいさな蟻の、その小さな小さな小さな足を。それはとても暑い日でした。太陽がつむじを焦がすような匂いがして、汗が自分の影の中に落ちていました。
 二人の様子を見ていたのは友人だけでなく、周りの人たちもチラチラとそちらに目をやっていました。けれど誰も何もせず、バスの中に気まずい沈黙が流れていました。友人は「それだけはさせません!!」 とバスの中で大きな声をあげました。いえ、正確にはそう思っただけでした。人と話す機会のない彼の喉はいつもカラカラに渇いていて、ぜん息のようなヒュウヒュウという呼吸音が漏れ出ただけでした。引きつった口の歪みが、笑っているように見えたかもしれません。
 突然バスが急ブレーキをかけました。運転手さんがアナウンスで 「急ブレーキで大変ご迷惑様です。事故が起きましたので、申し訳ありませんが、ここで降車してください。大変申し訳ございません」と言い、前後のドアが開きました。彼女は逃げるようにドアを目指します。友人には、その後ろ姿に、千切られた羽のつけ根が見えたそうです。乱暴な力でもぎ取られた白い羽根が、車内に舞っていたそうです。
 ジャケット姿の紳士は、彼女の少し後でバスを降り、けれど決して見失わないようにひそやかに後を付けて行きました。彼女にバレないように追うことに夢中になっていたので、そのさらに後ろを、友人がつけていることに気付きませんでした。古い雑居ビルと1階に開店前のTSUTAYAの入ったビルとが並んだ交差点があり、そこで男はとうとう彼女に追いつきました。男が声をかけようとしたその時、友人は背後から男の口を塞ぎ、雑居ビルとTSUTAYAの間の路地に男を連れ込みました。
 男が彼の腕を振りほどこうとしたので、彼は男の背を突き飛ばしました。そして持っていた水筒、そこには温かいお茶が入っていましたが、それを思い切り横薙ぎにしました。水筒は奇跡的に男の顎を正確に捉え、男は声も出せずにその場に蹲ります。顔を押さえたその手を、友人は思いきり踏みつけました。そこで男は、きっと声を上げたと思います。けれど友人には聞こえなかったそうです。ただ自分の鼓動や、こめかみを巡る動脈血の拍動だけが聞こえていて、それが彼を突き動かしていました。コンクリートブロックが落ちていました。奇跡だと思いました。これは神様が決めた運命なのだと思いました。だから仕方がない、たまたま男が蹲っていて、そこにコンクリートブロックがあるのだから。そう考え、だいたい40センチくらいの長さの、穴が三つ空いている長方形のそれを持ち上げ、男の掌に振り下ろします。
ひゅうん             

             どすっ 
ひゅうん        
             どすっ 
ひゅうん  
                                   どちゅっ 
ひゅうん  
                                   どちぃ 
ひゅうん  
      どちゃっ 
ひゅうん
      ぐちゃっ
ひゅうん
      ひゅうん
ひゅうん
      ぐちゃっ
ぐちゃっ
      グチャッッ

 言葉にすると「めちめち」という感じの、ととても嫌な感触だったそうです。ブロック越しにもハッキリとそれが感じられ、今も忘れられないそうです。だから銃が要るのだろうと、そうも言っていました。遠くで、ゆるしてください、という声がしました。それが男の声だったのか、彼自身の声だったのか分かりませんでした。
 警察が来た時、彼は血だまりの側に膝立ちになっていました。彼は逮捕され、家庭裁判所で審判にかけられました。そのあいだ彼は何を尋ねられても、たった一つの言葉だけを繰り返したそうです。

記憶に、ございません。
記憶に、ございません。
記憶に、ございません。
記憶に

 彼は何を忘れたかったのでしょう。暴力を振るったこと? 彼女が傷つけられたこと? 守れなかったこと? それとも、傷つけられた彼女を見て、美しいと思ってしまったことでしょうか。
 その後、彼は保護観察処分になりましたが、それも2年ほどで終わってしまいました。以来、私は彼の姿を見ていません。その高校の場所ですか? さあ、どこだったか……え? ほんとうですよ、ええ。友人の話ですって。友人の。

 

※本作は、下記の作品からインスパイアされています。また、一部表現を引用しております。

①全く意味が分かりません /洒落怖 作者不明
②通学バスの老婦人 /洒落怖 作者不明


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