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万物を決定するのは「流れ」と「デザイン」なのか?

ルーマニア出身で、熱力学分野の鬼才で米国版ノーベル賞と言われる、ベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞した、エイドリアン・べジャン(デューク大学教授)が、1996年に発表した奇妙な「法則」がある。それは、彼自身が「コンストラクタル法則」と呼ぶ、まったく新たな「物理法則」なのである。それを正確に定義した言葉は次のようになる。

有限大の流動系(微小な一粒子でも亜原子粒子でもない)が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、流れるものに、より容易で大きなアクセスを提供するように自由に進化しなくてはならない

「自由と進化」エイドリアン・べジャン

この法則は、革命的とも言われているが、一方で革命的であるほどその思考を受け入れるの時間がかかるものである。この法則の驚くべき点はその普遍性にある。物理の法則ながら、その適用は進化や生物学のみならず経済、政治、都市計画などにまで及ぶ。さてあなたはこの法則をどうとらえるだろうか。

1.水の流れ

コンストラクタル法則は、単純化して一言で言うと、「すべてはより良く流れるかたちに進化する」というものだ。水の流れを想像してみてると分かりやすい。流れるもの(流動系)は、自由な環境下であれば、流れやすい方向へ常に流れていく。環境の変化があっても、様々な障害を乗り越えあらたなルートを探して水は流れる。河川流域の地形はその結果、木の幹と枝が広がる形状のような複雑な構造(樹状構造といわれる)をつくっている。これが、「一平面領域(平野)」から、「一点(河口)」に至る、水の流れのもっとも効果的なデザインなのだ。

また、稲妻は雲が放電するための流動系と言える。そして私たちがよく目にする真っ暗な空に走る稲妻の光、その落雷の経路は河川流域と同じような「分岐する樹状構造」になっている。これは、電気が「一立体領域(雲)」から、「一点(落雷点)」へ移動するもっとも効果的な方法なのである。

自然現象だけでなく、生物においても同様の樹状構造がみられる。例えば、動物の肺の酸素の流れを考えてみる。気道から数多くの肺胞への気体の流れは、一点(気道)から一立体領域(肺胞)への移動であり、それを促進するため、河川流域に似たような樹状構造(気管支樹)がデザインされている。また、血液の体内循環においても、心臓から毛細血管への効果的な流れを、同じように一点から一立体領域(全身)として実現している。

2.動き

自然のもの、生命のあるもの、どちらにおいても、流動系であるかぎり、この「より良く流れるかたちに進化する」という原則は変わらないという。これだけ聞くと、「ああ、なるほど」と普通に納得してしまうところだが、べジャンの、「法則」の意味は、万物にこれが適用できるということだ。その適用拡大は極めて大胆である。

ひとつの拡大は、流れを「動き」と理解することで、物質移動についてのコンストラクタル法則の成立を証明して見せたことである。陸上動物、水中動物、鳥、さらには飛行機まで、すべてに共通する、動きの原理を探るのである。たとえば動物が動く際に、主に二つの力が存在する。ひとつは、垂直方向の重力である。もうひとつはその重力に逆らいながら、水平方向に物質を動かす力である。この点から、べジャンは、人間も、鳥も、魚も、自動車も、また航空機といえどもすべて同じ原理であり、体重や形態、エネルギーから、速さや移動距離の予測が可能であるとする。また、陸上輸送や船舶輸送においても、もっとも効果的な(コストの安い)ルート、つまり「よく流れるかたち」を探索している現状を証明してみせる。

3.経済への拡大

もうひとつの拡大は、分野の拡大である。社会そのものが「流動系」であるから、コンストラクタル法則は、人間社会、つまり、都市構造、政治、ビジネス、ネットワーク、教育、技術、イノベーションなど、様々な人文社会の分野での法則の妥当性を説明する。

経済活動を「流れ」人や知識を「移動」するもの、と考えるならば、社会活動の多くは、コンストラクタル法則に従わざるを得なくなる。地域的に、「流れ」が良いか、「移動」しやすいか、また大胆に変化することができる自由があるか、などによって地域的な格差が生じて、社会的な構成がコンストラクタル法則によってつくられる。また、エネルギーへのアクセスや資源の利用可能性、イノベーションの有無により、地域による「富」の大小が生じるのである。

さらに、べジャンは、いわゆる「S字カーブ」(新しい商品や思想などが、初期はとても緩やかに導入が進み出し、それから急拡大し、やがて鈍化すること)について、水の「侵入」から「浸透」に至る物理モデルで証明した。S字カーブはさまざまなところに現れる「現象」として一般的に説明されているが、それを物理的に証明したのは見事である。また、「収穫逓減」についても、水が流れる脈管のデザインに着目し、コンストラクタル法則によって鮮やかに証明している。これらはまさに、今までだれも成しえなった「経済学と物理学の統合」である。

4.進化

コンストラクタル法則によれば、「進化は予測可能」とする。今までのダーウィン以来の考え方、つまり、突然変異には方向性がなく、たまたま環境に適した種が自然淘汰によって数を増やす、という思想を否定するものである。生物などのすべての流動系はその中を通る流れのため、次第に良いデザインを生み出す傾向がある、つまり生物はより早くより容易な行動ができるように変化すると主張する。

これについては、筆者は同意できない。今まで話したように、コンストラクタル法則は、より良く流れるように変化することである。これはあくまで、物理的な作用(重力、摩擦、形状)によるものだ。従い、外部からの力がその変化の方向を決めているとも言える。しかしながら、遺伝子における変異においては、このような物理的な外部の影響は及びようもない。少なくとも、ダーウィンが証明した、進化の根源である遺伝子の「変異」について、コンストラクタル法則によりその方向性が決まるという点について、現時点では十分な立証や説明はされていない。

5.コントラクタル法則がもたらすもの

しかしながら、コンストラクタル法則によって、さまざまな新たな視点を見出すことはできる。いわゆる目から鱗という感覚である。それをいくつか紹介しよう。

(1)人類は機械と合体した

べジャンは、人類は「人間と機械が一体化した種」であると言う。そして、今やテクノロジーの進化は進化現象の一種類であり、動物の進化や河川流域の進化となんら変わらないとする。

これにより、機械と合体した種である人類は、遺伝子の変異を多くの世代で待つ必要はなくなり、日々進化することが可能になる。古くは火を扱うようになり、産業革命による動力の獲得、電気の利用、また、自動車や航空機といった移動手段の獲得は、それを一体化した人類そのものの進化と考える。そして、それらの機械は、言うまでもなく、コンストラクタル法則により、より良く流れる方向、つまり、より生活しやすく、また遠くまで安く早く移動できるように人類が進化したことを証明しているのだ。

(2)イノベーション

イノベーションはひとつのデザイン変更であり、流動系である人類や社会の大きな進化を促すものである。水の流れで言えば、流れの障害物を取り除き、より効果的に豊かな水を流す水路をつくることになる。そしてそれは最初は局地的かもしれないが、やがて地球全体に拡大するのである。これについても、べジャンは水路の考え方、具体的には、水路の一部の障害を解消して、流域全体への水量を拡大する物理モデルによって、イノベーションの影響と拡散を論じている。

イノベーションをそのような進化と考えるならば、当然その方向性はコンストラクタル法則によって「予測できる」はずである。それは機械の進化と同様、人類がより生活しやすい、動きやすい方向であることは間違いない。インターネット、メタバース、電子マネー、自動運転、などがその典型だ。そして、これからのイノベーションについても、その方向性、つまりより良い流れ、楽に動ける方向への変化であることは間違いないのである。

(3)樹木は地球規模の揚水機関

樹木は、それ自体、水を運ぶためにデザインされたものだという。根で周囲から水を吸い取り、幹を通して枝に運び、葉が光合成のために日光を捉えようと気孔を開くときに放出する。これによって、湿気の多い大地から、少ない大気へ水が動く。そして、大気が過飽和の状態になると雨という形で大地に水を供給する。つまり地球規模で、水の循環流動を促進しているのである。その証拠に、水を吸い上げる樹木は、自ら利用する水はほんの一部で、ほとんどは大気に放出しているのである。

そもそも地球は、太陽による加熱作用と冷たい宇宙空間への熱排出のあいだで稼働する熱機関なのである。そして、大気、地表、海洋に影響を及ぼし、大気に流れをつくり、数々の気象のパターンが生まれる。そのような地球全体の流動のなか、樹木はひとつの重要なデザインなのである。そしてこのデザインもその目的に向かって進化している。

森に入ってみてみよう。大きな木々の間に、その隙間を埋めるように小さな木がたくさんある。そしてそれらの樹木、枝、葉は、それぞれ最も水がよりよく流れるように配置されている。森には間違いなく秩序がある。それが私たちが森のなかで何とも言えない安らぎを感じる理由かもしれない。

(4)大事なことは「鳥瞰」と「自由」

すでに見たように、流動系という観点から生物学と物理学の境を取り払ったべジャンは、さらに、経済学や社会学との垣根もやすやすと超えた。べジャンは、現在の学問がどんどん小分けにされ、専門家しか分からない言語が使われ、分断が進んでいる、と警鐘を鳴らしている。そして彼は、自然界が複雑で、多様で、ランダムで、無秩序だとまさに目がくらんでいる人に対して、空飛ぶ鳥の目で全体を見渡すことを勧めている。彼のもともとの専門である熱力学では思考方法として、この「鳥瞰」という方法を多用するという。そうすれば、詳細から離れて高く上るほど、自然は単純に見えてくると言うのだ。

極めてシンプルなコンストラクタル法則が、このように、あらゆる分野、あらゆる物事の基盤になっているという事実には驚くほかない。しかしながら、べジャンが何度も強調しているのは、「すべてはより良く流れるかたちに進化する」というこの法則は、あくまで「自由であること」が条件であるということだ。そして、自由でない環境下においては「進化しない」と言い切る。テクノロジーの進化、科学の発展、そして突き詰めれば「生命」までもが、この「自由に変化できるか」によるのである。この思想には、べジャンがソビエト体制の下のルーマニアで育ち、自由を享受できなかったという彼自身の体験も生きているのかもしれない。

べジャンは、私たちの未来についてきわめて楽観的である。社会はこれからも変化していくが、自由さえあればそれは必ず私たちにとって良い方向へと進化していく。それがコンストラクタル法則の予測なのである。

           【 完 】

参考文献:
「流れとかたち」「流れといのち」「自由と進化」
(いずれも、エイドリアン・べジャン著、紀伊国屋書店)