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会話するバクテリア、思考する細胞               ~微生物の恐るべき能力~

1.細菌(バクテリア)という生命体

微生物というのは、目に見えない生物のことで、例えば細菌(バクテリア)の一種で私たちの腸にすみついている大腸菌は1000分の1ミリです。酵母菌はそれより大きく100分の1ミリくらいだと言います。そしてそれらの生き物は単細胞、つまり細胞1つ1つが独立した生き物です。
 
人間社会では、考えなしに行動をする人のことを「この単細胞!」と揶揄することがあります。ところが最近の研究でいろいろ驚くべきことが判明してきました。単細胞でも、お互いに会話し、協力しているのです。また一部の単細胞生物においては「思考する」ことも明らかになりました。
 
そもそも細菌が地球に最初の生命体として現れたのは、約35億年前です(地球の年齢はおよそ45億歳と言われている)。それに対して最初の多細胞生物が登場するのは、生命の歴史の半分が経過した18億年から19億年前と言います。また動物に進化した多細胞動物が登場したのは、化石として見つかったものとしては、5億8000年前が最初と言われています。
 
そして、我々は進化の物語を間違って教育されてきました。それは生命が単細胞から多細胞になり海洋脊椎動物となり、陸に上がり、哺乳類となって、そして今私たちはホモサピエンスとして生命樹の頂点に輝いている、というものです。
 
しかし、現実の生命樹においては、進化により無数の現生生物が末端に位置するおびただしい数の枝を分岐させたものなのです。その中の細い1本に「動物」がいて、更にその先のとても細い枝の先にいるのが人類なのです。しかもよく言われることですが、地球の年齢を1年とすると人類が存在している期間はわずか1分か2分でしかないのです。しかもこの細々とした小さな種は他の絶滅した生物と同様にいつ途切れてもおかしくないのです。
 
その生命の樹の中で、最初、つまり35億年前から支配的に根と幹を茂らせ現在なお繁栄し続けているのがバクテリアです。バクテリアは生命の存在できるあらゆる場所に生息しています。深海底では摂氏250度の熱水の中で生きているし、PH1~2の強酸性に耐えることができます。さらに最近になって、太陽エネルギーを必要としないバクテリアが地球の奥深い岩石に住んでいることも分かったのです。

2.地球を支配しているバクテリア 

地球の大気中に最初に酸素を蓄積させてきたのは細菌類で、現在はその後に発生した植物などと共同で酸素を供給し続けています。また、植物が必要とする窒素を大気中から固定させる役割をしているのは、根粒菌などのバクテリアです。私たち一人一人の腸内に、1000種類、100兆個の菌が生息していると言われています。私たちの身近な醤油、酒、チーズ、チョコレート等の食品、また、ペニシリン、抗生物質などの医薬も菌がいなければつくることはできません。地球上のほぼすべての生物が何らかのバクテリアとの共生しています。そう意味でバクテリアは地球上で、数十億年前から今に至るまで、とても重要かつ大きな力で地球上の生命全体を支えているのです。
 
自然界では肥沃な土壌の大さじ1杯の中に10兆個のバクテリアがいると言われています。1個1個の大きさは目に見えないほど小さいですが、あらゆる場所に大量に生息するため、地球全体ではバクテリアの重量は、森林はもちろんすべての生物の重量を超えるかもしれないと言われています。質量的にも地球最大の生命体なのです。
 
 また大腸菌は肉エキスなどの入った栄養豊富な培地の中では、37℃で20分に1回分裂して倍々に増えていきます。この培地の中で1個の大腸菌が48時間分裂を続けたら、子孫の大腸菌の体積は、なんと地球の4000倍になると言います。もちろんそれ以前に培地の栄養を食べつくして増殖できなくなってしまいますが、この増殖の力とスピードは、動物や植物に比べてはるかに巨大なのです。
 
このように考えると、生命の誕生から現代に至るまで、多様で強い増殖力・適応力をもち、量的にも地球を支配し繁栄を続けているのはバクテリアだと言えるのではないでしょうか。

3.会話するバクテリア 

そのバクテリアに、最近とても驚くべき能力があることが分かりました。それは「会話する」ということです。もちろん人間のように会話するわけではなく、化学物質を使って細菌同士が会話しているのです。
 
病原細菌が宿主(例えばその菌を保有する人間)に感染して病気を起こすには、菌数が少ない時に毒素たんぱく質などの病原遺伝子を働かせても、宿主の防御機能に阻まれてしまいます。それで、自分たちの仲間が増えてから、互いに協力して一気に働かせるのが効果的なのです。そのためには、第一に自分たちの仲間が十分な数に達したことを知る必要があり、第二にはそれに応じて普段は切っている毒素遺伝子のスイッチを入れる仕組みが必要です。
この両方で重要な役割を果たしているのが、低分子量の化学物質を使って細菌同士が「会話する」システムなのです。
 
これが最初に見つかったのは、蛍と同じようにルシフェラーゼという酵素の力で光る発行細胞です。この菌は、自分のルシヘェラーゼ遺伝子のスイッチを入れる働きをする、アシルホモセリンラクトン(AHL)という自己誘導因子を細胞外に分泌しています。菌数が少ない間はAHLは拡散します。菌が増加してくるとAHLの濃度が上がり始め、ある値を超えるとスイッチが入ってルシヘェラーゼがつくられ発光するのです。つまりAHLは、発光細菌が仲間の密度が十分高かくなったことを検知(センシング)するための信号として働くわけです。この機能を「議決に必要な定足数」を意味するラテン語(クオラム)をあてて「クオラムセンシング」と言われています。
 
この細菌はイカの発光器官の中に共生しています。この菌は朝から増殖を始めて夕暮れには「定足数」に達して光り出し、その光は夜間に餌を求めて海中を泳ぐイカの姿が、下から狙う魚の目に月光をバックライトに浮かび上がるのを隠す働きをするのです。朝になるとイカは砂の中にもぐり、発光器官内の細菌の95%を海中に排出して、「定足数」以下にして発光を止めるのです。
 
イカは発光細菌の持っている「定足数検知」のシステムを、自分のカムフラージュに利用し、発光細菌の方もイカの体内に栄養豊富で増殖に都合のよい場所を得て、そこから海中に放出されることで生息場所を拡げていきます。
 
菌はまた団体行動もします。多くの菌が固体表面に集まって「バイオオフィルム」を作っています。それは、私たちの周りでは、浴室のタイルや排水管の「ぬめり」、また人の歯垢などです。そのバイオフィルムの中では、細菌同士が物質のやりとりをしていたり、線毛で繋がって電気を送りあっているケースもあるということです。
 
私たちの身近な納豆においても面白い菌の働きがあります。それは「分業」です。納豆は枯草菌の働きで発酵しますが、最初に菌密度を検知して働く菌、その結果サーファクチンという合成遺伝子をつくる菌、またその合成遺伝子によってバイオフィルムの形成に必要なたんぱく質をつくる菌がいます。これらの菌が分業をして納豆が出来上がっているのです。

4.思考する細胞

更に驚くべきことに、単細胞生物がこれまで考えられていたよりも複雑に“思考”していることが判明しました。

ハーヴァード大学システム生物学部のジェレミー・グナワルデナ教授は「単細胞生物は何を避けるべきか、どこで食べるべきか、そして生きるために必要なすべてを把握すべく“利口”でなくてはなりません。それができる複雑な方法があるのは明らかだ」と言います。つまり、単細胞生物は複雑な思考ができるということなのです。

過去の研究を見ると、米国の生物学者ハーバート=スペンサー・ジェニングスが1906年、繊毛虫の一種である単細胞生物「ラッパムシ」を題材にし、反復刺激に対する段階的な回避行動を報告しています。トランペットのような形をしたラッパムシは、単細胞生物のなかでは非常に大きな生物で、ラッパ状になった頭頂部の囲口部は、繊毛(せんもう)と呼ばれる毛のような突起に覆われていて、それらは遊泳や食物の摂取に欠かせない構造になっており、池や沼地などの腐敗した葉の裏などに付着しています。

このときジェニングス博士が実施した実験は、染料をラッパムシの口めがけて放出するという、非常にシンプルなものでした。それは単に、ラッパムシがわずらわしい刺激物に対してどう反応するのかを観察したものです。

刺激物に晒されたラッパムシは、最初に体をくねらせて刺激物を回避し、次に繊毛の動きを変えて回転しました。また刺激物の粒子を吸い込む代わりに、それらを吐き出しました。それでもわずらわしい刺激から解放されなければ、ラッパムシは付着部に向かって急激に縮み込み、ついには付着根を離して泳ぎ去ってしまいました。これは単細胞生物の複雑な思考を想起させるものでしたが、その後再現することはできずこの実験は忘れ去られました。

ところが最近になって、100年越しとなる再実験が実施された。グナワルデナ率いる研究チームは、マイクロブラスティックのビーズを刺激物として使用し、外部刺激に対してジェニングスが報告したような回避行動を再現しました。

その結果、ある個体は縮こまる前に繊毛を変化させて体を曲げたが、別の個体はただ収縮を繰り返しました。またある個体は、交互に体を曲げたり収縮したりしました。それらは秩序めいた段階的行動には遠く、回避行動には大きな個体差があるように見えたといいます。

5.細胞の驚くべき行動と認知力

研究チームは、今度は数学的モデルを使用してラッパムシの行動をコード化し、統計的にパターンを分析しました。そして結果をみると、やはりラッパムシの回避行動には明確な順序があったのです。

それらは最初に体をくねらせ、次に繊毛の動きを変えました。刺激が続くと収縮または分離して泳ぎ去りました。最初から収縮したり分離したりする個体はなく、そこには明らかな行動の優先順位が認められたのです。

興味深いのは、最初に単純な行動をとっていたラッパムシは中枢神経系がないにもかかわらず、刺激が続くと別の解決方法を試すべく“決断”したことです。「この段階構造は、生体内で実施されている比較的複雑な意思決定の計算のかたちをいくつか鮮明に示しています。ある行動を実行するほうが別の行動よりも適切かどうかを判断しているのです」と、グナワルデナは言います。

さらに分析の結果を見ると、ラッパムシが収縮するか分離して泳ぎ去るかの確率は、きれいに半々だったことが明らかになりました。この行動からは、細胞が分子レヴェルでどのようにプログラミングされているかをうかがい知ることができます。

さらにグナワルデナは言います。「分子レヴェルの公正なコイン投げによって、決断をとり決めているようなものです。わたしたちはこれを実行できる既知のメカニズムを知りません」

彼らの研究は、例えばわれわれの体内にある一つひとつの細胞がとりうる“行動”に対しての認識を改めることになるかもしれません。例えば、がん細胞はあたかも“プログラム”されているかのように行動します。細胞は想像よりはるかに複雑な生態系に存在しており、細胞は互いに話し合い、交渉し合い、信号に応答し、決定を下しているのです。

この実験はラッパムシだけではなく、単一の細胞が複雑な情報処理とそれに対応する意思決定をしているという、何らかの細胞の“認知”の存在を示唆するものと言えます。人類を含めすべての生命は同じ基盤をもっています。この研究結果は、現代生物学研究にこの細胞の認知やプログラムの考え方をとり入れるべき大きな理由になると思われます。

このようにまだまだ新しい発見が相次いでいる微生物の世界、さらに驚くべき事実がこれからも出てくるのは間違いありません。いま分かっているだけで、すでに述べたように、微生物は明らかに地球上の主役であり、進化を続けており、会話し思考し、プログラムを保有している恐るべき生命体なのです。したがって「おまえは単細胞か?」というのも、人類という弱々しくちっぽけなの立場の者から言われると、誉め言葉にすら思えてきます。
 

参考文献: 「フルハウス 生命の全容」スティーブン・ジェイ・グールド
      「見えない巨人 微生物」 別府輝彦
       WIRED  単細胞生物も「考えてから行動」する
         https://wired.jp/2020/01/28/single-celled-mind/