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センシティブな青年時代に(サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』を読んで)

誰にもそういう時期があるのかどうかわからないが、僕はやけに自分が「センシティブ」だったな、という数年間があった。

恥ずかしながら僕のセンシティブ時代は中学や高校といった十代の少年時代ではなく、二十代前半とそれなりに大人になった時期に訪れてしまった。

その数年間はとにかく感受性が豊か、というか少々暴走気味でもあり、その時代にしか体験できなかったであろう色んな良い経験もしたのであるが、一方で繊細すぎて、少々苦しかった時代でもある。

そんな時期に読んだ小説で非常に印象に残っているが、サリンジャーの『ライ麦でつかまえて』だ。

このライ麦畑の主人公、ホールデン・コールフィールドは、根本的にはピュアで優しく、繊細な性格であるがゆえに、自分の感受性をまだコントロールできず、社会のありとあらゆるものに対して反発心を抱き、自分と社会との間にうまく妥協点や折り合いをつけられない少年である。

そのせいで学校生活にも馴染めず、一種の不良少年として何度目かの退学処分が決定し、ニューヨークの街を一人孤独に彷徨う少年の心情や感性には、今でもすごく共感する。

自分も当時は就職活動の時期ではあったが、自分の感性をうまくコントロールできないゆえに、斜に構えた考えを払拭できず、就職活動にも身が入らない状況だった。

そんな中で自分なりに転機となった出来事が、大学院への進学を決め、数年間それなりに真剣に「学問」に向き合った経験であった。

『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールドも物語の終盤、彼の尊敬する唯一の先生、アントリーニ先生に「君は本来、知識と恋仲にある身なんだ」と諭されているが、自分の経験からも自分の感受性の豊かさをコントロールする最良の方法は、学問を通して理知さを身につけることにあると思う。

大学院で深く学問に携わる前の僕は、自分のことを他人にわかってもらえないもどかしさに対して、他人のせいにしたり、ひどく失望したりしていたが、本来は他の人にもわかってもらえるように客観的に、論理的に、自分の考えや感情を伝える術を学ぼうとすべきなのだ。

もちろん、今でも自分の全てを伝えられるということはないが、学問を通して僕はいくぶん社会や他人との間に適切な距離感をもって接する術を学んだ。

そして、僕が大学院進学を決め、一度真剣に学問に向き合ってみようと思ったひとつのきっかけを作ってくれたのが、この『ライ麦畑でつかまえて』なのである。

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