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日常の非日常化(萩原朔太郎『猫町』を読んで)

近所の歩き慣れた路地、毎日往復する通勤通学路、子供の頃から住み続ける地元の街並み。
こういった見慣れた風景はあまりにも見慣れすぎているが故に、普段は退屈なものだ。
しかし、こういった退屈な日常が、ふとした瞬間に、全くの別世界に、見慣れない非日常に、変貌しうるとしたらワクワクするのではないだろうか。。?

僕も時々そういう「日常の非日常化」を妄想するのであるが、どうやら卓越した詩人の眼には、こういった退屈な日常に、実際に非日常の世界が見えることがあるらしい。

詩人、萩原朔太郎の『猫町』という小説には、そのような「日常の非日常化の体験」が描かれている。
もちろん、萩原朔太郎は詩人なので、彼の本領発揮はやはり詩の中にあると思うのだが、この『猫町』という小説は優れた詩人の感性を散文で追体験できる作品になっていると思う。

この作品は、彼が近所を散歩していた時に遭遇した体験と、ある地方を旅していた時に遭遇した「猫町」での体験の大きく2つのエピソードで構成され、どちらかというと後者の話がメインなのだが、僕は前者の散歩の話がとくに好きなので、今回はその部分をメインで切り取って紹介したい。

ある日、萩原朔太郎はいつもの散歩コースを少し外れて、よく知らない横丁に入ってしまい、道に迷ってしまった。
当てずっぽうで半時間ほど歩くと、ふと全く知らない美しい街に出た。
その街は一種の夢のような世界で、幻燈の幕に映った、影絵のような、情緒深い街だった。
ただそこは実際には彼の散歩区域から数分しか離れていない場所のはず。
なぜこの街を知らなかったのだろう?

次第に朔太郎の記憶と常識が回復していくにつれ、その街がいつもの見慣れた、近所のありふれた街にすぎないことに気づく。
しかし、彼には一瞬でもこの近所の街が、非日常の別世界にたしかに見えたのである。

その魔法の原因は、彼がこの見慣れた街をいつもとは違う「角度」からみていたことに起因する。

いつも北にあるはずのポストが南に、左にあるはずの町家が右に、見慣れた日常を眺める彼の角度や方位がいつもと違っていたがゆえに、世界は別世界に見えたのである。

この体験は優れた詩人ならではの感性に感じるかもしれないが、普段の僕たちも見慣れた景色を少し違う角度から眺めてみると、全然違った見え方をするような経験をしたことがあるはずだ。
また実際のものでなくても、ある事柄や物事を別の角度から思案し直すとで、全く別の見方に気づいたりすることもあると思う。

時に僕たちは変わらない日常や生活に不満を抱きがちになるが、そういう時にこそ、少し物事の見方の角度を変えることで、大きく日常の輝きは増し、別世界が開けるのかもしれない。


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