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この世界にちょっとだけお邪魔している宇宙人のていで過ごしてみる

ふと、いつもの日常から距離をとってみたい、と思ったことはないだろうか?

僕はそういう気持ちの時はふらっと、スタート地点だけ決めて適当に、ぶらぶらと数時間散歩をしたりする。

土地柄、都内を散歩することも多く、そんな時には自分がとくに妙なテンションで散歩していることに気づく。

どんなテンションかというと「この世界にちょっとだけお邪魔している宇宙人」というふざけたていで、人びとを観察しているのである。

数時間も散歩していると、都内のオフィス街、歓楽街、行政区画や高級そうな店舗が立ち並ぶ通り、ファミリーも集う公園など、色んな風景に出会う。

そして、それぞれの場所に、それぞれの表情をもった、たくさんの人間がいる。

奇抜なカップル、幸せそうなファミリー、公園でTikTokとっている女学生、スタバで離婚話している熟年夫婦、これから豪快に遊びそうなサラリーマン、歓楽街で治安を守る警察官、出稼ぎの外国人労働者や高層ビルの建設現場に従事する肉体労働者。

色んな人間が、色んな場所で、喜怒哀楽を表現しているのだが、いかんせん私は宇宙人なので、あくまでそういう人間の営みからは一線を画し、偉そうに上から観察する存在になっている。

そんな存在になり変わってみると、人間や人間の世界って、実に奇妙で可笑しい。

その可笑しさがどこから来るのかわからないが、一つ思うのが、人間とは人間であろうとする努力をするからはじめて人間になる。

だから、人間としての感情や生活様式を全て投げ出した、宇宙人のような存在になってみると、それは人間の形をしていても人間ではないのであり、人間時代に行なっていた努力の一切に、一種の可笑しさを感じているのではないかと思う。

もちろん、ふと、一人でそんなことに興じている自分こそ、実に淋しいやつだと感じることもあるだが、そんな自分すら笑い飛ばせるくらいに、可笑しさが溢れてくるのである。

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