「理解できていないこと」を理解すること
こんにちは。やっとイヤホンを購入したので日記を書きます。(謎の報告)
今回の日記は少々ドロォッとした内容です。
噂にたがわぬ(?)ココロ系の日記です。
主に自戒のための記録です。
なんで?どうして?の日々
ココロの病気の診断を受けてからこれまで、家族やパートナー、友達など
自分の病気をオープンにしている人に対して「なんでこんな風に言われないといけないのだろう?」とか生意気に思ってしまう場面がありました。
たとえば…
・気の持ちようだよ!
・気合でなんとかなるよ!
・もっと辛い人は世界にたくさんいるよ!
・とりあえず筋トレは全てを解決するよ!
・ほら元気出して!
・頑張ってね!
これらの言葉、どれも励ましの言葉であり悪意などない言葉なのですが
自分の場合有効なのはココロがやられてない時なのです…。
ココロがやられていると、逆に追い詰められたような気持ちになってしまうのです。
ただ、優しい気持ちで励ましの言葉をかけてくれたその場で「そんなこと言わないで!」なんて言うことはできず
声をかけてくれた人の優しさのキモチだけこっそり受け取って、言葉を素直に受け取れない(ココロが異常な)自分を情けなく思いへこむ日々が続いていました。
感情は持ち主にしかわからない
ある日、ある人から気の持ちようだよという励ましの言葉をもらってへこんで、
実家で「気の持ちようで全部コントロールできるなら今頃こんな病気になってない…」と弱音を吐いたところ
家族に「正直言って、その病気になった事のない人にはその病気の人の気持ちの全部は理解できないよ」と言われました。
ネットや書籍などには病気についての情報がたくさんあり、接し方についてもレクチャーしているようなものもあります。
それらを全て読んだとしても、その人の苦しみはその人にしか理解できないのです。。。
自分にも思い当たることが
話はすこし脱線しますが、私には身体の不自由な家族がいます。
私が20歳になる頃までは特に大きな問題もなく一緒に暮らしていました。
しかし、大きな怪我を負ってからは、思うように身体が動かせなくなってしまい
今は生活における半分くらいの行動に介助が必要です。
身体を思うように動かせないことがすごくストレスになっているのと
発話も不自由なためコミュニケーションが難しくて、何度も聞きなおしたりとかでイライラさせてしまったりとか…。
時々、私は「なんでこんなに怒っているのか?」とか「せっかく協力しているのに、不機嫌になられてこっちも機嫌悪くなる!」とか思ったりしてしまうことがありました。
でも、それはきっと私自身がその状況に今現在なっていないから
理解はおろか、想像すらできないような…おそらく本人以外には推し量ることのできない感情が家族にはあったんだと思います。
そういう意味では自分も家族に対して同じようなことをしてしまっていたと、反省しました。
「理解できていない」ことを「理解する」こと
そんなわけで読んでくださる約10割の皆様が「当たり前だろ!お前そんなことも知らなかったのか!?」とつっこんでもおかしくない話なのですが
みんな!エスパーじゃないよ!(みんな!エスパーだよ!的な意味で。)
ということで、その人の苦しみはその人にしかわからないということと
わからない上でも寄り添って励ましの言葉をかけてくれていること、それ自体がとてもありがたいんだなぁと気づいたということです。
度を越しすぎて「それはヤバイのでおやめください」という言葉を用いる人が出てきたらそのときはそのとき考えます…。
今まで自分本位に色々と考えすぎていたなぁという自戒をこめて書きました。
回りくどくかいてしまうのは悪い癖ですね…
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
余談
昨今のニュースに対する人々の反応を見て、「持たざる者」の人々に対してすごくつらくあたる人の声が沢山あって、ちと心が痛みました。
今は大丈夫でもこの先、自らや大切な人がもしかしたら「持たざる者」の側に立つことになるかもしれないというのに。
その時がきても同じことを思えるのかな?って…。
想像力はとても大事だと個人的には思いますが、
つらくあたる人々が「今は持たざる者ではないのでわからない」ことを私は理解し、
他者に対して想像や理解を強制しないこともとても大切ですね…。
※持たざる者の当事者またはその周りの人の中にもつらくあたる考えを持つ人がいるかもしれないですね( ´ㅁ` ;)
さらにここまで読んでくださりありがとうございました。
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