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ホン雑記 Vol.527「自分の立ち位置はなかなか見えない」

ノンフィクションライターである窪田順生氏のおとといの記事で「分断ガー」という言葉を知った。というかたぶんこの人しか言ってないと思う。

なんでもかんでもみんな「安倍のせいで」という思想の人を「アベガー」というらしい。「安倍が、安倍が」とブロガーなどの「ガー」がくっついたものだろう。

窪田氏は、著名人らのこんな言説から「分断ガー」を思いついたようだ。

●<社説>安倍氏「国葬」 国民の分断を懸念する(東京新聞7月20日)
●『国葬』に踏み切ることは、国民の分断につながりかねないと懸念しています(辻元清美氏談 中日スポーツ、7月16日)
●国葬にするかどうかという議論をすること自体が、分断しか生んでいない(ロザン宇治原史規氏談 スポニチ、7月19日)

つまりは「安倍元首相が日本の分断を深めた」と思う人らのことだ。が、窪田氏は(安倍氏のことだけでなく)分断分断とあげつらうのは脅しのようであると言う。「分断度」で言えば、学生運動などが盛んだった時代の方が絶望的に深かった、と。

50年ほど前、若者と高齢者、保守と革新、企業と労働者など、あらゆるところで分断が深まって、時に暴力にまで発展するような激しい対立を引き起こしていた。

最近、ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)という言葉を聞くようになった。多様性尊重をダシにした言葉狩りというような、もはやマイナスの意味でしか使われていない。
が、50年前はなんの主義主張も持たない者をノンポリ(ノンポリティカル)と揶揄していた時代だった。
何かに旗色を定めない若者が一番よろしくないという過激思想だ。たしかにあの時代を考えると、暴力にまで発展するような分断はマシになってきているのかもしれない(陰湿になった気もするけど)。

窪田氏は「世界約40の国と地域の研究機関」が毎年ひとつのテーマを決めて長期的にアンケートを取ったデータを元に「この20年で分断は減少している」という。
そして「ちょっと厳しい言い方になってしまうが、日本社会の分断なるものは、「分断を深めるな!」と騒いでいる人たちの頭の中でしか起きていなかったということだ」と読み解く。
同時に「社会というのは分断している方が当たり前であって、健全なのだ」とも。


これを読んでオレはハッとなった。
最近のオレは「この国をどうしよう」という分不相応なことばかり考えている。そのゆく先は「誰かの何かを訂正させる世直しなどなく、自分がより慈愛を持って生きるしかないのだ」といったところに落ち着いているんで、この考えを強めたところで社会の危険因子になることはないだろう。自分で言うことの説得力の無さはとりあえず置いておく。

具体的には「若者に力の移譲を」、「世の中に愛を」、「ルールに縛られない、甘いだけではない『酸い』(毒と言ってもいい)の保持を」、「自分以外の人がコケても自分も倒れるのだという想像力を」などの懸念があるわけだけど、よく考えたらこれらもオレの頭の中だけで起こってる杞憂なんだよね。

この杞憂を持つ者は「自分は訂正すべき世界の問題に気づいている」と思いがちだけど、それこそ宗教にハマりすぎる危険思想と同じだろう。
強く何かの考えに傾倒してそれを推し進めようとする者には、必ず「こうであっては・なくてはならない」という分子がある。そんなものは人が見れば些事だったりするんだけど、ハマりきった者には「この正義がわからないなんておかしい。あいつが間違ってる」と映る。

ま、ひと言で言っちゃうと「中庸がだいじ」で終わる話かもしれない。



曲がりなりにもソングライトするオレにとっては、杞憂が完全になくなっちゃうのも困るんだけどね。

でも最終的には、人の不安を煽って歌い終えたくはない。




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