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ホン雑記 Vol.221「許容力・楽観力のすすめ」

夏休みが終わってしまったねぃ。
ま、オレ関係ないんだけどさ。多少は世間様の土日とか夏休みは関係してるんだよね。平日はちょっと真面目にしてみようかと思ったりね。ま、思うだけで精いっぱいなんだけどもさ。


そうそう。またなんかこんなん浮かんで来た。

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以前もこんな感じの「こんな感じなんじゃね?」を載せてみたけど、もう少しオレが感性寄りの人間だったら言葉にしないで絵に描いて、伝わらなさにのた打ち回ってさらに感性を強めたのかもしれない。
かと言って文章だけってのもなんか弱い… いや、もっと文章力に優れていたとしても表現としてはなんかズレてる気もして、こういうのを「設定図」なんてふうに設定してみる。

いま思ったけど、【詩リーズ】の中でも特にいいものは(自分で言うてくで)この設定図みたいなもんが頭の中にちゃんとあるかもしれない。数学嫌いだったけど、自分が思ってるより論理派なんだと思った。悪く言やぁ、小賢しいってやつだな。


今回のは説明の必要もないと思う。
オレがどうも(学生時代に)勉強好きな人よりアホで常識知らずなヤツのほうがウマが合うのはこういうことだと思った。
そもそも常識の平均値がズレてるんで、なんか引っかかることが多かった。ま、言葉を濁さずに言えばイラつくってやつだ。

緑の枠をベースに生きて来た人に、たとえば(分かりにくいたとえばです)「80と85は同じ」というニュアンスで話を進めてると相手は「いや違う」と思ってたりして、いちいち停まる。オレも言葉の範囲の細かいのはまったく苦手じゃないので、同じ細かさに合わせてやると今度は「さっきと言ってること違うやん」と思わせるような、おそらくは自分でも何を言ってるか分からない症、とでも言うべき状態に陥っておられたりする。

逆にピンクの枠に近い考えの人は、一絡げの範囲が広くて適当に「そうだね。なるほどね」を返すんでいちいち会話がつっかえない。だけど、範囲設定の境界にボカシをかけてある感じだ。そもそも「会話は通じにくいものである」という認識があるから自ずと境界が曖昧になっている。
だけど、あとで会話の内容を確認すると、芯のところだけはお互いに理解が食っていて、「あの時こう言ったじゃんか」なんてことが少ない。
長々と講釈垂れたが、ひと言で「つうかあ」ってやつだ。

今後、世論… 少なくとも表面化される世論は、この緑の枠が狭まっていくと思われる。正否と善悪当てクイズがどんどん膨らんでいって、テレビのコメンテーターの個性はなくなっていくだろう。いま以上に世間の堪忍袋の緒は切れやすくなっていくだろうから。



大人も子供も、公教育以外に自分を育てる芯をもうひとつ持っておいたほうがいい。それは自分の心に問えば見えてくるような気がしないでもない。

いまも法定通貨「アフガニ」の価値は急落し、仮想通貨に流れている。世界に出れば、「枠」はもっと広がる。
縁(よすが)は自分の中に立てたいなぁ。




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