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ホン雑記 Vol.574「永遠のフーテン」

以前、中島らものエッセイコレクションの中から、ひとりの女性を病的に想い続ける知人の男の話をここにチラッと書いた。

オレと同じ病気…いや、それに輪をかけた人がいるのだと知って安心した。その知人に中島氏が、そんなセンチメンタリズムを抱えていったいどうやって生きていくのだ、と苛立ちながらも、思わず落涙しそうになったという内容で、このコレクションの中でそれだけが刺さっていた。

昨日またなんとはなしにそのエッセイ集を読んでみたら、これまたいいのが見つかった。前にも見てたはずなんだけど覚えてなかった。


中島氏の小4の時の担任である高倉先生は、たいそうユニークなおじいちゃん先生だった。
何かの都合で給食のなかった日に、高倉先生が徹底した菜食主義者であることを知る。児童らが先生の机の前に群がる。ご飯が茶色いので炊き込みご飯かと子供らは思い込むが、それはどうやら玄米というらしい。おかずはごぼう、にんじん、れんこんだった。
先生は若い頃に大病を経験してから、もう何十年もそんな食事を続けていて、おかげで持病から遠ざかり、風邪もひかなくなったという。たしかに、痩せたじいさんのわりに頬はバラ色で、体育の時間には先生の元気さが如実に知れた。

体育では裏手の小さな山のてっぺんを目指してミニマラソン。元気な子供らがゼイゼイいってる中、先生は息も切らしていない。
ある日先生は、いつもの山のてっぺんで子供らにこんなことを言った。

「君らは大人になっていくが、今のようにハンバーグやらなんやらを食っとったら長生きはせん。先生のほうが君らよりも長生きする。ウソやと思うたら10年後の今日、ここで集まろうやないか」

40数名いたクラスのみんなは面白がって、10年後の今日、必ずここにあつまろうと固く約束し合った。
中島少年のこの約束の印象は強く、中学に行っても高校に行っても時々思い出していたという。が、ちょうど10年経った時の中島青年は腰まで髪を伸ばしたフーテンで、世の中のすべてを呪っていた。そんな彼がこの約束を思い出すはずもなく、仮に思い出したとしてもそんなセンチなイベントに赴くわけがなかった。

30代のいつかの日、偶然に街で当時の同級生に出くわして、懐かしさに一杯やろうということになった。
神戸三宮の飲み屋で子供の頃の思い出を肴に盃を交わしていると、その旧友が恥ずかしそうな表情になってポツリとつぶやいた。

「俺なぁ、……行ったんや、あの日」
「行ったって?」
「ちょうど10年経った○月○日に、あの山のてっぺんに。ほら、高倉先生との約束したやんか」
「ああ。きみ、ほんまに行ったんか。よう覚えてたな、そんなこと。で、どうやった?」
「うん。俺だけやったわ、来てたの」
「高倉先生も忘れてはったんか?」
「ああ、俺ひとりやった」

恥ずかしそうに打ち明ける旧友を、彼は「アホやなあ」と笑った。
が、内実は熱いものがせりあがってきそうになった自分に慌てて、茶化さずにはいられなかったのだ。


と、熱いものどころか半泣きになってこれを書いている。
なんというか、すべてが美しいじゃーないか。見事に40数名が忘れていた中で、ひとりだけが山のてっぺんに行ったこと。街で偶然にその旧友に出会ったこと。その旧友の旧友である中島氏が作家であること。おそらくは話を聞いた彼のほうが、その時の旧友本人よりも感慨を汲んでいること。そしてそこまでの思いが旧友に伝わっていないこと。

こういう物語を知れるっていうのはねー、何者にもなれないコンプレックス(まだそんなこと言うてんのかオマエ)の火種が消えずにいるオレとしてはけーーーっこうな財産なんだな。

つまりは、スポットライトが当たってるかどうかなんて関係ないのだ。テレビやYoutubeに映されるかりそめの熱に憧れることなんかまるでないのだと、思い知らされるから。

人生を脚本にして、それが映画化されないと華にならないなんてのは錯覚なんだよ。うん。
足元にすべてはもうあるんだよ。



と、言いながらも、子供の頃に憧れ尽くしたあの人に届けばなぁ、と思いながら作った歌があったりする。




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