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ホン雑記891「現実と希望と」

SNSでアップした曲へのアクセスがまったく回らなくなってきた。


各社アルゴリズムと相性が悪い上げ方なんだろうか。X(これ名前元に戻らんのかね)なんか他SNSからリンク貼って誘導するだけだとどんどん人目に付きにくくなるらしいもんな。
インスタだって、上げた時はタグさえつけときゃそのあたりから10いいねぐらいは飛んできたもんなんだけど。

これはあれかね、キンコン西野氏が言ってた「みんなラクしようとしすぎ。スナックに飲みに行きまくれ」ってのを実践していかなアカンってことかね。
実際スナックで酒を浴びるってことじゃーないだろう。とにかくリアルの人に会えってことなんだろな。

SNS全体の人間観に辟易したり叩かれたりして世を儚んでる人は、特に若い人では多いだろうけど、実はこの現実とはまっっったく違う異世界だ。オンラインで表れる人間の平均的人格ほど、現実のほうは腐ってない。しゃべるそばから揚げ足取られるなんて経験はSNSほどにはないはずだ。

それと同じでプラス側の反応、SNS上の「いいね」や「ファンですー」も、まっこと泡沫うたかたなのだな。その時は本気で言ってても、ゆめまぼろしのごとくなり~ってぐらい、意味ない。
って、ここで意味ないとか言うのはばかられるけど。ホントは喜んでます、もういいね&コメントしてやんねー、とか思わないでくださいおなしゃす。ま、意味ないことはないけど、想像以上に薄いわな。

だからSNSで大バズりした人たちと、出川やエガちゃんみたいに最初は嫌われててもゆーーーっくりと現実の人間に浸透していった人と、やっぱり支持される濃さは雲泥なんだよな。地元で愛される飲食店とかもそうかもね。

だからバズりたい、集客うまくいかせたい、もっと言えばお金ほしい、なんてのも泡沫なんだろうね。そんなもの、無意味だよ。最近そういうことが、金のない負け惜しみじゃなく思えるようになってきた。負け惜しみかどうか表明のしようもないけど、自分ではわかるわな。結構ハッキリと。
お金ってのはホント血流と一緒でね。足りなくなって死にそうになった時に適当な量を埋め合わせてやればいいだけのもんなんだよね。

交通事故をきっかけに寝たきりになった若き音楽家、星野希望のぞみさんが以前こんな詩をツイートをしていた。

当たり前の日常は、
一番身近にありながら、
一番気付かれずにひっそりと、
一番憧れる位置に最期まであり続ける

PCのデスクトップのメモ帳「人様の金言」に書き込んだまさに金言だ。
数えきれないほど、事故以前の時間に戻りたいと思った彼女が言うには、その憧れの境地はいつだって平凡な日常の風景だという。
つまり、もう手にしているものなんだ。こういう人たちと出逢う数が増えるほど、お金が~、フォロワーが~っていう唯物的感覚は薄まっていくよね。
宝物も、まだ意識されないそれを宝物に変える方法も、全部自分の中にすでにある。これは本当にすごいことなんだよなぁ。


あら、最初の趣旨とちょっとずれちゃった。まぁ、オレがウルウルできたからそれでいいや。
今日も鍵盤弾きまくるぞー(最近弾く前にお辞儀するようになってきた)。




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【今日の過去曲】




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