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ホン雑記 Vol.107「悪魔神瞰」

格ゲー以外のゲームの実況動画などは滅多に見ないのだが、昨日しばらく見続けたゲームがあった。


Cities : Skylines」というゲームで、 要はシムシティみたいなヤツだ。知らん人にとってはリンクを貼られても「なんのこっちゃ」だろうが、簡単に言うと自分で町を作っていって喜ぶという、クリアという概念のない(ないよね?)ゲームである。

最近のオレは神様かぶれしてきて、神の話をよくする。一応自分の中では「すべて=神」なので、当然と言えば当然であるけれども。ついでに宗教かぶれではない。

昨日なんかも、そのゲーム実況を見ていて、ふとヘンな感覚に囚われた。


プレイヤーは俯瞰で世界を見て、自分の町を大きくしていくのがとりあえずの目的だ。
適当に道路を敷いていくと、勝手に建物が建っていく。商業・工業地帯・住宅街などの指定もできるようだ。

町がある程度大きくなると、様々な問題が起こってくる。
火事や、住民の不満や、渋滞などなど…。動画のプレイヤーは「渋滞が、渋滞が」と言っているので、渋滞が一番やっかいな問題なのだろうか。

建物が建っていくと、人や車が勝手に蠢きだして、どうプログラミングされてるのかは知らないが、実に多様性に富んだ行動を取るようだ。

プレイヤーがふざけて下水の行き先をダムにまで持って行けば、町じゅうが病気アイコンで埋め尽くされる。市民がもれなく腹痛を起こしているらしい。
そこで病院を建ててやると、通勤者などは激減して、数千人がゾロゾロと病院に向かう。あえて4000m級の雪山の上に病院を建て、市民たちが本当にたどり着けるのかイジワルをしていた。


以前の記事でも紹介したが、オレに一番近い「神観」を持った著者の本の中の神様が言うには「私たちは同じものでできている」らしい。「あなたの世界への思いは、私のあなたへの思いである」と。

ゲームを見ていて、バッタバッタと人が病気になっていくのも、火葬場の稼働が追いつかなくなるぐらいになるのも、なんとも面白い。自分でも「この笑いはなんなんだろう」と思う。

かと思えば、雪山の病院に最初にたどり着いた犬連れのお婆さんを見ると、ちょっとした感動がある。感動というか、ニヤニヤする感じというのか。単純に「良かったねぇ」だけじゃなく、なんかニヤニヤする感じ。

勘のいい人はもうお気づきであろう世迷言だが、そう、
「これは神の感覚ではないのか?」
と思ったわけである。いやいや、病気ではない。オレを精神科に連れて行くにはまだ少しばかり尚早だ。

よく「神様がもしいるなら、なぜ戦争がなくならないの? 悪事は滅びないの? だから神様なんていないんだ」というフレーズを聞くが、なぜお前の考える「善」に神のほうが寄せなければいけないのだ、とはこれまたよく思う。

「つらいことがある。だから神様はいない」は、逆説的に言えばすでに(オレ以上に健気に)神を信じていると思うのだが、そんなお前だっておいしくからあげクンを食すだろう。不幸がお前のところに降りてくるまで放っておいて、食われるニワトリさんの不幸には微塵も興味を示さなかっただろう。なんともイビツな神を望んでいるもんだなぁ、え?

はっ!
オレは何と戦っていたんだ。

もちろん上で言ったことは、動物が可哀想だから食べてはダメです、なんていう論点の違う話ではない。いちいち言わなくても大半の人は分かると思うが。



火葬場が埋め尽くされたら笑うように教えを受けたわけではないし、オレが特にヒドめのサイコパスというわけでもないだろう。なぜかは分からないが、そもそもこういう笑いが備わっているのだ。いったい何者が笑っているんだろうか。

松本人志は「悲愴感と隣り合わせの笑いが一番オモロい」と言っていたが、それに近い感覚か。


無垢な子供が、ありんこを踏み潰しまくるという痛ましい事件の中にさえ、神性は露見している。




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