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雑記1102「人を嗤うと機微がわからんようになるのかな」

この頃、「それ、なんの意味があるのん?」ってすーぐ思っちゃうアホなクセが減ってきたような気がする。


他人がそれをやってるのを見ると、自分の狭さの露呈でしかないぜ? って思うんだけど、よー考えたら自分もよーやってるんだわ。
ま、偏屈ヤロウの性みたいなもんだからしゃーないんだけどね。無理くりアホグセを減らそうとも思ってない。

が、歳いってくると日和ってくるのか、個と全が近づいてくるのか、あんまり人をバカにばかりしとれんよなぁ、と思う機会が増えてくる。
なぜって、「あの時人を批判しといて本っ当に良かった~」って思った試しが一度もないからだ。その逆に「批判しないでこないで良かった~」の経験もないんだけど、少なくとも前者のほうはなんの恩恵もなかったんで、やっぱりあんまり自分にとっていい選択じゃーなかったらしい。ってことが人生の半分を費やしてやっと見えて来た。

釈迦が言ったらしい「他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ」ってのがようやく骨身に沁みてきたんじゃな。
ヒマと不安が同居したヤツしか人を叩くことはないんだねぇ。ま、骨身に沁みてきたとこで、またやるんだろうけどさ。ゼロにはなかなかねぇ。

ってことを思ってたら、ちょっとピコーンと来た。
他者の感じる価値がわからんってことは、その逆の、他者が避けたいこともまたわからんので軽視するのだと。

たとえばオレは、相手を(ほぼ)選ばずに言いたいことを気づいたら言っちゃうタチなんだけど、セルフの給油はようやれん。2回ぐらいやったことあるけど怖すぎる。
ネットで見た給油口に引火して炎上、みたいな動画がトラウマなのかもしれんが、それはウソで(ウソなんかい)、勝手がわからんところに飛び込むのが怖すぎるのだ。
実際ちょっと失敗というか、わからんで店員に聞きに行ったら「は?」みたいな顔されたことあるしね。初老ぐらいの店員に。一瞬だけどね。
こっちが若いねーちゃんだったらそんな顔しないんだろけど、「お前オッサンだろ? 常識ないんかコラ」って顔に書いてある。ま、書いてないんかもしれんけど、オレにはそう見えちゃった。もうそこでアウトだよね。二度とそんな店行かないわね。ってか他の店もね。つまり恥かくのがイヤなんだね。あぁ、小さい人間だね。

で、嫁は人に言いたいことは言えないんだけど、そういうのは平気なんだよね。
オレは専門学校まで電車も怖くて乗れんかったし(ホントは電車が怖いんじゃなくて、わからないことを人に訊ねるのが…いや、訊ねることになるかもしれないと思うのがイヤなのだ)、いまでももちろんひとりで知らん飲食店とかはよう入れん。
ショッピングモール内のフードコートはOKだけど(そもそもひとりであまり行かんが)、モール内の飲食店街みたいなとこはもうちょっとキツい。吉牛とかでもキツいんだから。
だからいつも先に嫁を入らせるんだけど、もうこれ書いてて涙ちょちょ切れるぐらい情けないわ、これは。あー情けない。


話なげーわ。
いや、何が言いたいかってーとね、これ自分のヘタレ具合の言い訳じゃなくってね、他者から見たらある弱さの、えーと、その一見浅く見える弱さを作ってる根の原因は深いところにあって、それが表出される言動だけを見て嗤うことはできんな、と思ったわけ。

たとえば、オレは退職代行頼む人間を心底侮蔑してるんだけど、まぁそれは今後も変わんないけど(そりゃそうさ。人間関係を結ぶ、切るなんてことを他人にやってもらうようになっちゃ終わりだぜ。告白も別れ話も人にさせるのかい? おぉん? ってか落ち着けよお前)、その人の恐怖はオレにはわかんないわけで、それがたとえ時流の生んだ浅い恐怖で「情けね」なんて思えるものでも、それ言ったらオレも戦国の世の人から見たらどんだけ甘ちゃんやねん(いまの世ですら甘ちゃんだと自分ですら思うが)って話になっちゃうわけで。

なんか結局またディスってるような記事になっちゃったけど、自分から見たらどんだけ些事に見えても、誰かが何かを克服した時には「いまさら?」とか「いままでそんなこともできんかったの?」なんて思わずに、盛大にわちょーいとお祝いしてあげられるような者に私はなりたい。

なりたいとはいつも思っている。




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【今週の過去分オリジナルソング】




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