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戦争をなくす方法を考える。Vol.2

前回こんな記事を書いてみた。
2000文字弱あるが、斜め読みして戻って来て頂ければ幸いであります。

考える……と言ってるだけで、戦争をなくせるとは言っていない。
そのあたりの言い切れなさがなんとも情けない…のか、謙虚なのか。

うーん、Vol.1の最後で具体的にどうすればいいのか考えると言ってしまっているな。なんと大仰なことを…。
でも、言うだけならタダだ。誰にも迷惑はかけまい。


極めて個人的な見解だが、こんなことが出来ている世界なら戦争はないのかもしれない。

1.世界が分断されていると思わないこと
2.真実のみを世界に示すこと
3.成長にとらわれないこと

大きく分けてこんなところだと思う。
僭越ではあるが勝手に掘り下げてみよう。


1.世界が分断されていると思わないこと

以前紹介した記事で、

人間は たまたま物理的に個体同士が離れているだけの
一本の大樹の 葉っぱの一枚ずつだ

という名言を取り上げた。そう、SNSにいつも上げてる【今朝のオレ名言】のうちのひとつだ。で、オレはこれを一番気に入ってるし、当たってると思っている。

きっと、世界は本当はこうなっていると思うのだ。
左手の小指を失ったところで、右手がその異形を馬鹿にしてくることはないだろう。
これは人間を大樹になぞらえているが、別にイワシの大群でもなんでもいい。
個体同士離れている1匹のイワシは全体の動きに連動していて、その大群はひとつの大きな生物に見える。

脳内の神経細胞は、その末端にあるシナプスによって他の細胞と繋がっている。このシナプスという機構の中身は「各々の細胞の末端を数多の神経伝達物質が移動している」というもので、末端同士は離れている。ミクロの目で見れば分断されているが、ちゃんと脳というひとつの構造になっている。

イワシの大群の中の最も離れた2匹同士も、きっと何らかの力で繋がっているのだ。どういう方向に動くのか、前もって打ち合わせしていたわけでもないだろう。

きっと人間もこれと同じで、「自分さえ良ければ他人は知ったこっちゃない」なんてことでは、その力はいつか自分にも巡り返ってくるのだろう。きっと我々が思うよりも早く。

この「実は分断されていない」という真理に全人類が気づけば、何も奪うことも、力が削がれることもないということに気づくはずだ。
だが、このことにはひとつネックがあって、それは「頭で考えていても分からない」ということだ。実際に手放して、何も困らないし、意外と与えられるものだという体験をするしかない。

そうは言いながらも、オレはホントに「自分さえ良ければいいヤロウ」なので、あえて寄付したり、賞味期限の古い食品から手に取ったり、見た目の汚い雑誌を選んだりしている。
実際に「体験しないと」分からないと思っているからだ。


2.真実のみを世界に示すこと

これが一番難しいだろう。今の世の中、特にこの日本ではなかなか受け入れがたいかもしれない。

ウソやおべっかを言わないとか、ツラいことを隠さないとか、弱い自分を見せないとか、給与額を言えるとか、色々あると思うが一言で言うなら、
「やりたいことがある人を、それをやってほしくない人が止めてはいけない」ということだと思う。

やってほしくない他人はもちろん、自分でさえも止めてはいけない。
自分はあれをやりたいけど、やるとあの人が悲しむから、嫌がるから、止めておこうという感情の動きだ。

顕著な例では浮気などがそれにあたるだろう。(そもそも「浮気」も「不倫」も言葉としておかしいと思っている)

親友に、自分以上の親友ができてしまったら怒るだろうか?
いや、オレも中高生の時にこんな感情は味わったが、明らかに自分が情けないと本能で理解したので怒るのをやめた。

それは男女間であっても同じこと。誰かが誰かと仲良くしたいという感情を(命がけであろうがつまみ食いであろうが)、つまりは他者に近づきたいという感情を第三者が怒るというのが筋違いだ。

もし、浮気のほうが罪が軽く、不倫(婚姻関係にある)のほうが罪が重いなどと本気で思っているようなら、いち早く自分の心を取り戻しに行ったほうがいい。あなたの中身はあなたの心であって、知らない誰かが勝手に決めた法律ではない。
同性の友人と同じく、本能で情けないと気づくべきことだ。

これも、たとえば「フラれたほうが恥で負け」なんて間違った概念が人々に植え付けられているなら、なかなか受け入れがたいことではあるだろうが。

もっと言えば、両親が裸で仲良くしているのをおさな子が見て「何してるの?」と聞かれた時に、「お、お相撲だよ?」返すようでは戦争はなくならないと思っている。そう、極論ではある。

動物は(無益なプライドをかけた)戦争をしないし、子供に子作りを見られてそれを偽ったりもしない。


3.成長にとらわれないこと

世界は分断されていないことにも通じるが、別にあなたが「どこかに行かなきゃいけない」わけではない。
あなたが道すがら疲れて路傍に腰を下ろすなら、誰かが代わりに行ってくれる。それが出来ないのは、人に出し抜かれると困ると思っているからだ。
なぜ、困るのか? 置いて行かれると思っているからだ。その先行く人も誰かに置いて行かれなければ、あなたを置いていきはしない。

子供がゲームに夢中になるように、赤ちゃんが這ってまで興味の対象に近づくように、純粋に「何かを見たい、知りたい」その結果の成長なら全然問題ない。
が、「成長しなきゃいけない」というのは、何かがズレ始めていると思うのだ。

動物や植物は、そんなに自分のやることを責めてはいまい。



最後に声を大にして…いや、最大にして言っておきたいのは、
「意見には個人差があります」なのである。

ここに書いたこと以外にも名案はあるだろうし、「男女関係と戦争関係ないじゃん!」と、ご立腹の人もおられるかもしれない。
でも、オレがそう思うのだ。しょうがない。

これが正解だということではなくて、こんなゲームをみんながやってみたら、少なくとも戦争のなくなる世界に1歩でも近づくのではないかと思うのだ。


ここに書かれたことは、当然自分でもできていない。
だから戒めとして書いてみた。
そして「これは自分のために書かれたのだ」と思ってくれるあなたのために書いてみた。

この「note」が未来永劫続いていますように。




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